約束の日
ここ最近は仕事が忙しかった。休みの日も週一だった。
それでも、毎週公園に行った。
だけど、毎週公園に行って待っていても、音葉ちゃんはこなかった。
他の子供達は楽しそうに遊んでいる。
音葉ちゃんは元気だろうか。
施設に入って一年が過ぎようとしていた。そろそろ自立していこうと考えていた。
藤田さんに
「僕、そろそろ自立しようと思います。
自分の力でやり直そうと思います。」
藤田さんは涙を流して
「そうか。よかった。無理しないでやりたいように頑張ってね。辛くなったらいつでも来なさい。」
そう温かく言ってくれた。
藤田さんは
「これは私からの気持ちだ。」
そう言って、新しい靴をくれた。
父親みたいな事をしてくれる本当にいい人だった。
感謝しても感謝しても足りないくらいに。
私は
「ありがとうございます。これから一生懸命頑張ります。この靴は一生大切にします。」
藤田さんはまた涙を少しこぼした。
「悟くん。あれから音葉ちゃんは元気にしてるかい?」
私は
「最近は、全然会えなくて。でもあの子は強いから元気だと思います。」
藤田さんは
「そうか。君の生きる希望だからね。」
私は
「はい。生きる素晴らしさを教えられた人です。」
それから施設を出て、一人でアパートを借りて生活した。
それからも時間があれば公園に行った。
でも音葉ちゃんと会えなかった。
ある日の事。
そういえば、このぐらいの時期に音葉ちゃんと会ったんだよな。
今日は何か会える気がした。
公園に行った。
誰もいなかった。
音葉ちゃんがとても好きだった滑り台に歩いて行った。
そういえば、ここで寝たこともあったな。
藤田さんから逃げた日。
少し笑えるくらいの思い出になっていた。
ポケットから元妻と子供の写真を出した。
写真を持ったまま、滑り台の上に登って景色を見ようと思った時だった。
滑り台を登りきった所に、アフリカンマリーゴールドの花が一つ置いてあった。
これは…、音葉ちゃんがいるの?
私は辺りをキョロキョロして探した。
誰もいなかった。
そうか、音葉ちゃんが前に来た時に置いていったのかな。
そう思い、しばらく滑り台から遠くを眺めていた。
すると見たことのある人がこちらに歩いてくる。
音葉ちゃんのお母さんだった。
私は滑り台から降りて、音葉ちゃんのお母さんの元に走った。
私は
「お久しぶりです。」
音葉ちゃんのお母さんも
「お久しぶりです。」
と挨拶した。
私は「音葉ちゃんは?」
音葉ちゃんのお母さんは
「…あの、」
私は
「元気ならいいんです。会えなくても。」
私は音葉ちゃんのお母さんがもう音葉に会わないで欲しいと言うのだと思って言葉をかぶせてしまった。
こんな私といつまでも遊ぶなんておかしいだろうし。
そう思った。
すると音葉ちゃんのお母さんは
「悟さん、今まで、音葉といっぱい…たくさん遊んでいただいてありがとうございました。」
そう言って泣いていた。
私は
「いいえ、お礼なんて。こちらこそありがとうございました。」
私も泣きそうだったが、こらえていた。
音葉ちゃんのお母さんは
「あの子、最後悟さんと遊んだ日楽しかったってずっと話してました。家でも、病院でも。」
私は
「よかった。…えっ、病院?」
音葉ちゃんのお母さんが
「あの子、悟さんと遊んだ日の一ヶ月後に亡くなったんです。」
私は音葉ちゃんのお母さんが言っている意味がわからなかった。
私は
「亡くなったって…どういう事ですか?
だってあんなに元気に…」
私は話をしている間に周りが見えない程、涙が溢れ、全てがにじんで見えた。
音葉ちゃんのお母さんは
「あの子産まれつき、体が弱く、原因不明の難病でした。脳がだんだん萎縮し、脳が死んでしまう病気です。産まれた時から余命二年とまで言われて、耐えられませんでした。せめてあの子に楽しい思い出だけでもと思い、幼稚園や保育園に通わせようと思ったんです。でも、原因不明の難病だと、いつどんな事が起きるかわからない、他の子とどうやって接すればいいか、園では責任取れないなど、色んな理由で断られました。その時はもう、どうしていいか、家族の私達すら分かりませんでした。あの子の為に、色んな所に出かけました。欲しいもの何でも買ってあげました。でも、あの子が今欲しいのは一緒に遊んでくれる友達が欲しいって言ったんです。私達はこの子の望むものを叶えてやれないと毎日自分を責めました。公園に行って、同年代の子供達が元気に遊んでる。そこに音葉を連れて行くと、他のお母さん達が避けるように、子供達を連れて帰って行きました。毎日、誰もいなくなった公園であの子は一人滑り台を滑り、砂場で遊んでいました。引っ越しも考えました。あの子が少しでも楽しいと思えるなら、何でもしてあげたいと思っていたんです。でも、日に日にあの子が少しずつ、しゃべれた言葉がおぼつかなくなり、たまに私達の呼びかけすら、反応しなくなったり。それで今ある病院からも離れられないってずっと悩んでいました。
