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青春withゴースト  作者: シトール
4/17

1-3

 授業が終わり、休み時間。

 戻ってきた八乙女を連れて、俺は三年生の教室が並ぶ校舎三階へとやってきた。

『で、何が目的なのよ?』

『慌てなさんなって』

 はやる気持ちを抑えきれないと見える八乙女は、ワクワクした表情を隠しもせずに俺の周りを飛び回っている。

 そこで見せてやるのが、俺のスマホの画面だ。

『お前、学校裏サイトって知ってるよな?』

『ああ、どこの学校にも一つはある、あの不毛なヤツね。でもちょっと青春っぽい匂いがするから、嫌いじゃないわ』

『お前の青春観どうなってるんだよ……まぁ知ってるならいい』

 学校裏サイト……今では裏SNSや裏コンタクトなどと細分化しているようだが、大本を辿れば匿名掲示板の超ローカル版みたいなものだ。

 裏サイトならばそれこそ掲示板サイトのように、幾つものBBSとその数十倍もあるスレッドから成り立ち、そこに匿名の誰かが書き込みをする……。誰が最初に言ったか知らないが『この書き込みなんか便所の落書きである』とは、本当に的を射ていると思う。

 書き込まれるのは何の益にもならなそうなモノばかり。

 やれ『あいつがムカつく』やれ『あの教師の授業は退屈』、やれ『あいつをいじめよう』『アイツは気弱だからカツアゲできるぞ』……匿名を笠に着て、言いたい事を言いたい放題するのが、この掲示板群である。

 我らが吹上高校においても、そのような不健全なサイトがある。

 学校にいる生徒にしかわからないパスワードがついており、生徒以外は簡単にアクセスできないようになっているサイト。それが吹上高校裏掲示板である。

『やっぱりアンタの学校にもあるのね。みんなやる事変わらないなぁ』

『そりゃそうさ。今や個性がない事こそ最大の防御手段である時代だ。他と違う事をやってる方がリスクが高いしな』

 目立つ行動を取れば、その分良からぬ輩に目をつけられる。いや、良からぬ輩でなくとも目をつけてしまう原因になる。

 ならば前へ倣え、左右へ倣え、背後に倣え。

 周りを見回して、その情景に溶け込む事こそが、現代に生きる学生の賢い生存戦略である。こうしておけば、滅多な事では狙われない。

『んで、その裏サイトがどうしたのよ? まさか、それにあの男子がタバコふかしてたのをチクるわけ?』

『半分は当たり、かな』

『あっきれた。そんな正義の味方ごっこして楽しんでるわけ?』

『話は最後まで聞けよ、早とちりガール。俺がチクるのはこの掲示板に集る有象無象でもなく、当然教師連中でもない。……って、その前に、件の先輩の名前を調べない事にはチクるにチクれないからなぁ、っと』

