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第9話 夏の終わりと月明かりの幻想

 最後の手がかりが失われ、俺の捜索範囲は無限に広がった。子どもたちが日ごろはどこで遊んでいるかなど、当事者なしでは分かったものではない。

それらしい場所がないかと街道筋をうろうろ歩いていると、背後から俺を呼び止める声がした。

振り向くと、梢がいた。

 まだまだ暑いのに長袖のシャツにジーパン履きで、靴はがっちりした紐付きである。

「辞書、見つかった?」

「まだ」

 辞書を探しているのを教えてしまったのは、ちょっとまずかったかもしれない。 

 あの「TE AMO」のメモを見られた日には、どんな罵詈雑言が飛んでくるかわからない。

 ……沢宮さんをそういう目で見てたんだ、いやらしい、不潔、最低。

 想像するのも嫌になった。

 俺は梢に背中を向けて歩き続けた。

 幹也は? と聞きながら、梢が追い縋ってくる。 

 神社で見たってさ、と答える俺は、梢の顔を見ている余裕などなかった。

 あの辞書をどうやって回収するか。

 メモを沢宮さんに渡すなんて、もう絶対に不可能だ。

 できることは、それを梢に見られないように抜き取ることだけだ。

 そんなことをを考えているうちに、梢は俺の前に回りこんで器用に後ろ歩きをする。

 こともなげに言ってのける。

「なら、行ってみればいいじゃない」

 そんな簡単な問題じゃない。

 俺は不機嫌むきだしで、目も合わせずに答えた。

「秘密基地に持ってかれた」

 ふうん、と梢は立ち止まって考え始めた。俺はそのまま歩き続けたが、しばらくして、後ろに置いてきた梢に追い抜かれた。

「おい、どこ行くんだよ」

 俺の目の前を走り去っていく梢は、振り向きもせずに答えた。

「秘密基地!」

 そう叫ぶ梢を、俺は全速力で追った。

 もちろん、捕まえられるはずがない。

 いかに女子とはいえ、剣道部では県下ベスト8である。

 バス利用の帰宅部で、次の朝まで家でゴロゴロしている怠け者とは鍛え方が違う。

 俺は夏の日にじりじりと灼けるアスファルトの上に両手をついて、聞こえるはずもない非難の声を上げることしかできなかった。

「お前人の話聞いてたのか!」

 うつむいてぜえぜえ息をついているうちに、微かな足音が戻ってきた。

 見上げると、昼下がりの日差しがあった。

 俺より背が低い小娘が鼻で笑いながら見下ろしている。

「ちゃんと聞いてました」

 差し伸べられた手は、小さくて華奢だった。

 その手を取るのが何だか格好悪く思えて、俺は渾身の力を振り絞って立ち上がった。

 ふん、と面白くもなさそうに再び歩き出した梢は、ちらと振り向いて言った。

「ついてこいよ。心当たりはある」

 梢が俺を連れて行ったのは、もとの神社だった。

 今朝のように拝殿の縁側に腰かけて、梢はしゃがんだ俺とほぼ同じ目の高さで話しはじめた。

「ヌスビトハギ、覚えてる?」

 俺は、幹也の服から小さな草の実を楽しそうに剥ぎ取っていた沢宮さんの姿を思い出した。

「そういえば沢宮さんが……」

「そっちじゃない!」

 梢が俺を睨みつけた。何を怒ってるんだかさっぱり分からない。

「アタシと、ほら!」

 梢は拝殿の方向を指差した。かつて俺の秘密基地があった場所だが、それを梢が知るはずがない。

 俺と、梢と、この神社と、ヌスビトハギ。

「あ……」

 俺はようやく思い出した。

 裏山の丘で、ヌスビトハギの実を服にびっしりつけて梢と遊びまわった子どもの頃。

 幹也が同じ場所で秘密基地を作って遊んでいても不思議はない。

 俺と梢は、10年近く離れていた丘に、再び登った。

