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『スマホばっかり弄って、なにやってるのよ?』
「お前を除霊する方法を検索してるんだよ」
教室に到着し、朝のHRが始まるまで、俺がスマホをポチポチしていると、近くを浮遊していた八乙女が覗き込んでくる。
正直、鬱陶しい。
『もぉ、こんなに可愛い女の子が取り憑いてやってるのに、何が不満なわけ?』
「自分で自分の事を可愛いとか言うヤツにまともなヤツはいない」
『根性曲がってるわねぇ。本当は嬉しいくせに』
くそっ、言動がいちいち鬱陶しい。
いや、だが八乙女の顔面偏差値は思いの外悪くはない。
幽霊のクセに輪郭までハッキリしている八乙女は、指先まで綺麗に可視化されている。幽霊のクセに自己顕示が激しい輩だ。そんな八乙女をマジマジと見ると、まぁこれが皮肉なほどに可愛いわけだ。
目はまん丸と大きく、幽霊のクセに朱の差したような頬は血が通っているのを窺わせる。
薄紅の唇は瑞々しく見え、首から下のスタイルだって出るところは出て引っ込む所は引っ込んでいる。しかも下品でない程度に女性らしいのだから、生前はモテたのだろうなと思わせるぐらいであった。
だがコイツの鬱陶しい口ぶりの所為で、プラマイゼロと言ったところか。
『それに、あたしはホントに悪い霊じゃないのよ? 現世への未練だって、それほど悪い願望じゃなかったでしょ?』
「……確かに、青春を謳歌したいなんて、真っ当な理由過ぎて逆に嘘くさいな」
『嘘じゃないし! えーと、あとはホラ、あたしは便利な能力を持ってるのよ?』
「便利な能力? 身体が小さくなるとか?」
『幽霊がそれやって、なんの得になるのよ。そうじゃなくて!』
八乙女はコホンと小さく咳払いをし、俺が聞いてもいないのに能力の説明をし始めた。
『まず第一に、取り憑いた相手と念話が出来るわ』
「ネンワ? なんだそりゃ?」
『簡単に言うと、何の機械も端末も必要ない電話だと思えばいいわ。アンタは念じるだけであたしとコンタクトが取れる。もちろん、これはあたしとアンタだけにしか通じないけれどね』
「つまり……」
説明を聞いて、俺は口をつぐんで八乙女に伝わるように頭の中で念じる。
『これも伝わってるって事か?』
『バッチリ、聞こえてるわよ』
『なんだとぅ……そういう事は早く言えよ!』
『アンタが聞こうとしなかったんでしょうが!』
うぐっ、それを言われると痛い……。
しかし、この念話とやらが通じるなら、俺が払っていた細心の注意が全くの無駄になってしまう。
これまで八乙女に話しかけられて、それに対応するのに、俺だけが言葉に出していては他人から変に思われる。それを避けるために、出来るだけ周りに人がいない所を狙って返答していたのに……。
『無駄な苦労だったわね』
『くそぅ……』
まさに徒労というヤツか。ちゃんと八乙女の話を聞けばよかった。
『あたしの能力について、話を続けるわよ。第二に、アンタとあたしで感覚の共有が出来るわ。距離にして数十メートルくらいかな。その範囲内で視覚、聴覚、嗅覚を共有する事が出来るの』
『するってーと、お前を女子更衣室に潜り込ませて視覚を共有したら、秘密の花園をピーピングできるって言うのか?』
『そんな事要求したらすぐさま呪い殺してやるけどね』
うわ、目がマジ、声がマジだった。
これは下手に要求できないな。
『そして第三に、両者の合意の上でアンタの身体をあたしが好きなように動かす事が出来る。これは最初に会った時に体験したわよね』
俺が二日間も寝込む原因になったあの件か。
確かに、あの時は俺の意思とは関係なく、身体が動いていた。アレはコイツの能力だったって事か。
『いや、待てよ? 両者合意の上ってんなら、最初の時はどうなる?』
『あの時、アンタはあたしに助けてって求めたわよね? それが合意ってみなされたんじゃないの?』
な、なるほど、溺れる者は藁をも掴むというが、俺は必死で掴んだ藁によって現在まで続く痛みを背負い込まされたのか。
『まぁ、今後はちゃんと加減してやるから、安心しなさいよ』