 俺は廊下を歩きながら、某先輩男子を探す。

 律儀に教室に戻って来てくれてればいいが……。

「おや、先輩」

「ん?」

 聞きなれた声に呼び止められる。

 見ると、そこには黒髪短髪の美少女――ではあるが目つきがキツイ女子がいた。

「蓮野じゃないか! こんな所で出会えるとは、やはり俺たちは運命の赤い糸で結ばれているのだな」

「本気で気持ち悪いので、そこから飛び降りてくれませんか」

「自殺教唆は犯罪だぞぅ。……いや、それよりも、蓮野はこんな所で何してるんだ? 三年生に何か用事でも?」

「ええ、まあ」

 蓮野は一年生だ。一年生の教室は五階、この階よりも二つも上の階である。

 特別な用事でもなければ来ないはずだが……。

「因みに、蓮野はどんな用事で?」

「ちょっと人に会いに。……って先輩には関係ありませんよね」

「そ、そりゃそうだが……」

「じゃあ、これ以上は教えません」

 くそぅ、予想通りであったが、教えてはくれんか。

「で、先輩は何しに来たんですか?」

「ああ、俺もちょっと人に会いにね」

「……女子ですか? 一歳年上の女性にメロメロですか?」

「違うけど……あ、蓮野、ちょっと嫉妬しちゃった? 大丈夫だよ、俺は蓮野以外の女子に色目を使うような不義理な男じゃないぜ」

「気持ち悪いです。って言うか、女子なら良かったのにって話です。それを理由に先輩を遠ざけられるなら万々歳ですから」

「いや、お前から話しかけておいてその物言いはおかしいよね!?」

 なんなのこの娘、思考が読みきれないんだけど。

「まぁ、私の望みが叶わなかったのは残念ですが、ここは良しとします。では」

「ちょ、ちょっと! ホントにそれだけ!?」

 軽く会釈をして立ち去ろうとする蓮野。俺の言葉に首を傾げていた。

「他に何か?」

「あ、いや……特に用事はないんだけど」

「では、次の授業の準備もありますので」

 これ以上引き止める理由もなく、俺は上階へ消えて行く蓮野を見送った。

 くそぅ、適当なフラグでも立つかと思ったら、そんな事はなかったぜ。

『ねぇ、アンタさ。あたしに対する態度と、あの娘に対する態度に大きな隔たりがあるように感じられるんだけど』

『気のせいじゃないかね?』

『実際、アンタはあの娘の事、どう思ってるわけ?』

『貴様には関係ない! よって黙秘権を行使する!』

『……まぁ、別にいいけどさ』

 なんだか八乙女の表情に『ドン引き』の感情が見え隠れしているようだが、俺は全然気にしないぞ!


「おお、いたいた」

 その後、三階の廊下をブラブラと歩いていると、階段を上ってくる人影が。

 俺のお目当ての男子である。

『見つけたのはいいけど、どうするのよ?』

『まぁ、見てなって』

 首を傾げる八乙女を放って、俺はスマホを構え、カメラアプリを起動する。

 そしてすぐさま男子の顔をファインダーに納め、シャッター。

 無音で撮影された風景は、そのまま俺のスマホのフォルダに保存された。

『あれ? 今、音鳴った?』

『鳴ってないよ。鳴らさないようにしてる』

『……まさか、盗撮趣味!?』

『誓って、いかがわしい写真は撮ってない』

 変な疑いをかけられてしまったが、本当にいかがわしい盗撮なんかはしていない。

『この学校じゃ、いかがわしい写真を取る事は規制されてるんだよ』

『この学校だけじゃなくても世間一般的にそうでしょうが。下手すると警察沙汰よ?』

『いやいや、そうじゃなくて。……いや、常識で考えればそうなんだけどさ』

 話の間にも俺はスマホを操作し、今撮った男子の写真を裏サイトにアップする。

 鍵つきのスレッドを立てて、そこに画像を貼り付け、名前に関する情報を募集する。

 これで、しばらくすれば名前ぐらい割り出されるだろう。

『さっきからなにやってるのよ?』

『件の男子の名前を調べてるんだよ。下手にその辺の人に聞いて、俺が情報収集をしていた事がバレるとまずいからな。こうやって不特定多数が集まる裏サイトに投稿して情報を集めた方が幾分か楽だ』

