5.人魚の記憶
「たぶんネットを使っても情報は得られないと思うよ。記事はすごく小さかったし、その事故を実際に見たって人も掲示板でちらほらいたけど人によって言ってることは違った。圧力で情報統制されたせいじゃないかな」
もしかしたら正しい情報も含まれているかもしれないが、そんな曖昧なものに命は賭けられない。
「そこで登場するのが七つの噂」
一つ、頻繁に起こる子供の行方不明。
二つ、誰に聞いても内容が違うジェットコースター事故。
三つ、アクアツアーに潜む謎の影。
四つ、ミラーハウスに入ると入れ替わる人格。
五つ、ドリームキャッスルの地下につくられた拷問部屋。
六つ、誰も乗っていないのに回るメリーゴーランド。
七つ、声が聞こえる観覧車。
三人はジェットコースター事故の当事者である齋藤未希さんがこんな事態を引き起こしたと信じている。
だがあのメリーゴーランドを唯一理性を持って目にした私の意見は違う。
これは、絶対に、メリーゴーランドが原因だ。
確かにあの女ーー齋藤未希も恐ろしかった。目にしたときは本当に息が止まるかと思った。
しかし、あのメリーゴーランドだけはどうしても別格なのだ。
つまり私は、あのメリーゴーランドがこのおかしな世界の元凶で、そこに齋藤未希は存在しているだけだと考えている。
齋藤未希が存在するなら他の噂もーー。
「わ、わざわざそんな危ないところに行く必要はないんじゃないかな」
由真が怯えながら言う。
「でもそんなこと言ったって、時間がきたらジェットコースターには乗らないといけないかもしれないんだよ。このまま奇跡的に当たりを引く可能性にかける?」
私が少し責めるような口調になると、
「じゃあ由真はここにいたらいいじゃん。他の噂はよくわかんないけどジェットコースターよりは安全そうだし、あたしは行く」
莉乃が乗り気で後押ししてくれた。
「……わかった」
目線を下げて頷く由真に、私は意識的に口角を持ち上げて笑いかける。
「大丈夫だよ。私が守ってあ、げ、る、か、ら」
七つの噂のどこに行くかの話し合いが始まり、一番身の危険が無さそうだということでアクアツアーに決まった。
人工的に作られた川の上を船で進み、その川の付近の景色を楽しむアトラクションだ。
流木風の看板を抜けて、私たちはアトラクション内へと入った。
ここにいる黒い影はジェットコースターより少ないようだった。
確かに印象の薄いアトラクションだけど、開園当時からあまり人気はなかったらしい。
黒い影は順番待ちをしているのかと思ったけれど、私たちが近づくとササっと避けて通してくれた。
物言わぬ影に遠慮をする意味はないので、スタスタと先を行かせてもらう。
夜の光を反射する水の上、揺れる船が私たちを待っていた。
「足元に気をつけてね」
小咲ちゃんが小声で忠告する。
船の上は不安定で危なっかしい。
影が後ろから乗ってこようとしていたので、一番後ろの席に由真、莉乃、小咲ちゃん、私の順に座った。
影は順番通り速やかに乗り込んで、船はすぐに出発する。
「……不気味だね」
小咲ちゃんが手を揉んだり握ったりせわしなく動かしている。
そうでもしないと落ち着かないのだろう。
逃げ場のない船の上で恐怖は増長して私たちを襲う。
「そうだね」
私は軽く同意して、水の中をそっと覗いた。
「危ないよ」
「ふふ……大丈夫だよ」
静かな川を船はゆったりと進んでいく。
ゆるやかに流れる時間に気が緩んで、私はもっと深く水を覗き込んだーー。
どくん。心臓が高鳴る。
金色の髪、碧色の瞳、薄紅色の唇。
精巧に作られた人形のように美しい少女が水の中から私を見上げていた。
逃げられない。
危ないと頭ではわかっているのに、体が言うことを聞かない。
徐々に水面が近づいてきて、気づけば私は水に顔をつけていた。
「は……」
息が漏れ出て泡になって上り視界から消えていく。
