第七話 魔物使いVS剣客ユティス
言語が通じる相手を見つけ、落ち着いたはずの心臓がまた早鐘を打ち出す。今まで忘れていたかのように体も震えだす。疲労感、倦怠感が頭の先から足の先まであまねく支配する。
言葉は通じる。意思疏通もとれる。ただ、その相手はもはや人間じゃない。醜悪な魔物だ。
「はっは!お前なんつぅ顔してんだよ!まさか同じ地球の出身だから助けて貰えるとでも思ったのか?そもそも同じ国出身ならまだしも、俺日本人じゃないからね?いや利用価値があるならまだわかるけどよぉ…お前、何ができんの?なに神に見捨てられたって?ふっは!どんな悪事やらかしたらそういう流れになっちゃうわけ?クッソうけるわマジで!」
血の気がサーっと引いていく。今度こそ、助からない。この狂人が、人の不幸を心底楽しんでいるような狂人が、経験値足りうる僕を逃すわけがない。
神は何をやってるんだ。こんなクソったれのゲスに力を与えて転生させるなんて…。善行を積んだ人間を転生させるんじゃなかったのか。こんなやつは問答無用で地獄行きだろうが。
「何で…」
「はぁ?」
「何でそんな簡単に、楽しそうに、人を殺せるんだ」
純粋な疑問だった。日本でぬくぬく育ったあまちゃんの考えかもしれない。奴は日本人じゃないと言っていたから、文化や思想の違いがあるのかもしれない。戦争に巻き込まれた経験があって、人を憎んでいるのかもしれない。
ただ、転生しているということは生前は善行を積んだはずなんだ。それがなぜ、この男はこんなにも狂っているのかという疑問。
僕の言葉を聞いた男は…かなり驚いていた。呆気にとられたとでもいうべきだろうか。ふっと息を漏らすと、ダムが決壊したかのように笑いだした。
「ふはっ!くははっ!お前なにそれ!何で人を殺せるんだって、ほんと、なに?転生してから正義にバリバリ目覚めちゃいました的なやつなの!?やめて、マジそういうのツボだから!はっは!あぁわかったよお前、善人すぎて見捨てられちゃったんだろ?ぶふっ!最高だよお前!ギャグセンスの塊な!千年に一人の逸材な!笑いの神だったらお前のこと見捨てるはず無いのにな!あっはっは!」
男は目に涙を溜めながら大笑いして、頭の悪い罵倒を続ける。これは男の持つ言語スキルが、僕の知る日本語に通訳してくれているんだろうか。馬鹿にするスラングをとにかく吐きまくっているであろうことは想像に難くない。冷静に分析できるくらい、僕の心は冷めていた。
「あーっ…はーっ…ひっっさしぶりにこんなに笑ったよ。礼といっちゃあなんだが、教えてやるよ、理由をな。まず第一に、魔物を育てるためだ。これはさっき言ったな?次に第二!俺にとっては人殺しなんてのは趣味の一つだからだ。…おいおいそんな顔されたら…ぷっ!やめろってお前!いま真剣な話をしてんだから笑わせんなよな!
さて第三!ある人物からこんな依頼が届きました。『邪魔な人間がいるから始末してほしい。なんならそいつがいる村ごと壊滅させてしまっても構わない。依頼料は弾むぞ』ってな。
今まで結構気を遣って人を殺してたんだぜ?あくまでも偶発的に魔物が人を襲ったように見せかけてな…。俺のスキルは結構目立つから、足がつかないようにじっくりと、な。それをこんな依頼が舞い込んできちまった日にはお前、我慢できないだろ?