 俺が身辺調査をしていると知れば、あの男子は俺に対して良からぬ感情を抱くに違いない。あんな明らかに不良な男子に絡まれたら、ケンカに弱い俺なんかは一捻りである。

 それを回避するために、出来るだけ脚がつかないように警戒するのは当然だろう。

『で、男子の名前を知ってどうするのよ? さっきの質問の答えを聞いてないんだけど』

『ああ、そうだったな。……おっ、丁度いい』

 俺の立てたスレに名前の情報が寄せられている。ついでに『クソスレ立てんな』と言う罵声も。この程度は挨拶と同じようなものだ、スルーしよう。

 なるほど、三年八組の工藤荒太ね。

 名前がわかったら、次は別の鍵つきのスレにアクセスする。

『俺がチクる場所はここだよ』

『なになに? ……コロポックルスレ? 可愛い名前ね』

『やってることは可愛くないぜ?』

 スレにアクセスした俺は、すぐにタバコの情報と名前、クラスを書き込む。

『これで終了』

『え? これだけ?』

『そう。後はこの情報が欲しいヤツが適当に利用するはずだ』

『なにそれ、意味わかんない』

『まぁ、詳しい話はまた今度話すよ。そろそろ次の授業時間だからな』

 廊下のスピーカーからチャイムが聞こえてきた。


****


 この学校にはコロポックルと呼ばれる組織がある。大げさに言うと秘密組織だ。

 名前の由来は北海道に伝わる妖精で、蕗の下にいるという小人だ。

 言い伝えによると、コロポックルは蕗の下で仕事をしたり、だらけたり、悪戯をしたりするそうだが……俺もまぁ、よくは知らん。

 とにかく、吹上高校の裏で動く秘密組織って所からヒントを得たネーミングだそうだ。既に十年以上も活動しているらしいので、名前の由来も聞いた話ではあるが。

 とにかく、コロポックルという組織があるのである。


『秘密組織ぃ? なにそれ、嘘クサ』

『途中で茶々を入れるんじゃない』

 授業中、説明を求めてきた八乙女に対して、俺がさっきの休み時間に行った行動の詳細について話していたのだが、話の腰を折られてしまった。

『だって、そんな大それた組織があるなんて……』

『あるもんはあるんだから仕方ない』

『具体的に何をしてるのよ?』

『そうだな……例えば、さっきの喫煙事件だが、アレをコロポックルスレに報告すると、その情報が教師に伝わったりする。そうすると、あの工藤と言う先輩に対して持ち物検査が行われるだろう。タバコが見つかれば停学処分などに処されるだろうな』

『それって、ワンクッション置いただけで、教師にチクるのと変わらないじゃん』

『ところがどっこい、そのワンクッションが大事なんだよ』

 コロポックルは生徒だけで構成された組織である。つまり、俺が報告したタバコ情報も生徒の中だけでしか流通しない。

 それを生徒が教師に情報を渡す事になれば、教師に貸しを作る事が出来る。

 この貸し借りが重要なのだ。

『教師に貸しを作り、それを利用して生徒に有利なものを還元してもらう。教師はタバコを吸うような不良生徒を摘発できるし、生徒は教師に融通してもらえる。これでWINWINの関係になるわけだな』

『だから、そんなまどろっこしい事しなくても、直で先生に言った方がいいでしょ?』

『個人がチクれば、どうやったって足がつきやすいんだよ。そのリスクの低減のためにコロポックルが存在してるんだ』

 現在、コロポックルの構成員やその数などは明言されていない。一説には全校生徒の半数以上が所属されているとも、選ばれた十数人だけとも言われている。

 そんな実体のわからない組織だからこそ、情報を報告する側も心理的に報告しやすくなっているらしく、コロポックルに集まってくる情報は虚実合わせて膨大な数になる。

『そんな良くわからない組織の情報を、教師連中がよく信じるわね』

『そこは十数年かけて築いた実績ってヤツだな。教師連中もコロポックルから寄せられた情報ならある程度信用できる、って思ってるらしい。コロポックル側も情報の真偽は出来るだけ調べるようにしてるしな』

『ふぅん……意外と変わってるのね、この学校。でも、それも青春の在り様かな』

『ホント、お前の青春イメージがスゲェ気になるわ』

 幽霊なら他人の頭の中も見れるかもしれないが、残念かな俺は生身の人間だ。八乙女の考えてる事なんかこれっぽちもわからず、そのまま時間は進む。


 やがて放課後。

 教師が教壇に立ち、適当に連絡事項を通達している時間に、俺はスマホを確認する。

 見るのはもちろん、コロポックルスレだ。

『お、よしよし、ちゃんと利用されてるみたいだな』

『わかるの?』

 俺の念話に答えて、八乙女がスマホを覗きに来る。

 スレの最後の方、俺の書き込みに対してアンカー付きで『情報提供感謝』と短いレスが付いていた。

 これはコロポックルの誰かがこの情報を利用したと言う証拠。因みに、この六文字を下手に使うと、コロポックルを敵に回すハメになる。騙りはコロポックルにおいてかなり重罪であるのだ。顔も名前もわからない匿名掲示板だからこそ、守るべきルールと言うのはキッチリしているものだ。