少女の両手が伸びてきて、私の顔を冷たい手の平で包んだ。
ここはどこだろうか。
私は海に下半身だけ浸かって、誰か大切な人を待っている。
向こうから駆けてきたのはちょんまげをつけた時代錯誤な男だった。
「すまんすまん、遅くなった」
「いいのよ」
私の口が勝手に動きセリフを紡ぎ出す。
驚いて自分の姿を今一度確認すると、髪は金の下半身に碧い鱗を持つ人魚だった。
……どうやら、これはあの少女の記憶らしい。
暗くてよく見えなかったが、彼女は人魚だったのか。
「今日はこんなものを持ってきたんだ。江戸で使われてる本物の貨幣だぞ」
「まぁすごい。こんなものを作ってしまうなんて、人間は本当に器用なのね」
「へへ、作ったのは俺じゃあないがな」
ちょんまげの男も人魚も幸せそうに笑う。
私も少し優しい気持ちになる。
あれ、また世界が変わった。
男が人魚である私の足元でうずくまって泣いている。
「おっかぁが……おっかぁが死にそうなんだ」
愛する人が泣いている。
人魚の悲しみが私にも伝わってきた。
「私ならどうにかできる。人魚は十個の心臓を持つの。そのうちの一つをあなたのお母様にあげる。人魚の心臓で作った薬を飲めば、どんな病も治るわ」
「……いいのか? それでお前は死なないのか?」
「大丈夫。十個なくなるまで死なないわ」
また世界が変わる。
「お前……すまねぇ。おっとぅが大怪我をして……」
「わかったわ」
人魚は自分の胸に刃物を突き刺し、心臓を抉りとって男に渡した。
「ありがとう、本当にありがとう。これで最後にするから……」
そして。
「俺死にそうなんだ」
「何言ってるの、あなたは元気じゃない」
「そう見えるだろ? そう見えるところがこの病のよくねぇところだ。頼む、心臓を」
「……わかった」
人魚はついに九つ目の心臓を渡してしまった。
「あなた、もう次はないのよ。最後の心臓を失えば私は死んでしまうわ」
「わかってるよ。お前を死なせるようなことはしない」
それなのに。
「お前、心臓をくれないか」
「もう無理よ」
「何言ってるんだ。お前は俺が死んでもいいのか」
「もちろんよくないわ。でもこれを渡せば私は死んでしまう」
「……だったら死ねばいいじゃねぇか」
そのときようやく、人魚は悟った。
この人はもう私を愛してはいないのだと。
不治の病も治してしまう心臓。
どんなに高値で売れることだろう。
はじめは一つだけにするつもりだったのだと思う。
だが大金を手にしもっともっとと欲望は膨らみ、彼は変わってしまった。
「ごめんなさい。もうあなたとは一緒にいられないわ」
そう言うと、人魚は海に入った。
人魚の涙は海の星となってキラキラと輝く。
本当に好きだった。
人魚の私にも分け隔てなく接してくれた唯一の人。
さようなら。愛してました――。
しかし運命はどこまでも人魚に残酷だった。
男が村人に呼びかけたのだろう、大規模な網漁業が企画され人魚はあえなくひっかかった。
「あなた……お願い。こんなことはやめて」
人魚が最後に見たのは欲望にまみれた男の醜い顔だった。
「……っは!」
私は水面から勢いよく顔を上げた。
私が水面下で人魚に捕まってるとは思いもしなかったのだろう。小咲ちゃんが私のいきなりの行動に驚いている。
「何があったの? 大丈夫?」
「うんごめん、大丈夫」
本当は全然大丈夫ではなかったが、今見た不思議な出来事を上手く説明できる気がしなかった。
小咲ちゃんは心配そうな目で私を見つめ、そして私はすっと目をそらす。
すると、
「きゃあああああ」
由真の女の子らしい悲鳴があがり、
「え、やばいよ!」
莉乃が私と小咲ちゃんの注意を引きつけた。
小咲ちゃんが不安そうに私の手を握り、二人揃って莉乃の指さす方向を覗き込む。
船のまわりをぐるぐると回っていたのは金色の髪を持つ人魚だった。