快諾したさ!趣味を堪能しながら強くなれ、かつ報酬まで貰えるなんつう、まさに一石二人だ!あ、鳥に石ころ当てるなんてかわいそうな真似出来ないから『二人』な!どう?うまいっしょ?笑いの神様評価してくれよぉ!くっはっは!」
とんでもないゲスもいたものだ。同じ地球出身だというのに、国が違うとこうも理解しあえないものなのだろうか。
いや、こんな狂人が普通の国なんてあってたまるか。こいつが異常なんだ。神は何をどうしたら、こんな人としてどうかしている奴を善人なんかと勘違いしたのか。
「いやしかしよく考えたもんだよなぁ。『村の近くに魔物が大量にすむ森があるのだから、村が魔物に蹂躙されて滅びたところで誰もお主を疑わんだろう』だぜ?こんな寂れた糞溜まりの国の、更に辺境にこんな美味しい土地があるなんて思わなかったぜ?なにをトチ狂ってこんな場所に村なんて作ったんだか。
さて、楽しいおしゃべりの時間は終わりだ。さっきからこのゴリラが早くお前を捻り潰したいってうるさくてなぁ。相当怒らせてくれちゃったみたいだなお前。楽に死ねると思わない方がいいぞ?」
そう言って男は右手をあげると、熊ゴリラが雄叫びを上げて地を踏み鳴らす。相当頭に来ているというのは本当なようで、大層な威嚇の後に赤い双眸を僕に向ける。
いつの間にか震えも鼓動もおさまっていた。これから死ぬというのにどうしたのだろう。何度も死に直面したからもはや諦観の境地にでも至ったのだろうか。
「ずいぶん大人しいなぁ、ガキ。さて、経験値になる前に言うことはあるか?なるべく面白い一言を頼む」
「なるべく早く討伐されろ。犬畜生」
「やれ」
男があげていた右手を振り下ろす。熊ゴリラが待ってましたと言わんばかりに腕を振り上げ、猛然と突進してきて首を落とされその勢いのまま地に伏した。
「肉壁」
男が短く告げると、空間から別の熊ゴリラが現れて、男に迫る飛ぶ斬撃を両腕で受け止める。熊ゴリラの腕がギリギリと音をたてて斬撃を押さえ込んでいたが、続けざまにもう二発の斬撃を打ち込まれ、腕と胴体を真っ二つにされる
「馬鹿な!VIT極振りだぞ!!」
男が驚愕に目を見開いて斬撃が飛んできた方向に目を向ける。そこには僕を猪型の魔物から助けてくれた赤髪の女性がいた。手には赤と銀の剣を握りしめている。熊ゴリラを真っ二つにしたのはこの女性で間違いないだろう。
「赤髪に双剣、お前がユティスか」
「随分と私の領地で好き勝手をしてくれたな。最期にいうことはあるか?なるべく面白い一言なんていらないからさっさと死ね」
僕には相変わらず何を言っているかわからないが、先ほど首をはねられた熊ゴリラ以上の怒気を、女性――ユティスと呼ばれていた彼女は発していた。
彼女が双剣を振るう度に銀と赤の斬撃が乱れ飛ぶ。対する男は肉壁となる魔物を次々と召喚しているが、斬撃の勢いを殺すのが精一杯な様子だ。
瞬く間に斬撃で体を切り飛ばされた魔物の死体が積み上がる。血飛沫がとび、夥しい量の肉片が舞う様は酸鼻をきわめるといっても過言ではない。
「なんだこの化け物は!転生者じゃないただの小娘だっていうから依頼を受けたってのに!割りに合わねぇぞあの馬鹿王が!」
「御託はいい。さっさと死ね」
彼女が放つ斬撃が苛烈さを増していく。斬撃の鋭さが増したのか、男の召喚する魔物の質が落ちたのか定かではないが、斬撃は紙を切るかのように魔物の肉体を細切れにしていく。
防戦一方に見える戦闘だったが…男の顔が醜く歪む。次の瞬間、彼女の頭上から熊ゴリラが現れ、その異常に発達した腕をハンマーのように振りかざす。
「取った!」
男はそう確信し叫ぶも、しゃがみこむことで攻撃を紙一重でかわした彼女が、袈裟斬りを見舞って熊ゴリラを輪切りにする様を見て絶句する。
「そんな子供だましが通用すると思ったのか?」
「クソがっ!」
男が悪態をつき、ピイッと指笛を鳴らすと、先ほどの大鷲が男に向かって急降下してくる。
「逃がすか!」