『多分放課後中にでも先輩の持ち物検査が行われるだろうよ』

『でもさ、これをやることで、アンタに何の得があるわけ?』

『言ったろ、教師陣が幾らか、生徒に還元してくれるんだよ』

『そのために個人の顔写真ばら撒くって、結構悪質だと思うんだけど』

 確かに、タバコを吸ってる先輩を摘発しても、俺には何の利益もないように見える。

 実は盗撮は法律的にもギルティであるし、通報したのは匿名の誰かと言う事になっているし、俺に対する個人的な得というモノは一見してわからないだろう。

 リターンに対してリスクが大きい様にも見えるだろう。

『実はな。コロポックルには幹部会というものがある』

『うわぁ、超ダセェ……』

『バカ! 滅多な事を言うな! 生徒個人ぐらい、握りつぶせる程度の権力を持ってるんだぞ! 誰かに聞かれたらどうする!』

 とは言え、八乙女とは念話で話しているので、俺以外に声が聞こえるわけもないのだが。

『その幹部会は生徒一人一人を監視してる。どの生徒がどれだけコロポックルに貢献したか、と言うのを見てるんだ』

『つまり、アンタはその幹部会とやらに認められたいから、せっせとポイント稼ぎしてるわけだ。……小っさいなぁ』

『ぐっ……な、何とでも言うが良い。俺様の遠大なる野望は、幽霊の女子には到底理解出来ぬだろうよ!』

『理解したくもないわ。体制に尻尾を振って得た地位に何の意味があるってのよ。青春っぽくないわ』

『どんな謗りも受けようが、その『青春っぽくない』ってワードはなんだか絶妙にイラっと来るな』

 なんだろう、普通に馬鹿にされるより頭にきちゃうぞ。意味がわからんからだろうか。

『うーん、取り憑く相手を間違えたかなぁ』

『クーリングオフが出来るならそうしたいものだな』

『でも、あたしと波長が合う人間ってあんまりいないみたいなのよね』

『波長が合うと取り憑かれるのか?』

『なんか、そうじゃないと声も姿も届かないっぽい』

 それも今まで取り憑いた相手から得た経験則って事か。

 しかし、だとしたら幽霊に取り憑かれるってのはかなりランダム性の強いモノなんだな。

 俺みたいな霊感の欠片もない一般人が幽霊に取り憑かれるってのも、犬に噛まれるようなものなのかもしれない。

『まぁ、しばらくはアンタに取り憑いてやるから、感謝しなさい』

『幽霊に取り憑かれて感謝するような輩がどの世界に……ん?』

 会話の最中にもスマホを弄り、裏サイトをスクロールしていた指を止める。

 このスレ……。

「や、ヤバい」

 つい、声に出てしまった。

 周りにはバレていないようだが、八乙女には気付かれてしまったらしい。

『どーしたのよ、そんな慌てた顔して』

『ぐっ、貴様なんぞに見られるとは、失態……』

『アンタの失態なんかどーでもいいのよ。それよりも、何があったの?』

 言いながら、八乙女は俺のスマホを覗き見た。

 そこに表示されていたスレは『この生徒の情報求む』と言うスレ。ご丁寧に写真画像まで添付されている。

『これって、アンタが立てたのと同じようなスレよね? でも、この画像って……』

『ああ、俺だよ』

 これは五時間目の授業終わりか。トイレから帰るところを激写されているようであった。

 全く気付かなかった。くそぅ、俺のバカ。

『あっはは、しかも完全に名前も所属クラスも割れてるじゃん! ダッサ! 青春っぽくない!』

『ダサいのは百歩譲って許すから、青春っぽくないってのやめろ』

 八乙女の言葉端に青筋を立てつつ、俺は打開策を練る。

 恐らく、この情報を募ったのは工藤先輩か、彼の仲間だろう。

 俺が先輩の情報を集め、コロポックルスレにタバコの件をチクったのが、どこからかバレたのだ。

 だが、恐らくは写真を撮ったのは工藤先輩とは近しくない人物なのだろう。不良連中なら写真を撮る間に俺を囲めば済む話だ。

 誰か第三者を挟んで写真等の情報を収集し、それを使って俺を割り出そうとしているわけか。……って、そんなことは重要じゃないな。

 俺を探している理由は……十中八九、仕返しだろう。

 最早タバコの事を教師陣に察知され、抜き打ち持ち物検査が実施されたか、もしくは持ち物検査からは逃れられないだろうから、原因を作った俺を探し出してボコる目的だろう。

 これはまずい。

 何せ、俺はケンカが強くない。

 強面に囲まれれば、その場で財布を差し出してしまうぐらいだ。

