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第4話 真夏の朝の強制補習

 薄明かりの中で、携帯電話が鳴った。

 俺は布団から起き上がり、徹夜するつもりがやっぱり寝てしまったことを思い出した。

 どうでもいいことだが、俺はいわゆる着メロが嫌いだ。

 頭は悪いことは認めるが、自分からバカを晒すつもりはない。

 ウケを狙ったり、癒しだのチョイ悪だの、キャラをアピールするのは性に合わないのだ。

 ましてやどこぞの夢の国やら、機械で動くスーツやら、メロディを聞いただけでイラッと来る。

 そんなわけで、耳元でけたたましく鳴ったのはやかましいアラームだった。

 時計を見ると、まだ5時である。

 よかった、と思う一方でムカっ腹が立ち、しつこく鳴り続ける携帯電話の着信を見れば、梢である。

 携帯電話を手に布団の中に横たわる寝間着姿を想像して、ちょっとドキッとしたことはした。

 だが、まだ薄暗い天井を見たら、そんな妄想も吹っ飛んだ。

 いやがらせにも程がある!

 そのまま切ってやろうかとも思ったが、どうせまたかかってくることは分かりきっている。

 俺は電話に出た。

「今何時だと思ってんだ!」

 怒鳴りつけたかったが、オヤジもオフクロも寝ている。

 小声であっても可能な限りの勢いで凄んでみたが、無論、すみませんでしたの一言は梢の辞書にない。

 少なくとも、俺に対しては。

 代わりに、嫌みったらしく澄ました声が聞こえてきた。

「昨日申し込まれました、午前5時のモーニングコールでございます」

「そんなもん頼んでねえ!」

 ラーメンやピザのニセ注文だってこれほどの怒りの声はあるまいと自分でも思った。

 だが、梢がこんなことで怯むはずがない。

 たちまち、ぶっきらぼうな返答が返ってくる。

「寝てたろ、アンタ」

 俺も相手の出方に応じて、怒りの中にもちょっと一拍置いてみる。

「早すぎるだろ、起こすの!」

 ふ~ん、と鼻であしらう声が、電話の向こうで聞こえた。

 こんな物言いをするときはたいてい、梢の顔には意味深な笑みが浮かんでいる。

「沢宮さんが言ったの、起こせって。アンタが帰ってから」

「え?」

 呆気に取られている間に、電話の向こうで何やらごしゃごしゃやり取りしているのが聞こえた。

 やがて、お願いします、という対大人営業モードの声がして、聞き慣れない大人の女性の声が聞こえた。

「もしもし、起きてる?」

 誰だろう、とちょっと考えてから、沢宮さんの声だと気づいて慌てた。

「あ、あの、境です、境克彦です、おはようございます」

 電話の向こうで、沢宮さんは笑っているようだった。

「おはよう、ゴメンね、叩き起こしちゃって」

 俺は眠い目をこすりこすり、平静を装った。

「いいえ、とんでもありません、もう起きてました、ていうか寝てません!」

 梢の声が、嘘つけ、と毒づいた。どうやら携帯電話での会話に耳をそばだてているらしい。

 それには構う様子もなく、沢宮さんは話を続けた。

「寝たほうがいいのよ。頭を休ませないと、勉強の効率は落ちるわ。で、朝早く起きる!」

 蝉の鳴く声が聞こえた。頭が完全に起きていなかった俺は、思わず関係ないことを聞いてしまった。

「あの、今、どこですか?」

 どこでもいいだろバカ、という梢の声が聞こえた。

「髻神社だけど」

 思いっきり近所じゃないか!

 俺は携帯に噛み付いた。

「これからそっち行きます!」

 バカ、という梢の呆れたような声を最後に、俺は携帯を切った。


 俺はとりあえず手近にあったTシャツだの短パンだのに着替え、梢のノートを携えて髻神社に走った。

 髻神社は、立待橋よりずっと川上にある。

 夜明け前の霧が漂う道を駆けていくと、道は大きく曲がってせせらぎの音が聞こえてくる。

 その渓流に掛かる橋を越えてしばらく行くと、山間の田に挟まれた小高い丘が見えてくる。

 秘密基地を作っていた頃は、あの丘を梢と走り回っては、二人とも服にヌスビトハギの実をびっしりつけてきたものだ。

 その丘の麓には、昔も今も、石造りの鳥居が見える。

 そこが、髻神社だ。

 境内へよく遊びに行った子どもの頃と違うのは、丘の辺りの空き地にトラックや重機が見えることである。高速道路建設の準備が、もう始まっているのだろう。

 朝の冷たい空気の中を全速力で駆け抜けて、鳥居をくぐった。

 境内の向こうには、拝殿がある。その縁側に、沢宮さんと梢が座っていた。

 ジョギングか何かしてきたのだろうか、二人ともトレパン姿だ。白いTシャツが何だか眩しい。 「走って来る間に勉強してろよバーカ」

 開口一番の悪態で、梢は朝一番の爽やか姿を帳消しにした。

 だが俺はそんなことなど無視して、沢宮さんにノートを突き出した。

「覚えてるかどうか、確認してください」

 そのノートは、横から梢に取り上げられた。

「アタシがチェックしてやるよ」

 境内の銀杏に止まっているらしい蝉が高らかに鳴き始めた。靄が次第に消えていく。

 その中で、俺は何度となく梢が繰り出す問に、慣れない英語で答え続けた。

 答えるたびに、梢の叱咤が飛ぶ。

「地面に手で書け!」

 俺はそこらに落ちていた木の枝を拾ってひたすら境内の地面に単語や英文を書き続けた。

 効率悪いなあ、と梢はぼやく。その度に、沢宮さんは笑いながら、まあまあ、と宥めた。

 やがて、靄が晴れて境内の上に冷たい青空が広がった頃、梢はノートを閉じて「よし」と言った。

 声が営業モードに切り替わる。

「これでいいですよね、沢宮さん」

 沢宮さんが満足げに頷く。

「夜更かしして頭を疲れさせるより、朝早く起きて勉強したほうがいいのよ。3時間くらいしたら、頭は完全に目を覚ますわ」

「だからモーニングコール?」

「ジョギングのついでだけどね」

 俺の口から、ありがとうございました、の声が自然に出た。

 私じゃなくって、と沢宮さんがたしなめる。梢はむっとしていた。

「アタシに礼はないのか!」

「追試終わったらいくらでもしてやるよ」

 今日の追試は通るという自信があった。梢のおかげなのは間違いないが、つい憎まれ口が出るのは、小学校からの腐れ縁だから仕方ない。いつものことだ。

 梢は怒るどころか、かえってにやりと笑った。

「いくらでもって言ったな? 今」

「男に二言はない」

 してやったりと言わんばかりの得意顔で梢は言った。

「何奢ってもらおうかな」

「え? そっちの礼?」

「男に二言はないんだろ」

 ぽん、と縁側から飛び降りて、梢は沢宮さんを促した。

「帰りましょう」

 ええ、と答えて沢宮さんも拝殿から下りた。俺は境内を去っていく二人の姿を見送る。

 梢がちらっと振り向いて、遅刻すんなよ、と言い放って駆け出した。沢宮さんも笑顔で振り向いて俺に手を振り、後を追って走っていった。

 二人とも、白いシャツの背中に翼が生えているかのように、その足取りは軽やかだった。

「アタシ、背が低いんで、デカい相手に打ち込まれるとパワー負けしちゃうんですよね」

「じゃあ、体捌き教えてあげる」

「できるんですか?」

「合気道二段!」

 ……会話はちょっと物騒だったが。

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