6.二人目の犠牲者
鱗に夜の光を反射させながら人魚は優雅に泳いでいる。
だが張り詰めた緊張感は途切れることはない。
少しずつ船に近づきながら、人魚は私たちを襲う絶好の機会をうかがっていた。
「どうする」
席のなるべく真ん中で体を寄せ合いながら、私たちは逃げ道を模索した。
前の席は黒い影によって埋められている。
影たちはまるで人魚がいるのは当然と言わんばかりにアクアツアーを楽しんでいるようだ。
端に座っている私と由真が一番危険ということになる。
少しでも少しでも真ん中へ。
左右から押され、真ん中に挟まれた莉乃と小咲ちゃんは悲鳴をあげていた。
「由真、あんたもっとそっち行って」
「そんなこと言わないで。無理だよ」
「じゃあ小咲がもうちょっと寄って」
「そんなことしたら花月ちゃんが捕まっちゃう」
その間にも、人魚はどんどん距離を詰めていた。
私の側の船端に捕まり手を伸ばす。
「ひっ」
身を縮めた私には届かなかったが服を捕まれ、咄嗟に私はそれを引きちぎった。
半分ほど見えた下着を隠しながら私は人魚を目で追う。
彼女が先ほど見せた幻覚は何だったのか。
私だけ見逃してもらえるのかと思ったが、どうやら違うらしい。
あれはきまぐれな人魚のささやかなプレゼントらしかった。
人魚が由真の方に回った。
「もっとそっちに行って!」
由真の女の子らしい可愛い声が響くが、私は頑として動かない。
そんなことをして、また人魚がこちらに回ってきたとき損をするのは私だ。
それに、私はこのときを待っていたのだ。
自分の手を汚さずに復讐を遂げられる瞬間。
揺れる船内で立ち上がり、中の方へ回ろうとした由真を私は阻んだ。
「避けて!」
由真が叫ぶが、今このときに限り由真がいなくなれば端になる莉乃も、恐怖で動けない小咲ちゃんも私の味方だ。
「いやっ!」
それを境に声が聞こえなくなったところからして、捕まったらしい。
莉乃がじりじりと後退してくる。
「助けて!」
見ると、上半身を人魚に捕まれそれでも抵抗する由真がいた。
彼女に一番近いはずの莉乃は、少し距離を取りながら青白い顔で見ている。
由真を引っ張り助けることは可能だが、それをして自分まで引きずりこまれる可能性を危惧しているようだった。
人魚は愉快そうに笑いながら、ぐいぐいと由真を水へと引きずりこんでいく。
椅子に足を引っ掛けなんとか耐えていた由真ももう限界のようだった。
ずりずりと船の床を由真の足が引きずられていく。
あぁ、もう無理だな。
しかし、人魚が口を吊り上げ笑い、私たちが由真を諦めたところで、
『ザザ……ジェットコースターの最終登場時刻です……』
あの放送が聞こえた。
はっと気づくとまたあの搭乗口だった。
しゃがみ込んだ由真がぜいぜいと息をもらしている。
その上半身はびしょびしょで死闘だったのだろう、ひどく乱れていた。
「……はぁ、はぁ」
私たちに一瞥もくれず、由真はジェットコースターへと歩いて行く。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 誰がどこに乗るか決めないと」
莉乃の焦り声に、
「そんなの早い者勝ちに決まってるじゃない。危険な席に当たったら運が悪かったと諦めるしかないのよ」
由真はもう彼女とは思えない冷ややかな目をしていた。
しかし今さら由真にどう思われようと気にならない。
由真のことは莉乃に任せ、私はジェットコースターを観察した。
すると、昨日とは大きく違う点が一つ見つかる。
それは座席が五つしかないということ。
三列目の右側の座席には黒い影が既に座っていた。
これは麻耶が減った分なのだろう。
誰かが死ぬごとに間違いの座席が一つずつ減っていき、正解に近づけるようになっていると言ったところか。
結局莉乃がいち早く小咲ちゃんとペアを組み、私は残った二列、由真の隣か黒い影の隣りかを迷ったあげく由真を選んだ。
由真は私たちを確実によく思っていないだろうし拒まれることも覚悟していたが、意外にも彼女は何も言わなかった。