 授業をサボって体育館裏でタバコをふかすような不良先輩のご学友に囲まれでもしたら……考えるだけで恐ろしい。

『や、八乙女さん?』

『何かね、迷える子羊よ』

 くっ、コイツ、ニヤニヤとこちらを見下してやがる……。調子に乗りやがって……。

 だが、現状で頼れるのはこいつぐらいしかいない。クラスメイトに泣きついても、先輩に睨まれたとなれば助け舟も出してくれないだろう。

『教室の外の様子を窺えませんかね? もし、殺気立った先輩たちがいたら教えて欲しいんですけど……』

『ふふーん、仕方ないなぁ。ちょっくら見てきましょう』

 思いの外、すんなりと要求を受け入れてくれた八乙女は、俺の傍を離れて教室の壁を抜ける。ヤツと視覚を共有してみると、廊下にはまだ誰の姿もない。

 恐らくはまだどこのクラスも帰りのホームルーム中なのだ。

 気になるのは授業をサボるような先輩や、その友人連中が律儀にホームルームに出席しているのか否かと言う事。

『いや、ここはそれに賭けるしかあるまい』

『どうするつもり?』

『シンプルな作戦だ。一、ホームルームが終わった瞬間に、ダッシュで昇降口まで行く。二、そのまま逃げ切る』

 この上なくシンプルな脱出策である。何の奇も衒わないところが、逆に相手の隙を突く作戦だ。これは上手く行く気がする。根拠はないけど。

 そうと決まれば後は完璧なタイミングで作戦を実行に移すのみ。

 最高のタイミングとは即ち……

「あぁ、連絡事項はこれぐらいだな。日直、号令」

 来た、ここだ!

「きりーっ、れーぃ」

 日直の号令が終わると共に、クラスメイトたちはノロノロとガタガタと、帰り支度を自分なりのスピードで始めている。

 だが、俺は違う。

 既に帰り支度は済ませてある。後はカバンを引っ掴んで昇降口へ走るのみ!

『おっ、準備がいいね』

『当たり前だろ! 俺にとっては一分一秒が死活問題なんだ!』

 いつ先輩たちが俺を囲むかも知れないという事態にあって、一刻の猶予もない。

 全ての行動を最適化しろ! 俺史上のベストタイムを更新するんだ!

 全ての予想を上回る行動を見せ付けてみろ!

「うおおおおおおお!!」

 自然と、俺の口からは雄叫びが漏れ、すれ違う生徒諸君は奇異の視線を俺に向けていたがそんな事は関係ない。

 ちょっとでも遅れれば死ぬのだ。そういう心持ちで臨まなければ、学校から無傷で出るのは無理なんだ!

 俺の気合は天にも届いたのだろうか。

 いつもよりも身体が軽いようにも感じられる。

 今なら、今の俺なら……やれるッ!!

 不思議な万能感に包まれた俺は、驚くほどのスピードで昇降口へと向かった。


 その姿は最早風を纏う走りの精霊とでも言おうか。

 自分でも恐ろしいほどの……つい昨日まで筋肉痛で寝込んでいた身体とは思えない程の好調。いや、ちょっと前まで身体の至る所が痛かったはずなのに、今は痛みどころか爽快感に溢れている。

 俺は既に……陸上部のエースすら凌駕する存在となったのだ!

 軽やかな俺の足は、降りの階段を二段飛ばしで蹴飛ばし、フワリと浮く身体はまるで羽根のように宙を舞う。

 俺は、いっそ風となっていた。

 いつもよりも調子の良い身体は、俺の想像の何歩も先を飛び跳ね、昇降口へたどり着いたのは思った以上に早い時間であった。

『ここまで、おおよそ五秒』

『んなワケあるか。ちゃんと数分かかってるよ』

 冷静な八乙女のツッコミが入った。くそぅ、無粋なヤツめ。

 しかし、それでも俺の思った以上に好タイムが出たはず。

 これならば、先輩連中は俺に追いつけないはずだ。

「よし、とっとと離脱しよう……って」

「ちょぉっといいかな?」

 俺の靴箱で上履きから外履きに変えようとした時、俺の周りに黒い影が落ちた。

 見回すと、強面、とは言わないまでも、俺の見知らぬ先輩連中であった。

「な、なにかご用ですか、先輩がた?」

「うん、ちょっとね。お話があるんだけどぉ、ちょっと付き合ってくれないか、な!」

 がっしりと肩を掴まれる。

 万力もかくや、と言う勢いで力が込められている。

 これは……痛い。

 肩が痛いのも確かだが、俺の見通しの甘さが痛い。

 待ち伏せをするなら教室の前だと思っていたが、まさかこちらに網を張っていたとは。

『ちょっと考えればわかった事じゃん』

『うるさい、お前は黙ってろ』

 他人事のように言う八乙女。チクショウ、ヤツにとってはホントに他人事だよ!


