3-2
弁当の味が思ったより美味かった所為か、はたまた別の原因か。午後の授業はほとんど頭に入ってこなかった。気がついたら既に放課後になっていた。
「邪魔だから早く机片して」
教室の掃除当番であった女子にそう言われ、俺はやっと正気を取り戻したわけである。
思ったより、八乙女の言葉が効いているのか? この俺に? そんなバカな。
あんな幽霊が一人、俺の肩から外れたところで、大した損失でもない。
幽霊に取り憑かれる前の、普通の俺に戻るだけだ。なんてことはない。
むしろハッピーではないか。幽霊なんて取り憑かれてない方がマシだ。
……しかし、何だろうこの背後のスカスカした感じ。
急に背中の支えがなくなった感じ。
「チクショウ、なんだってんだ」
苛立ちを言葉にして吐き出しつつ、俺は図書室へと向かった。
理由は一つ、アン先輩に呼び出しを食らっていたからだ。
俺がコロポックルのエージェントになった以上、彼女はコロポックルの先輩でもあり、上司でもある。ご命令とあれば即参上せねばなるまいよ。
べ、別に気を紛らわそうってんじゃないんだからね!
と、誰にともなく言い訳をしつつ、図書室のドアを開ける。
今日は放課後すぐにやってきたこともあって、図書委員の司書や利用客などもそこそこいる。だが、変わりないのは窓際の席に陣取っているアン先輩だ。
俺は彼女の対面に腰掛ける。
「お呼びでしょうか、先輩?」
「ああ、良く来たね」
窓の外を見ていたアン先輩は、俺に作り笑いを向けた。
いい加減、このバリバリの作り笑いにも見慣れたものだ。
「今日は君に二つ、伝える事がある」
作り笑いを貼り付けたまま、アン先輩は俺にピースサインを見せた。
「まず一つ、君には仕事を請け負ってもらいたい」
「またでっち上げ事件の調査ですか?」
「ははは、根に持つね。今回は君を騙すような仕事じゃないよ。真っ当なもんだ」
コロポックルの仕事が真っ当であってたまるか、とは思うが、ここは口を挟まないでおこう。
「君は学生ブロマイドの事を知っているかな?」
「ええ、もちろん。それが今、ちょっと問題になってることも含めてね」
「なら話は早い」
蓮野から聞いた話だ。学生ブロマイドにいかがわしいものが混じっていると言うアレ。
かなりタイムリーな話だが、まさかアン先輩からその事を話題に出されるとは思っても見なかった。
「君にはその事件の犯人を調べ上げてもらいたい」
「コロポックル情報部でも、犯人は特定できていないんですか?」
「すまないが、黙秘させてもらうよ」
作り笑いのポーカーフェイスは、真意が読み取りづらいな。
しかし、情報が命のコロポックル情報部が、そんな大事な情報を仕入れ損なっているとは考えにくいか。
「また裏取り的な仕事ですね」
「いや、ちょっと毛色が違うんだが……まぁ、想像は好きに任せるよ」
歯切れの悪いアン先輩と言うのも奇妙なものだ。
「仕事の情報については、後でメールで送るよ。報酬も用意してる」
「ありがたいこってすね。……んで、もう一つの話ってのは?」
「そうだね。……君は我らコロポックルに情報部と対立する武力部があるのを知っているかな?」
「前に話に聞きましたよ」
コロポックルには大きく別けて二つの派閥がある。それが情報部と武力部だ。
情報部はアン先輩や俺が所属しているような、情報を主に扱い、教師や生徒の弱味を握ったり、利益を提供したりしてその地位を守っているが、武力部は単純に暴力で以ってその存在を示している。
当然、ガラの悪い連中ばかりが武力部に集まり、かなり世紀末な雰囲気が漂っている……と見せかけて、その実かなりの縦社会であり、統制は物凄く取れている。
情報部は横のつながりが強いが、武力部はその逆と言う事だ。
こんな風に、様々な面で真逆の方向性であるのが情報部と武力部である。
コロポックル内で対立する派閥があるのは良くない事かと思われるかもしれないが、競争相手がいる分、小さな諍いはあっても全体的な均衡は取れているのが現状である。
しかし、それも危ういバランスであり、ちょっと隙を見せれば、その途端に噛み付かれるような緊張感もある。いやー、ドキドキしますね!