『出来れば、もう身体を乗っ取られるような事態にならない方を期待したいね』
アレから変なヤツらに追い掛け回されるような事はないが、二度とないとも言い切れないからなぁ。
『とにかく、あたしはこんなに便利な能力を持ってるのよ。しかも可愛い! これは他に類を見ない良物件ですよ、お客さん!』
『誰が客だ。……だが、確かに面白い』
確かに八乙女の能力は便利だ。
この能力があれば俺の目的も楽にこなせるかもしれない。
『八乙女寅子。俺はお前の念願成就――即ち成仏に協力しよう。だが、お前も俺の要請には出来る限り協力してもらう』
『そうこなくっちゃ! くふふ、長い付き合いになりそうね』
『そうはならない事を願いたいがね』
利用できるのならば使わせてもらおう。
これで八乙女と俺との契約は成立した。
****
『そう言えば八乙女』
『んぁ?』
授業中、暇そうにプカプカと浮遊していた八乙女に話しかける。
『お前、自分の能力について把握していたようだが、それを試してみる機会でもあったのか?』
そうでなければ、あれほど詳しく自分の力について把握しているのはおかしい気がする。
何と言っても本当の超能力だ。幽霊の能力に対して超能力なんて言葉が当てはまるのかは知らんが。
『まぁ、試してはみたわよ。アンタの前にも何人か、取り憑く相手はいたしね』
『ほぅ、俺の前にもいたのか』
『……何? 悔しい? アンタが初めてだと思ったぁ?』
『ウザい言い方をするな。単純に興味がわくだけだよ』
『チェー、ちょっとはジェラシー感じてくれれば可愛げだってあるのに』
お前に可愛げ何ぞ覚えられても得は無い、とは思ったが伝えないでおこう。
『アンタの前に取り憑いた人間は確かにいたけど、アンタほど肝が据わっちゃいなかったわね』
『どういう意味だよ。確かに俺は胆力溢れる豪気な男だとして有名だが――』
『アンタみたいに幽霊を目の前にして取り乱さないような鈍感男じゃなかったって事よ』
『テメェ、人の言葉を遮った上にディスるとは……』
『事実でしょ』
『いいや、事実とは異なる』
俺が幽霊である八乙女を前にして、何の反応も見せられなかったのは、単にタイミングを逸していただけだ。
俺の身体が八乙女に乗っ取られ、操られた後は筋肉痛による気絶、その後は身動き一つ取れないほど寝込んでいた。
寝込んでいる間に八乙女の姿は確認していたが、痛みによる幻覚か何かかと思っていたくらいである。そんな人間にまともな『幽霊に出会った時の反応』が出来ると思う方がおかしいだろう。
しかも、八乙女が幽霊だと理解してからは、今から驚いたり怖がったりする方がおかしいと思ってしまっていた。故に、俺は八乙女を最初から怖いとも恐ろしいとも思わなかったわけである。
『つまり、お前が現れるタイミングが悪い』
『人の所為にすんな』
スカっと八乙女の拳が俺の頭を素通りした。
コイツ、ホントに幽霊なんだなぁ、と実感する瞬間である。
『それはともかく、八乙女』
『何よ?』
『お前の能力を正確に評価するために、ちょっとやってもらいたい事があるんだが』
『正確に評価? どういう意味よ?』
『例えばお前の感覚の共有と言う能力だが、数十メートルと言うあやふやな範囲じゃ心許ない。そこで、どの程度ならば安定した能力が発揮できるのか、と言うのを調べるためにも、ちょっとお使いに行ってほしいんだよ』
『ホントに女子更衣室に覗きに行け、なんて言うつもりなら……わかってるでしょうね』
『そんな命知らずな要求はしないよ。俺だって命は惜しい』
本当に呪い殺せるかどうかはわからないが、そのわからない部分に命を賭けるほど馬鹿でもない。
要求は至極簡単なものだ。
『ちょっと体育館の裏を見てきてくれないか』
『体育館の裏? 何でそんなところを?』
『いや、ちょっとね。不良共のたまり場になって、タバコでもふかしてるヤツがいるんじゃないかと思って。そんなヤツらの弱味を握れば、面白そうだろ』
『アンタ、地味な顔して下衆な事考えるのね』
『地味な顔とか言うな。傷つくだろうが』