 左右を丈の高い草に挟まれた、どうにか道に見える申し訳程度の小道が斜面を這っている。

 まだ小さな子供だった昔は大変な山登りと感じた斜面だったが、今はそうとも感じない。

 その頃は草や石に足を取られながらとことこ登っていた梢も、高校3年生になった今は小柄ながら剣道で鍛えた健脚を生かして、俺の前を悠々と進んでいく。

 草いきれの坂道を上り続けると、急に風景が開けた。

 そのてっぺんでは、秋の空がそろそろ高くなりはじめていた。

 日差しはまだまだ暑いのに、天から吹きおろしてくる風はすがすがしい。

 先に来ていた梢が目を閉じて、小さな身体で大きく伸びをした。

 子どもの頃のように。

 だが、そこはもう昔のままの場所ではなかった。

 突然、発動機の音と共に金属の擦れ合う音が秋の気配を破って、けたたましく響き渡った。

 梢の立っている辺りの向こう側から、薄いグレーのツナギに黄色いヘルメットをかぶった男たちがじりじりと現れる。

 むっとするような熱い青臭さが鼻を打つ。

 草刈り機を使い始めたのだ。

 俺がそばに立つと、梢はつぶやいた。

「もう始まってたんだ」

「何が?」

 よく知っている思い出の景色が変わっていく、というか壊されていくのに唖然としていた俺は、それが何のことだか分からなかった。

 寂しそうな答えが返ってきた。

「工事。高速道路の」

 作業員たちは草むらを自動円鋸で刈り払い、土台工事の準備を始めていたのである。

 幹也たちが秘密基地に入り込めたところを見ると、工事は午後から始まることになっていたのだろう。

 ヘルメット男のひとりが俺たちに気づき、発動機を止めた。

「ここ、もう立ち入り禁止なんだけど」

「あの、ここになんか」

 俺は辞書があるはずの「秘密基地」がなかったか聞きたかったのだった。

 だが、さすがに子ども相手にしか通じないだろうと判断するくらいの常識はあった。

 そこで言葉に詰まってしどろもどろになった俺の横っ腹に鈍い痛みが走った。

 うっと呻いて傍らを見ると、梢の肘が引っ込められるところだった。

「何すんだ!」

 俺の抗議などすっかり無視して、梢は例の「対大人営業モード梢スペシャル」を発動していた。

「すみませんでした」

 折り目正しく頭を下げる少女に、大人の男は甘かった。

「いや、危ないからね、やっぱり」

 無理に笑顔を作っていることは、見れば分かった。

 梢はといえば、100点満点の優等生顔である。

 今まで、これでどれだけ大人相手に点数稼ぎをしてきたか分からない。

 その分、味方につけばこれほど心強いことはなかった。

 そこで梢は、急に表情を曇らせる。

「実は、ここで探し物をしてたんです、私たち」

 俺もかよ、と腹の中で毒づいたが、ここは黙って任せるのが得策である。

 長年の付き合いで、そこらへんの阿吽の呼吸は分かっているつもりだった。

 狙い通り、作業員は梢の話に乗ってきた。

「何を?」

 あちこちで聞こえた草刈機の音が止まった。

 作業の手を止めた男たちが1人、また1人と現れる。

 暑い日差しの下で、暑そうなツナギを着た暑苦しい男たちに囲まれて、俺はちょっと腰が引けた。

 梢はと見れば、涼しい顔をして受け流す。

「いえ、私たちでないと……その」

 うつむいて、俺をちらっと眺める。

 その仕草は、まるで恋人との知られたくない秘密を詮索されているかのようだった。

 作業員たちもそれをなんとなく察したのか、照れ臭そうにもじもじと微かに身体を動かしている。

 梢は、上目遣いに男たちを眺め渡した。

 しばしの沈黙の後、独りが大げさに胸を叩いた。

「まかせとけ」

 俺も俺もと、急に手が上がり始める。