無関心なのだろうか。だとしても隣に生きた人間がいるのはありがたい。
昨日の経験を踏まえ、莉乃と小咲ちゃんはお互いがお互いを助け合う約束をしている。
先ほど由真を裏切った莉乃を小咲ちゃんは本当に信じているのだろうか。
がんばろうね、と真剣な顔をする彼女を見ていると信じているような気もするものの、そのあとにふと見せる暗い表情を見ていると何もわからなくなる。
それよりも、まずは自分のことか。
由真に助けを期待するのは無理だろう。
というか、これで助けてきたら逆に何か裏があるのではないかと疑ってしまう。
麻耶を見ていた限り、齋藤未希は物理的にジェットコースターから落としていたようだった。
力には微塵の自信もないが、火事場の馬鹿力というやつに期待する気持ちがなくもない。
どうやって対抗しようか。
そんなことを考えているとジェットコースターは動き出していた。
隣の由真をちらりと見ると、彼女も緊張しているようで口を真一文字にしている。
景色を楽しむ余裕もなく、まもなく最高到達点だ。
誰が犠牲となるか。はたまた、誰も死なないか。
車体の振動がバーを通して指先に伝わり、それが心臓と共鳴して不安度を増していく。
「――っ」
喉の奥で悲鳴を噛み殺しながら、落ちた先で女を見た。
相変わらずこの世のものとは思えない顔でこちらを気にするようすもなく突っ立っている。
彼女が右手を挙げた。
……間違いを選んだのは私か。
せめて麻耶の復讐を果たしてから死にたかったが、その悔しさよりも嬉しさが圧倒的に勝る。
麻耶と同じ方法で、麻耶と同じやつに殺されて死ねるのだ。
これが嬉しくないわけがない。
私と麻耶なら来世でも絶対に親友だ。
その自信があった。
「ふぅぅうううううう」
雄叫びをあげながらぐるりとレールを回る。
さよなら現世!
麻耶のいないこの世界に未練なんてない!
そこではたと気づく。
……あれ、殺されるまでにこんなレールあったっけ。
呆然とする私に
「よかったねー」
「ほんと、よかった……」
莉乃と小咲ちゃんの涙声が気づかせてくれる。
隣に乗っていたはずの、由真が、いなかった。
そしてそのままジェットコースターは減速し、私はまた気を失った。
前回と同じく砂の上に寝転がされた状態で目が覚めた。
莉乃と小咲ちゃんも隣で寝ていたので声をかける。
二人は案外すっきりと起き上がった。
少し離れたところでは残骸に成り果てた由真がどろどろの赤いものを撒き散らしている。
由真が犠牲となったことを伝えると、莉乃と小咲ちゃんは揃って神妙な顔をした。
どこまでが本気か怪しいが、取り繕って話をしようとしない辺り少しは悲しむ気があるらしい。
私はというと、悲しいわけがない。
むしろ麻耶と私に仇なした罰だと清々した気でいた。
もちろん、顔では悲しみにくれながら。
交番に行き昨日と同じ警官を呼んでくる。
またもやの惨劇に彼らはとても驚いていた。
どうやら昨日、小咲ちゃんたちは麻耶を肝試し中の事故と説明したらしい。
もっともな言い訳だ。
怒られはするだろうが、罪に問われることはない。
しかもネット上ではなかなかに有名な観光地ときている。
しかし、今回の場合説明が難しかった。
友達が昨日死んだところにまた、しかも夜中に忍び込もうとするだろうか?
その上昨日のことを受けて、裏野ドリームランドの外には警官が二名立っていたというのに。
だから行われた事情聴取で私たちは黙っている他はなかった。
そんな私たちを警官たちは疑わしい目で見るが、人一人殺すのがどれだけ大変かわかっている警察だからこそ私たちがやったとは思えないのだろう。
かと言って齋藤未希のことやその他もろもろを話す気にはなれなかった。
なんというか、話せばよくないことが起こる気がするのだ。
昔話でも口が元で酷い目にあう話は少なくない。
黙っていることが唯一の得策だ。
三時間ほど質問を受けて、家に帰ることができたのは晩ごはんのあとだった。
二日連続周りで人が死んだ娘を両親は少し怖がっている。
仕方ない。
私はきちんと目覚ましを合わせ、そのままベッドに埋もれた。