「その武力部が何か?」
「君、武力部のトップに目を付けられているよ」
「……はぁ!?」
自分でも驚くほど頓狂な声が出てしまった。
静かな図書室の中で間抜けに響いてしまったのは、かなり赤面に値するが、俺としてはそれどころではない。むしろ蒼白になってしまう。
「ど、どうして俺が!?」
「さてね。私には推察しかねるけど……」
言葉を濁らせない分、これは本音と見て良いのだろうか。
「ともかく、君が武力部のトップである番田長助に狙われているのは間違いない。君には身に覚えがないかい?」
「そんな、俺なんてこれと言って論う所もない普通の生徒ですよ? 番長に目を付けられるような事なんてこれっぽちも……」
本当に見当がつかない。
番田長助と言う人物については、話に聞いた事がある程度だ。実際に会った事もない。
だというのに、俺の何が彼の不興を買ったというのか。全く及びもつかないことである。
混乱する俺を前にして、アン先輩はいつもの作り笑顔で俺を見る。
「でも、狙われているって言う実感はあるでしょ?」
「そんなもんありません……いや、待てよ?」
考えてみたら、幾つかある。
ちょっと前の出来事であるが、街中で唐突にガラの悪い連中に追い掛け回された事があった。八乙女と初めて出会った時の話だ。
俺には何の非もなかったはずなのに、急に追い掛け回されて、なんて厄日だと思ったのを鮮明に覚えている。
それに、その後、タバコを吸っていた先輩を暴露した時。あの時、報復に現れた三年生の集団に、コロポックルの武力部の人間がいた事を、後々になって教えてもらった。
話を聞いた時はアン先輩の差し金かと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
偶然紛れ込む事はありえない話ではないが、誰かの思惑と言うこともまた、ありえない話ではない。もしかしたらあれも一環なのではなかろうか?
いやしかし、だとしたら何故?
「現状は君も安全だ。何故なら君は思いの外、喧嘩が強い」
「そりゃどうも」
「いつぞや、タバコの件の時に見せた動きは、武力部を牽制するほどのモノだった。並の構成員じゃ太刀打ちできない、と番田も思ったんだろうね」
あれは八乙女が俺に憑依したからできた動きだったが、どうやらそれが原因で、最近の俺の生活は平穏で保たれていたらしい。
滅多やたらに構成員をけしかけて、それが全員返り討ちにあえば、武力部と情報部の勢力バランスに影響を与えないとも限らない。
慎重を期すならば、危うきには近寄らないべきだと、俺は図らずも予防線を張る事に成功していたらしい。
逆に言えば、アレがなければ今も武力部に狙われ続けていたと言う事か……。いや、その前にボッコボコにされて再起不能になっていたかもしれない。想像するだに恐ろしいね。
「だが、そろそろ武力部に動きが出てきた」
ピッと人差し指を立てたアン先輩は言葉を続ける。
「並の構成員で太刀打ちできないのならば、並々ならぬ猛者を送りつけよう、と画策しているのさ」
「俺みたいな取るに足らない人間に? オーバーキルはどうなんですかね?」
今まで武力部が俺に襲い掛かるのを躊躇っていたのは、その名誉にケチがつくのを恐れていたからだ。だとするならば、三下の俺相手に幹部クラスをぶつける事だって、評判を悪くする恐れがあるだろう。
ヤツらは弱い者いじめをする、何の矜持もない集団だ、と。
しかし、俺の下馬評は俺が思っていたよりもオッズが高いらしい。
からかうようにアン先輩が笑った。
「ご謙遜を! 君はアレだけの動きが出来る人物だと、そういう武傑だと思われているという事さ! そしてそれは事実、だろう?」
俺は首を傾げるだけにとどめる。
「まぁ、私は君が武力部の連中にやられるほど、ヤワな人間ではないと思っているけれど、注意しておくに越した事はないよね。もし、武力部のトップランカーが数人で君を囲めば、その時はどうなるかわからない」
「やめてくださいよ、恐ろしい」
「これは私からの忠告だよ。番田長助を含め、武力部の動向には注意した方がいい」
「注意するって言っても、俺にはどうしようもないですよ」
「まぁ、危ない所には近づかない事だね」
「これからブロマイドの事件の事を調べるって言うのに、危ない所に近寄るなとはこれいかに」
「程々にって事だよ。君以外にもブロマイド事件の事に関しては、数人に仕事を頼んである。君だけが無闇に頑張る必要はないんだよって事」