 連れて来られたのは体育館裏。

 こうなると、教室から昇降口の間で異常に好タイムを出した事が裏目に出てしまった。

 昇降口付近には誰も居らず、俺たちが移動するところを誰も見ていない。

 つまり、俺がここに連れて来られた事を、誰も察知しないわけだ。助けは見込めない。

「さて、お前がどうしてここに連れて来られたか、わかってるよな?」

 先頭を歩いていた一人が、俺に振り返る。

 勝ち誇った笑みが顔に張り付いてやがる。実際、俺は極めて劣勢。勝機はほぼない。

 前方に一人、後方に三人。合計四人の三年生に囲まれて、無事に帰れと言う方が無理だろう。

 いや、正直、ボコられる。

「おい、聞いてんのか、こら?」

「ぐっ」

 肩を突き飛ばされ、俺の身体は大きくよろける。

 そして間髪いれずに後ろから背中をド突かれ、バランスを崩した状態では立っていることも出来ずに膝を折った。

「テメェ、工藤くんのタバコの事、チクったんだってな?」

「知りませんね。何のことやら」

「お前が裏サイトで工藤くんの事を嗅ぎまわってたのは知ってんだよ。その直後、教師たちから持ち物検査だ。こりゃ、お前が関わってるってショーコだよな?」

 チッ、やはりバレていたか。

 何か別件で俺の事を探ってるヤツがいるのではないか、と甘い考えをしてみたが、そうは問屋が卸さないらしい。

「工藤くんは俺らの友達なわけよ。そんな工藤くんがハメられて、黙ってられるわけねぇよなぁ?」

 俺が立ち上がろうとするのにあわせて、周りの連中はジリと近寄ってくる。

 流石に逃がす隙はそうそう見せてくれないか。

 どうする……どうする……。

『ねぇ、アンタさ』

『なんだ、今忙しいんだけど!』

 急に八乙女に声をかけられ、苛立たしげに返答する。

 今にも上級生の拳や蹴りが襲い掛かってきそうな雰囲気なのだ。和やかに談笑なんて出来やしないのは、八乙女もわかっているだろう。

 ……だとしたら、俺に声をかけた理由は何だ?

『あたしが助けてやろうか?』

『あ? ……あぁ!?』

 自分でも驚くほど綺麗に二度、問い返していた。

『助けるって……お前、この状況、どうにかできるのか?』

『あたしとアンタが初めて会った時の事、忘れたの?』

 そう言えば、初めてコイツと出会った時、俺は数人の暴漢に襲われていた。

 それを助けてくれたのは、何を隠そう八乙女寅子その人である。

 しかし、その後三日ほど寝込む結果になった。結局、殴られるぐらいの痛みを長々と味わったのだから、多分プラマイゼロだ。

『また筋肉痛は勘弁だぞ! 水を飲むのも苦痛だったんだからな!』

『だぁいじょーぶよぉ。今回は手加減してやるわ』

 チラリと八乙女の顔を見ると、何かを企んでいるような顔をしている。

 コイツを信用して良いのだろうか……。

「じゃあ君さぁ、ちょっと地獄、見よっか」

 俺が判断を下すより前に、目の前にいた三年生が拳を振り下ろしていた。

 くっ、選んでいる余裕はないか!