そんな時に悟さんと出会ったんです。
悟さんと遊んでいく内に、娘がこんなにも楽しそうに笑うんだって気づきました。あの子、音葉にとって悟さんは最初で最後の友達なんです。病院でも、あの子は絶対元気になって悟さんとりんちゃんと遊ぶ。みんなで滑り台の一番高いところからいっぱい景色を見たいって…話してました。意識が無くなり、しゃべらなくなっても、息をひきとるまでずっと悟さんからもらったスコップを大事に握りしめてました。いつか、いつ…かこんな日がくるのはわかってました。でも辛くて。あなたにもいつか話さないといけないと思ったんです。でも楽しくしてる姿を見て病気である事を私も忘れていました。本当…に、ほ…本当にあの子の夢を叶えてくれてありがとうございました。」
私は涙が止まらなかった。やり切れない思いでいっぱいだった。
あの時、音葉ちゃんは咳をしていた。自分が辛くても、必死な遊びたくて無理していた。遊びたくて、頑張ってた。
体が辛くても、いっぱい笑顔でいた。
そんな事を思うとすごく胸が痛かった。
私は心で思った気持ちが言葉に出ていた。
「ごめんよ。音葉ちゃん。もっともっとたくさん遊びたかったよね。
りんと遊ぶって約束したもんね。ごめん…ね。約束やぶって。時間がないなんて知らなかった。もっと早く会いに行けばよかったよね。」
それ以上言葉が、…声が出なかった。
遊んでる時に休憩なんてしなければよかった。1分1秒大切にすればよかった。
どんな思いでスコップを最後握りしめていたのだろう…。もっとたくさん遊びたかったはずだ。
そう思っていると、音葉ちゃんのお母さんから
「あの子に送ったアフリカンマリーゴールド、覚えてますか?」
私は
「はい…。音葉ちゃんからもらった花。今も大切にしています。」
私にとって数少ない宝物だった。
音葉ちゃんのお母さんは
「音葉にあげた時に、この花言葉はつらくてもがんばって生きる意味があるのって話してです。そしたら、あの子、悟さんにあげる。私は生きてて楽しい。悟おじさんにも楽しくして欲しいって。そう言ったんです。」
私は
「そうだったんですね。この花言葉は逆境を乗り越えて生きる、でしたよね。すごく、素敵な花言葉です。私は音葉ちゃんに生きる希望や喜び、笑う事や寂しさをたくさん教えられた気がします。音葉ちゃんと出会う前は全てが絶望で、死ぬ事しか頭にありませんでした。でも、音葉ちゃんからから辛さを乗り越えて生きる意味を教えられました。だから、私の方こそ、…何ていうか音葉ちゃんには感謝でいっぱいなんです。本当に寂しい…です。もっともっとたくさん遊びたかった。でも、私の中には音葉ちゃんは生きてます。あの滑り台から遠くを見つめている、そんな気がします。」
音葉ちゃんのお母さんは
「ありがとうございます。あの子もきっと空の上からたくさんの景色を見ているでしょう。悟さん、もしよかった、音葉に御線香だけでもあげてやってください。」
私は
「ありがとうございます。でも、また今度でいいですか?音葉ちゃんとの約束守らないと」
音葉ちゃんのお母さんは
「約束?…わかりました。悟さんと音葉の約束があるなら、またその時にお願いします。」
そう言って音葉ちゃんのお母さんは深く頭を下げて帰って行った。
私もしばらく頭を深く下げて見送った。
私はその夜、手紙を書いた。
一週間後…
「パパ、そのお花何?」
「これはね、アフリカンマリーゴールドって言うんだ。つらくてもがんばって生きるって意味だよ。」
「りん、このお花すき!ねーパパ、どこに行くの?」
「今から公園に行くんだよ、それとお友達に会いに行くんだ」
「パパのお友達に?」
「そうだよ」
「パパー、公園ってあそこの公園?」
「うん」
「わーい、りん滑り台だいすきー」
「おいおい、あんまり慌てると転ぶよ」
「パパー、滑り台にスコップがあるー」
私は走って滑り台の上に登った。これは…
私は微笑み空を見た。
音葉ちゃん、会いにきてくれたんだね。
りんもいるよ。
生ぬるい風が私に向かって吹いた。
私は返事に聞こえた。
私は身を任せ目を閉じた。
音葉ちゃん、見えるかい?
この景色。ここからの景色がこんなにも輝いていたんだね。
今はもっと高いところから見てるのかな?
今日はいっぱい遊ぼう。
彼女の生涯は4年余り。余命宣告から2年長く生きた。決して長くない生涯だ。原因不明の難病と今も闘い続ける人はたくさんいる。ただ、それを私達が知らないだけで。
彼女はこの4年間、満足していたか、他人から見たら満足じゃないと言うだろう。
でもその答えは、彼女にしか分からない。
でも最後まで一生懸命に、遊び、笑い生きた事に後悔はないと思う。
私は前を見て生きる本当の意味を彼女から教えてもらった。
彼女の分まで私はこれから色んな景色を見ていく必要がある。
「うん!しゃとるおじしゃんやくしょくだよー」
今日がその約束の日だよ。
音葉ちゃん、何して遊ぼうか?
終わり