 何を探せばいいのか分からないのに、この勢いは何なのだろうか。

 同じことを考えていたのかどうかは分からなかったが、今度は梢が慌てた。

「いえ、本当にいいんです。お邪魔しました」

 俺の手を引いて帰ろうとする梢を、作業員の1人が止めた。

「気にしなくてもいい、ここにいなさい」

 他の作業員たちは、草刈り機を無言で脇に寄せるや、あちこちを黙々と探し始めていた。 

 いったんやると決めたらとことんやる性分の人たちのようだった。

 立ち入り禁止を宣言されてしまっては、手を出すのも憚られた。

 もはや、俺も梢も黙って見ていることしかできなかったのである。

 作業員は人数が多いので、その辺一帯の探し物はすぐに終わった。

 結果は案の定だった。

 作業員のひとりが軍手を土まみれにしてやってくるなり、こう告げた。

「変わったものはないね。雑草と木の枝と落ち葉ぐらいだ」」

 つまり、「秘密基地」も辞書も見つからなかったのである。

 俺たちは済まなそうな作業員に言われるままに、その場を離れた。

 とぼとぼと街道を帰りながら、俺は梢に言った。

「沢宮さん帰ったら、教えてくれよ。謝りに行く」

「そうね」


 家に帰った俺は、夕方になって梢から意外な連絡を受けた。

 沢宮さんは、俺たちが秘密基地を探している間に大槻家に戻っており、日本を発つため、そのまま行ってしまったのだという。

 俺に宜しくという伝言だけを残して、詳しいことは何も言わず、梢の携帯は切れた。

 その夜、俺はあまりに呆気ない別れに気が抜けたようになって、夜更けまで眠れずにいた。

 俺はたまらず、外へ出た。

 あの晩と同じ満月だった。俺はその下を、渓流に沿って歩きだした。

 足元の草むらで、虫たちが鳴いていた。夏が終わり、もう、秋が来ているのだと感じた。

 川から吹き上げる風は冷たかった。夕方から熱かった俺の頭の熱は、次第に引いていった。

 考えてみれば、何もかも出来すぎた話だった。

 沢宮さんとの出会い。朝の個人授業。何もかもがうまく行き過ぎたのだ。この上、夏の終わりに告白なんて、ムシが良すぎる。

 もう、何もかも忘れよう。辞書は返せなかったが、それでよかったのだ。格好悪くて会わす顔がないのだから、むしろ諦めがつく。

 いろいろ考えながら歩いていると、木々の間に大きな岩が見えてきた。あの岩だ。

 あの日、あの青白い幻を見た、あの淵である。

 沢宮さんと重なって仕方がなかったあの幻とも、もうお別れだ。もう縛られているわけにはいかない。

 俺は現実を見ようと、再び木の幹で身体を支えながら、渓流を覗き込んだ。

 岩の上には、何もなかった。誰もいなかった。当然である。同じ光景が、再び見られるわけがない。

 秋の冷たい月光が、荒々しい岩肌を明るく照らしていた。かつてそこをよじ登っていた、濡れた髪のかみつく裸身はもう、そこにはない。

 俺は淵を覗き込んだ。暗い色の水満々とたたえた淵の底は、夜見ると引きずり込まれそうなほど深く見える。

 なんだかぞくっとするものを感じて、俺はそこを離れたくなった。

 淵から目をそらして、家に向かって歩き出す。

 その時だった。

 視界の隅で、何かが光った。気のせいかとも思ったが、俺の肌は冷たい水飛沫を感じていた。

 目が醒めたような、それでいて夢の中にいるような不思議な心持ちで、俺は再び淵に目をやった。

 何もなかった。誰もいなかった。しかし、ほんの一瞬だったが、俺の目は淵の中にぼんやりと光るものを捉えていた。

 長い黒髪の女だった。その青白く輝く肢体は、たゆとう淵の水にゆらめきながら、底へ底へと沈んでいった……。

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