なるほど、あんまり危なそうなら引き返すって手もあると言う事か。
その分、報酬はなくなるだろうが、命あっての物種である。いや、死ぬような事にはならないと思うけど。
「私からの話はそれだけ。じゃあ、お仕事に励むように」
手をヒラヒラと振って、アン先輩は図書室を出て行ってしまった。
……さて、俺はどうしたモノか。
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暇だったので、アン先輩から仕事の詳細メールが来るのを待つ間、図書室で暇潰しをする事にした。
こういう時は、適当に本棚から引き抜いた本を読むのが良いのだが……今日手に取ったのは、歴代部活の活動報告であった。
その内、一昨年のモノが手に当たったので、それを引っ張り出し、窓際の席まで持ち帰って開く。
開いたページは何の因果か、超常現象研究部の報告ページであった。
幽霊に取り憑かれている身としては、なんとなく親近感を覚える部名であったが、我らが吹上高校にこんな部活があったとは知らなかった。
その年の研究内容は『幽霊との交信』であった。これほどの偶然に恵まれてしまうと、誰かの意図が働いているのではないかと勘繰ってしまう。
しかし、周りを見回しても特に怪しい人物はいないし、そもそも二年前の超常現象研究部がこの題材を選ぶ事、そして俺みたいな人間がこの本を手に取り、ぱっと開いたページがこの部活の報告である事まで予測できるような人間がいるならば、それは神算鬼謀を身につけた稀代の天才鬼才であろう。
そんな人間が吹上高校にいるわけもない。これは奇跡的な偶然なのだ。
報告内容を読んでみると、彼ら曰く、幽霊との交信には二通りの条件が考えられると言う事らしい。
一つは生身の人間に備わっている霊感、これが特別強い事。
霊感の強い人間は普通に幽霊を認識する事が出来るし、その言葉を聞き、意志を汲み取る事が出来るそうだ。
霊感というモノがある、と言う話が既に眉唾であるが、幽霊を認識してしまっている俺がそれを訝ると言うのも変な話か。
続けて読み進めると、二つ目の条件と言うのは幽霊とのリンクであるらしい。
幽霊とのリンクと言うのは、特別霊感の強い人間でなくとも、幽霊と何らかの感情的、もしくは霊的な波長が近くなる事、ないしは完全に重なる事で、幽霊との交信が可能になると言う話であった。
例えば、イジメを苦に自殺した自縛霊がいたとしたら、同じようにイジメに遭って苦しんでいる人間がいた場合、幽霊の言葉や意志を汲み取る事が可能になる場合があるというのだ。
全く荒唐無稽な話である。これをどこの馬の骨とも知れない高校の無名の部活がでっち上げているのだとしたら、鼻で笑うだけで済ませてしまうだろう。しかし、我らが吹上高校の超常現象研究部は、行動力が桁違いだったのだろう。
どこぞの大学まで出向き、超常現象を研究している教授にアポを取ったらしいのだ。
前述までの幽霊と交信するための条件二つと言うのは、その教授の話と超常現象研究部に所属していた生徒の実体験を基に推察、実証された事である……と書かれてある。
幽霊との交信を実証した、なんて話、誰が信じずとも俺だけは信じられるだろう。
「マジかよ……」
思わず口を突いて言葉が零れた。
そして同時に、この部活に興味が湧いた。
最早、図書室でダラダラと暇潰しをしているわけにもいかなかった。
俺は図書室を飛び出し、超常現象研究部の部室へと急いだ。
やって来たのは科学室。まさか科学室で超常現象を研究しているとは思わなかった。
ノックをして中を覗くと、数人の男女が机を囲んでいる。
「超常現象研究部ってのはここで良いんですかね?」
「君は……?」
俺の姿を確認した一人が席を立つ。校章の色を見るに二年。同学年か。
「今は立て込んでいるんだ。見学ならそこで」
「おっと、済まないね」
勧められるままに、俺は部屋の隅の椅子に座った。
彼らの様子を見ていると、どうやら机の上に敷いた紙に、綿密な魔術陣を転写し、それを使って何事かを起こそうとしているらしい。
ブツブツと呪文のような言葉が聞こえてくるが……何を喋ってるかは聞き取れないな。
そんな様子をしばらく見つめていると、どうやらその儀式にも一区切りが付いたようで、息を抜いた部員たちがハイタッチを始めていた。どうやら儀式自体は成功した、のか?