『八乙女、頼む!』

『りょーぅかい』

 八乙女の声が聞こえた途端、全身の感覚が遠のく。

 俺の感覚が身体から離れきる直前、頭部に衝撃。どうやら殴られてしまったらしい。

『い、痛い……ってほどではないな』

「こっちは結構痛いわよぉ」

「あ?」

 俺の声が、俺の口以外から聞こえた。

 見ると、俺はフワリと浮遊感に囚われている。

 俺の背中が見えた。

『俯瞰している……? 幽体離脱したのか!?』

「アンタはそこで見てなさい。あたしが今から、コイツらを一網打尽にしてやるわ」

「なんだ、コイツ……喋り方キメェ。オカマかよ。へっ、笑える!」

 ニヤニヤと笑いを浮かべながら、目の前にいた男子はもう一度俺に拳を向けた。

 しかし、俺――八乙女はそれを軽く弾き飛ばす。ボクシングのパリィと言うヤツだろうか。

 とてつもないハンドスピード、と言うわけではない。だが、恐ろしく自然な動作ゆえに、拳を放った男子すらも自分の拳が弾かれたとは思っていなかったらしい。

 そんな男子が呆けている隙、ほんの一瞬の間に、

「あ……がっ」

 コンコン、と二度、音が鳴る。

 それほど軽い音ではなかったが、人を殴った音だと気付くまで数瞬かかった。

 目の前の男子の顔が跳ね上がり、地面に引かれるように尻餅をついていた。

「あ……れ?」

「顎ががら空き。反撃されないとでも思った?」

 八乙女が俺の顔でニヤリと笑う。

 恐ろしく正確なフックが二発、男子の顎を捉えてクリーンヒットしたのだ。

 痛みはそれほどないかもしれないが、頭が揺らされ、平衡感覚を一時的になくしているのである。

 そんな立ち上がれない男子に向けて、八乙女は足の裏を向ける。

「一人目ぇ」

 前蹴り、である。ケンカキックとも言う。

 足の裏は男子の顔面にめり込み、更に押し付けるように体重を乗せ、後頭部が地面にぶつかり、それでもまだ足は顔から離れない。

 地面にぶつかった反動で浮き上がろうとする首を、更に押し付けた足は、その衝撃を逃さない働きをした。

 端的に言うと、普通に蹴るよりダメージのある攻撃をしたのだ。いや、いっそ蹴ったのではなく、踏み潰したと言っていい。

「グガッ……!」

 足の下で男子はうめくような声を出す。

『マジかよ……』

 流れるような反撃。それに俺を含め、八乙女以外の人間は呆気にとられていた。

 しかし、すぐに気付いた他の男子が殺気立つ。

「て、テメェ、状況わかってんのか!」

「死にてぇみたいだなぁ、おいこらぁ!」

 八乙女の背後に控えていた男子三人が、すぐに拳を握り締めて襲い掛かる。

『八乙女! 後ろ……!』

「わかってるわよ、そんな事ぐらい」

 ゆるり、と八乙女が振り返る。

 既に二人の男子が八乙女へと迫っていた。

 避ける暇もない。拳が当たる。

 そう思ったのだが、八乙女はフワリと身体を浮かせる。

 軽やかなバックステップ。しかし、着地点には先ほど顔面を踏み潰した男子が。

『危ないぞ、八乙女!』

「いちいちうるさいわよ、いいから、見てなさい」

 俺の警告を軽く受け流し、八乙女はまたも倒れ伏している男子を踏みつけ、更に後方へと飛びのく。

 襲い掛かっていた男子の拳は空を切り、しかし追撃をしようにも倒れている男子が邪魔で、踏み潰すわけにもいかず、攻撃は中断されてしまった。

 八乙女と男子三人の間に間合いが開く。

「この身体の限界も考えながらケンカしないといけない、か。ふむ、それも一興よね」

「コイツ……ケンカ慣れしてるのか」

 男子三人組の一番後方にいた男子が呟く。

 どうやら彼は冷静な観察眼を持っているらしい。

 状況を俯瞰している俺が、一番状況を把握しているが、彼の言う通りだ。

 八乙女は異常にケンカ慣れしている。

 身体の動かし方、敵の倒し方、攻撃の回避の方法、こちらを有利に転がす状況展開。

 何よりも敵に囲まれた状況に動じない胆力と、正確な行動選択。

 三年生男子を手玉に取るその手腕は、恐るべきものであった。

 しかし、これ以降もそれが維持できるのか?

 一番後ろの男子が気付いたのと同時に、他の男子連中も気付いたはずだ。

 八乙女は一筋縄ではいかない相手だ、と。

 警戒を始めた敵に対して、八乙女はどう出る?

『八乙女、この状況なら逃げられる。体育館裏をぐるっと回れば、昇降口にいけるはずだ。これ以上、ケンカを続ける必要はない』

「バカ言わないでよ。こちとら一発殴られてるのよ? その落とし前はつけさせなきゃ」

『一人伸しただけで充分だ! これ以上のリスクは必要ない!』

「アンタ、わかってないわね」

 八乙女は男子との距離を測りつつ、ため息をついた。

「ケンカってのはね、どっちかが全滅するまで、終わらないのよッ!!」

 身を低くして、八乙女は一番手近だった男子へと走りこむ。

 迎え撃つように、男子は拳を向けてくるが


――一閃――


 強烈なカウンターが男子の顔面を捉えていた。

 八乙女の方は男子の拳を易々と避け、カウンターを受けて白目を向いた男子の身体を盾にするように回り込む。

 こうする事で攻撃後の隙を潰したのだ。倒れいく男子が邪魔で、他の二人は八乙女に手が出せない。……いや、高校生のケンカでそれほどシビアな隙を狙ってくるような輩がいるかは知らんが。