彼女の見舞う大量の斬撃が大鷲を襲う。大鷲は器用に空中で加速と減速を織り交ぜ、時に回転しながら斬撃をかわすが先読みの斬撃が大鷲の腹を捉える…瞬間。
「はぁ…はぁ…。こいつは大サービスだぜ?」
岩石をそのまま背負ったような巨大な亀が大鷲の軌道上に現れ、斬撃を軽く受け止めて落下してくる。大鷲は器用に落下する亀を壁にするように飛ぶことで斬撃を防いでいる。巨大亀の落下の衝撃は凄まじく、周囲に石礫と砂塵を撒き散らす。
「依頼は破棄だ、じゃあな化け物。そいつは俺の渾身のペットだからせいぜい可愛がってもらえよ!」
砂煙で見えないが、恐らく男は大鷲で逃走を開始したらしい。どこまでも癪に触る高笑いが遠ざかっていく。
「馬鹿が。居場所を教えているようなものだ」
視界が確保できない中で、それでも彼女は斬撃を飛ばす。銀と赤が土煙を裂き、上空へ舞い上がろうとする大鷲に迫る。
「なっ!ふざけっ!?があああぁぁぁぁっ!!うぁぁあああぁぁ腕があぁぁぁぁっ!!殺し、殺してやらぁぁぁぁっ!!」
悲痛な絶叫を響かせて男の姿が空の彼方へ消えて行く。どうやら腕を切り落としたらしいが、命を絶つには至らなかったようだ。
そして置き土産として残されたのは鈍重そうな巨大亀だ。飛ぶ斬撃を受けてもびくともしない堅固さは非常に厄介この上ない。
「逃げられたか。未熟だな」
悔しそうな表情で何やら呟いているが、悠長に構えていていいのだろうか。四肢を引っ込めた亀は、どういう原理かわからないが高速で回転しながら彼女に迫る。
「まだいたのか」
彼女は銀色の剣を鞘に戻し、赤色の剣を両手で握り直して顔の横に構える。その穂先は真っ直ぐ巨大亀に向いている。
一瞬の出来事だった。
剣を構えていたはずの彼女が、いつの間にか剣を突き出した姿勢に変わっていた。赤い一本の光線が剣先から走ったと思ったら、数瞬遅れて、轟ッ!という衝撃波が伝わってくる。襲い来る衝撃波を腕で防いでなんとか彼女の方を見ると、亀に一瞥もくれずに剣を鞘に戻してこちらへ歩いてくるところだった。
亀の方を見ると、高速回転していた体から血を噴水のように吹き出していた。しまいには四肢が投げ出され、肉片を飛び散らせながらスピードを落として…やがて動かなくなった。絶命させたのか?あの一瞬で…?
神業を披露した女性はすぐそこまで来ており、僕の目の前に立つと目を瞑り、頭を垂れる。
「すまない。あの男の正体を探るために君達の会話を盗み聞きしてしまった。ベアーコングが襲いかかる前に助けられる場面はあったのに、私情を優先してしまった。領民を助けて頂いた領主のすることではないと自覚している。重ねて謝罪を。すまない」
あの男と会話できていたから忘れていたが、やはり言語スキルを持っていない人の言葉は分からない。だけど…敵意は持たれていない、と思う。
「森の魔物が異常だったことも、君が魔物の注意を引き付けて森に誘導してくれたこともミトから聞いた。…私は、君が魔物を怒らせるようなことをしたあげく、村を危機に陥れたものだと決め込んであんな無礼を働いてしまった。根性無き者と心の中で毒づいた。下衆だと見下してしまった。けして許されることではない。どんな罵りも甘んじて受けよう。殴りたければ心行くまで殴ればいい。いつでも顔を貸そう。重ね重ねになるが、本当にすまない」
長々と喋ったあとに、より一層深く頭を垂れる。感謝されてるのか?謝られてるのか?助けてもらったのは全面的にこっちなんだけど…。
困惑しているのが伝わったのか、彼女は首を傾げ、腕を組んで軽く唸る。突然、はっとした顔をしたと思ったら頭をポリポリと掻いた。
「言葉通じないんだった。どうしよ」
さっきまで険しい顔で魔物をばっさばっさと斬り倒していた彼女が、そんな動作をしたのが少し可愛らしく思えて……緊張の糸がプツリと切れたのがわかった。
あぁ、彼女がなんか言ってる。でも駄目だ、落ちていく意識に抗うことができない。
肉体的にも精神的にもとっくに限界だったんだからしょうがない。だいたいなんで異世界くんだりまで来てマラソンなんておっ始めてんだよ。インドア派なめんな。