お互いの健闘を称えあった後、先程俺に椅子を勧めてきた男子が俺の前にやってきた。
「済まなかったね。で、我が部に何か御用かな?」
「いや、ここに三年の先輩がいれば話を聞きたいと思ってね」
「三年の先輩……?」
「一昨年の部活動報告を見てね。どこぞの大学教授にまで取材に行ったバイタリティにあやかりたくて、お話をと思ったんだが……」
「今、この部活に三年生はいないんだ。何の示しあわせか、今年度に入る前にみんなやめてしまってね。何でもこの学校に因縁のある亡霊が原因だとか……」
「なるほど、霊障を恐れてか。なら仕方ない」
「君も超常現象に興味があるのかと思ったけど、違うのかな?」
「……実は、幽霊に取り憑かれていてね、って言ったら信じる?」
「ホントに?」
俺の言葉を聞いて、男子は目を丸くした。やはりこんなトンチキな部活に入っている人間ともなると、こんな妄言まがいの言葉を信じてしまうのか。
「そうか、それで一昨年の部活動報告を見て、ここに来たんだね」
「察しが良くて助かる」
「除霊とかなら僕らでも心得があるけど……」
「いや、三年生がいないならそれで良いんだ。その時の話を聞けたら面白いと思っただけだからな」
「あ、ちょっと待って!」
俺が科学室を出ようとすると、その男子生徒は準備室の方から紙束を持ってきて俺に寄越した。
「これ、その時の先輩が残していった研究のレポート。何か役に立てば良いんだけど。あと、出来れば部活に興味を持って入部してくれると大変助かる」
「……このレポートとやらはありがたく読ませてもらうけど、俺は部活に入るつもりはないよ」
俺は差し出された紙束を受け取りつつ、軽く会釈して科学室を出た。
図書室に戻り、そのレポートを眺めていると、部活動報告には書かれていなかった幾つかの推察が書かれていた。
目に留まったのは、幽霊とのリンクが切れるタイミングと言うヤツである。
幽霊とのリンクとは霊感のない人間が幽霊と交信するための条件であった。それが切れるタイミングと言うヤツがあるとするなら……。
「八乙女の言葉。あれって……」
八乙女は『もうすぐお別れ』と言っていた。
もしかしたら、このリンクの切れるタイミングが、何か関係しているのではなかろうか。
奇しくも俺は霊感のない一般ピープル。そんな俺が八乙女と会話が出来ているのは、幽霊とのリンクと何か関係があるように思える。
俺と八乙女の何がリンクしたのかまではわからないが、何かしら疎通するモノがあったのだろう。
だとしたら、そのリンクの切れるタイミングとやらは何だ?
俺は黙々とレポートを読み進めた。
そのレポートによると、幽霊とのリンクにはお互いの意識が関係しているそうだ。
幽霊とのリンクに必要なのは、お互いの感情の波長が合うこと。そして、その状態を継続するためには生身の人間が幽霊を認識し続ける事が必要になるらしい。
幽霊は特殊な存在であるため、通常、人間はそれを感知する事が出来ないし、なるべく感知しないように動く。幽霊を認識し続ける事は脳や身体にとって有害である可能性すらあるらしいのだ。
身体は当然、そんな害から逃れようと、幽霊を感知するある種の器官のようなもの、霊感や心眼と呼ばれる類のモノを閉じようとする。加えて、何かに夢中になって幽霊を忘れてしまったり、幽霊なんて普通に、その辺にいるものである、と幽霊を意識的に認識しなくなると、幽霊が見えなくなってしまう――つまりリンクが切れてしまうわけである。
一度リンクが切れてしまうと、もう一度リンクを繋ぐのは難しい事であるらしい。
もしそれを回避したいと言う奇特な人間がいるとするならば、そのためには幽霊を常に意識的に認識し続ける必要がある。
幽霊が隣にいて当然と思い始めると、いつしかその幽霊を感知する事が出来なくなってしまうので、常に『幽霊のいるは異常な事態』と言うのを気にしながら生活する事が必要なのだ。
そうすることでいつしか霊感が開眼し、嫌でも幽霊を見続ける事になる、と。
レポートにはそんな事が書いてあった。
「なるほど、ね」
レポートを粗方読み終わったところで、俺は周りを見回す。
既に日が暮れかけ、図書室には電灯がついていた。
図書委員は撤収作業を開始し始めているし、時計を見ると下校時間が近い。
そんなに読み耽ってしまっていたか。
俺はレポートをカバンに仕舞い、図書室を出た。