 ともかく、八乙女は体勢を整えるだけの余裕を得た上で、次の獲物に目をつける。

 それは、なんと今まさに白目を向いて倒れようとしている男子。

 既に戦闘不能になっている相手に対して、追撃を加えようとしているのだ。

 前のめりに倒れる男子の顔面を思い切り蹴り上げる。

 サッカーボールでも蹴るかのような、豪快な蹴り。

 男子は口から血を撒いてグルグルと回転し、土の地面に沈んだ。

「う、……」

「お、おい……」

 残りの男子は目に見えて引いている。

 そりゃそうだ。既に気を失いかけている相手に対して追撃をする理由が思い当たらない。

 俺だってちょっと引いてる。

「退いたわね」

「なっ……?」

「なに……?」

 ジリ、と退いた男子二人。その挙動を八乙女は見逃さなかった。

「気圧されてるわね、このあたしに。ケンカは気持ちの勝負よ。それで負けてるなら、その勝負は勝てないわ」

「な、何を言ってるんだ、コイツ」

「ヤベェ、ヤベェよ……」

 最早戦意の欠片すらもない男子二人は、完全に逃げ腰である。

 きっと普通は目に見えないオーラを八乙女から……俺の身体から立ち上るように見えているだろう。

「仕上げといこうか」

 呟くと同時、まるで水が流れるように、風が吹くように、それは自然であるかのように、八乙女は男子の前に踏み出していた。

「ひっ……」

 短い悲鳴を上げた男子だったが

「ぐぶっ……!!」

 すぐにカエルの鳴くような声に変わる。

 突き刺さるように腹部へと放たれたボディブロー。

 鳩尾を的確に捉えており、男子の呼吸を阻害する。

 更に、くの字に折れた身体の、一番狙いやすい場所、即ち側頭部に向けて鋭いフックが襲い掛かるのだった。

 テンプルを打ち抜かれた男子はよたよたと地面をふらつき、そして糸が切れたように倒れた。

「う、う、うわああああ!!」

 そこで限界だったのだろう。

 一人残った男子は、そのまま背を向けて逃げ出そうとする。

「逃がすかぁ!!」

 しかし、既に肉食獣の爪は留まる所を知らない。

 逃げる男子は恐怖心ゆえにもつれる足、対する八乙女は哀れな捕食物を狩るかの如く。

 俊敏な動きで男子の背後に迫り、その襟首を掴んだ。

「ぐぇ……ッ!」

 その時、男子は何を思っただろうか。

 俺には推し量る事も出来なかった。

 八乙女は間髪いれずに、間合いに収まった男子の首に腕を回す。

 そのまま引っ張れば、男子は仰向けに倒れるだろう。

「これで終わりよ」

 そこに向けて、無慈悲なエルボーギロチン。

『な……南無』

 俺にはもう、手を合わせるしか出来なかった。


****


『はーぁ、いやぁ楽しかったわねぇ』

『どこが! なにが!』

 やたら清々しい顔をして、俺の周りを浮遊している八乙女に対して、俺の方は冷や冷やモノである。

 一応、八乙女から身体の主導権は奪い返したが、その後でまた強烈な筋肉痛に襲われては溜まったものではない。

 だが、恐れていたそれは訪れず、今のところ平穏無事であった。

『なによぅ、誰のお陰で助かったと思ってるの?』

『ぐっ、そりゃそうだが……何もあそこまでやる必要はなかっただろ』

『言ったでしょ、ケンカってのはどっちかが全滅するまで続くものなのよ。……それに』

 意味深に間を置いた後、八乙女は俺に顔を近づける。

 うっ、ちょっとドキッとしてしまった俺が許せない……。

『誰かがアンタの事を見てたわ。誰かは知らないけど、あの場にはまだ何人かの視線があった』

『は、はぁ? 誰もいなかっただろ?』

『あたしも姿は確認してないけどね。でも、あの場所なら姿を隠しながら私たちを見ることが出来る箇所が幾つかあったでしょ』

 考えてみれば、あの場所は体育館裏と称されるエリアの中でも、割かし校舎に近い場所であった。あそこならば校舎の中から様子を窺うことも可能だったかもしれない。

『そんなヤツらにも、アンタが強いんだぞって思わせれば、きっとアンタが絡まれることも減るでしょ?』

『お、お前、そこまで考えて……』

『まぁ、半分以上はあたしの趣味だけどね』

 趣味がケンカの女子なんて絶対に嫌だ……。


 そんなわけで、筋肉痛後、即ち八乙女と出会ってから初めての登校日が終わった。

 因みに、八乙女の目論見どおり、俺の評判は『ちょっとケンカが強いヤツ』と改められたらしく、工藤先輩本人や彼の関係者などからの接触は、これ以降なかった。

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