実際、あまり特徴のない顔だとは思うが、俺はそれはそれでチャームポイントだと思い込んでるんだからな。
『まぁ、それぐらいならお安いご用よ。ちょっと待ってなさい』
そう言って、八乙女はフワリと浮いて教室の壁を通過していった。
そして数分後、頭の中に八乙女の声が届く。
『聞こえてる?』
『ああ、念話って便利だなぁ』
『そうでしょうそうでしょう、もっと崇め奉りなさい』
『それはともかく、状況はどうだ?』
『視覚を共有するわよ、良い?』
『おう。……あ、いや、ちょっと待て』
ふと、俺の頭に不安がよぎる。
『その視覚共有とやらをした場合、俺が今見ている視覚情報はどうなるんだ?』
『良くわからないけど、大丈夫じゃない?』
『なに、そのふんわりした回答!? 怖いんですけど!?』
『だって、あたしが取り憑かれた側の事なんて知るわけないじゃん』
そりゃそうかもしれんが、嘘でも大丈夫って言ってくれよ……。
『まぁまぁ、それも試験だと思って、試してみなよ。男は度胸よ』
『言い回しが古いぞ。……まぁ、やってみない事にはどうしようもないからな』
八乙女の能力を利用するためにも、ここは実験しておいて損はないだろう。
『始めてくれ』
『りょーぅかい』
八乙女の軽い返事が届いた後、すぐに俺の脳裏に見た事もない映像が浮かぶ。
「うお!?」
「……ん? どうした?」
「え? あ、いえ」
驚いて声を出してしまった。教師がこちらを怪訝そうに見ている。
「何でもありません」
「机の下で携帯電話でも弄ってたか? 没収するぞ?」
「違いますよ。俺みたいな模範的な生徒がそんな事をするワケないじゃないですか」
「……まぁ、面倒だから見逃す。授業を続けるぞ」
ふぅ、何とか誤魔化せたか。
しかし……
『すごいな。お前、飛んでるのか』
『ん? 当然じゃん?』
恐らく、俺の頭の中に映し出されたのは、八乙女が今見ている風景。
それは体育館を俯瞰し、屋根全体を見渡せるほどの高度からの映像であった。
『アンタ、あたしがどういう状況か見てなかったの?』
『いや、考えてみれば当然なんだが……やっと実感したというか、俺も自由に空を飛べたらこんな感じなのかな、とか思ったりした』
『実際に飛んでみると、不安の方が大きいけどね』
『そんなもんか?』
『ええ、地に足が着いてる、ってのは幸運な事よ』
幽霊の心持ちがチラリと垣間見えた気がした。
それはともかく、だ。
『それで、不良らしき人物はいるか?』
『ええ、あそこに一人、本当にタバコをふかしてる男子生徒がいるわね。あぁ、体育館裏で喫煙とか、なんだか青春よね~』
『そ、そうか……?』
多少引いてしまった俺を他所に、八乙女がとある一点を注視すると、確かに体育館の裏に紫煙を燻らせている生徒がいる。
学章の色からするに三年生か。
『名前はわからんか?』
『あたしがこの学校の生徒を知ってるわけないでしょ』
『そういう便利な能力はないモノかね?』
『あたしはネコ型ロボットじゃないの。何でも出来るわけじゃないのよ』
『ちぃ……じゃあ、生徒手帳を盗み見る事は出来ないか?』
『あの手の生徒が生徒手帳なんてまともに持ってると思う? あたしは望み薄だと思う』
確かに、ご丁寧に生徒手帳なんて持ってるところは想像できないか。
『……いや、わかった。顔がわかっただけでも良しとしよう』
『じゃあ、もう戻っても良いの?』
『ああ、大丈夫だ』
『それで――』
顔は見えないが、八乙女がニヤリと笑った気がした。
『この弱味を、どう使うつもりかしら?』
『俺が脅しでもすると思ってるのか? 俺は地味な一生徒だぜ? 怖い不良を相手に脅しなんかするわけないだろ』
『でも、使いようはあるから、この情報を掴ませたんでしょ?』
案外、八乙女も鋭い。
単純に利用できるかとも思ったが、そうはいかないか。
ここは、今後の関係を鑑みてもある程度教えておいた方が良さそうだな。
『帰って来い。授業が終わった後にでも話してやるよ』
『そりゃ楽しみだわ』
八乙女は口の中でクツクツと笑っていた。
ヤバいな、コイツ、ちょっとワルだぞ。




