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だから今は、もう少しだけこのままで。

 

 割引券貰ったから遊園地行こうぜ、と清郷に誘われて二つ返事で応じた。

 が、来てみれば、天敵がだれおま状態で仲間に混じってやがる。

 たちまち暗雲が立ち込めた。空は晴れ渡っているが、心理的に。

 「こっちだよ」だの「早く来いよ」だのゲート前で手を振るグループに手を振り返しながら、思わず頬が引きつる。

 よくつるむ五、六人のこのメンバーではタヌキ顔の清郷と一番付き合いが長いが、次に付き合いの長いソイツとはどうにもソリが合わない。

 何故か突っかかって来るんだ。手も口も出すので此方もついついムッとして喧嘩を買ってしまうのも悪いんだが。

 へらりと笑う清郷、キヨを睨めば、その眉尻がへにょりと下がったようだ。悪い、と目顔で謝られた。良くも悪くも平和主義のキヨは、ソイツと俺が喧嘩友達からただの友達になるように取りなしてみたり、喧嘩をいさめたり、それはもう頑張ってる。

 他の奴らも俺らの険悪さにはほとほと困っていて、「顔合わせる度ケンカとかよくあきないな」と呆れる始末。今日も仲を取り持とうぜと、そういう目論見なんだろう。マメさに溜息が出る。

 友達が喧嘩するより仲良しの方が良いに決まってるが、まずは突っかかって来るアイツに言ってくれ。

 ふと、視線を感じた。

「おはよ」

「お、おう……?」

 身構えたのは、拳や蹴りが飛んでくるのを警戒したんだ。

 私服は男かよと突っ込みたいくらい、セーラー服以外スカート持ってないんじゃないかと思っていたが、今日の奴は妙にひらっひらしたワンピースだ。開いた胸元はコットンマフラーで隠れている。

 丈は制服よりやや短い。普段活発なジーパンにTシャツ、ジャケットばかりのアイツが、大人しいせいか何やらちんまりして見えた。似合わないわけじゃない。他の女共も暖かな陽気に合わせてショートパンツやひらひらしたスカートはいてるし、めかし込んでる。この中にいて浮かないのが意外というか、何だろう、尻の座りが悪いような居心地の悪さがある。

 と、言うか。

 目が合っても、口を開いても暴言も拳も飛んで来ないんですけど。

「なあ、キヨ」

 恐る恐るキヨの肩をペシペシ叩く。つか、お前何ニヤニヤ笑ってンの。お前もこの状況に恐怖してンのか? なあ、そうだって言えよ。

「アレ、誰?」

 アイツを指差して訊けば、キヨは微妙な表情をした。何だか仲間達がざわめいた気がするが、俺はそれを気にするどころじゃない。

「誰、ってサワ。お前ジョークがキツいよ。湯原じゃないか」

 バンバンと肩を叩き返されるけど、俺そんな強く叩いてないだろ。痛ェよ。

「湯原じゃねェよ。だってスカートはいてるし」

「スカート、って、」

 キヨの頬がひくりと引きつった。

「何より、アイツがこんなじっと黙ってるハズねェ」

「サワ」

 キヨは溜息混じりに俺を呼んだようだが止まれない。

「俺が何もしなくても文句、何やっても何言っても文句と拳と蹴りが飛んでくるのがアイツだろーが。なのに、」

「サワ、」

「こんなのアイツじゃねェよ!」

「藤沢!」

 ガツンと殴りつける様に叫んだのは、キヨでもアイツでもない。けど、アイツがいつも俺に突っかかるのは丁度こんな感じだ。

 振り向けば、グループ内ではめったに口を開かない柚木が静かに俺を見据えていた。

「黙って」

 初めて聞く低い声に、落ち着かなくてがなり立ててた俺の口はぴたりと閉じた。

 普段大人しい奴が怒るとおっかねぇ。

 ふと気になって見やれば、アイツが肩を落としてますます小さくなってる。

 嘘だろ!? と両頬に手を当てて叫びたい。何だこの殊勝さは。だが冷ややかな柚木の目に気圧されて出来ない。

「んじゃ、まあ、行こうよ。ね? あたし、今日は遊び倒すんだ!」

 柚木とアイツの腕に自分の腕を絡め、敷島がからりと笑ってゲートに向かう。

 敷島の明るさに助けられて、俺達は取り敢えず遊園地に入った。

 楽しげなBGMに歓声、子供のハシャぐ声、家族連れや恋人同士で手をつないで笑い合ってる人々。その中に混じってしまえば気分は否が応でも盛り上がる。

「どこから回る?」

「せっかく男女三人ずつだから」

 言い差した御子柴の言葉を敷島が無邪気に遮る。

「あたしは柚木とが良い!」

「お前は俺と回れ。気を利かせろ」

 御子柴が文句を言う敷島を引きずって去った。御子柴、お前敷島の事を……知らなかったぜ。今度から応援する。

「じゃ、そういう事みたいだから」

 柚木は片手をひらひら振って恋人のキヨの手を掴み、「え」とぽかんとする俺の親友を引きずって走り去った。おい、インドアの文学部ってあんなスタミナあるもんなの? 小柄な体格超裏切ってる。

 つか、いや、え、ちょ、……待てよ……。

 団体行動しようぜ? 何で仲間内で集まったのにスリーペアに別れるんだよ。

 しかも。

 ちろ、と横目で盗み見たらアイツもぽかんとしてるじゃねえか。

 ちら、と視線がうかがって来て、うおっ、目が合った!

 身構えた俺の前をアイツはすっと横切る。

 その背中を見送って、伸びた背筋がきれいだなと思う。

 アイツの背はいつも定規でも入ってそうにまっすぐだ。視線もまっすぐぶつけて来る。だから、さっきのうかがうみたいなのは、違う。

「なあ、」

 アイツの手をつかむ。水色のシュシュをした手首は折れそうで、力加減を間違えそうでこわい。

「なあ、お前ってさ、」

 立ち止まっても振り返らないアイツの手が俺の中でピクリと小さく震えた。何だか本当に別人みたいだ。

「具合でも悪いの」

 緊張した肩が落ちた。

「乗りたい」

 アイツが指を差したのはいわゆる絶叫系。まあ、定番だよな。

「お前好きなの?」

 アイツの目が丸くなる。誘っといて何その反応。俺があーゆうのダメだと思ってからかったのか?

「乗れないクチ?」

 ニヤリと口角があがれば、アイツはすうと目をすがめた。

「勝負」

「吠え面かくなよ?」

「どっちが」

 バチバチ火花を散らす。何だ、いつも通りじゃないか。競歩みたいにアトラクションまで競争して、どっちが早く着いたかで言い争いながら、俺はホッとしてた。

 

 

 散々アトラクションを乗り倒し決着は着かないまま、さてこれからどうしようと二人でぶらぶら歩いていた。結局ジェットコースターが結構好きらしく、目をキラキラさせてたンだけど、さっきのアレなんだったんだよ。

 勝敗については言い合いになりそうなものなのに、アイツは口を結んで前だけ睨んでる。通常営業だから、まあ怒ってるって訳ではないんだけど。

 周りはみんな楽しそうなのになあ。

「……が食べたい」

「あ?」

 振り返ったアイツのおだんごに刺さったかんざしがシャラッと揺れる。無風の中では歩くのに合わせて揺れるだけだったソレが、俺の心をくすぐって。

「アイス食べたい」

 買え、おごれ、とその目が要求する。ああなんだ、いつも通りじゃないか、とホッとして、でも、らしくもなく色付きリップしてる事にも気付いて。

 気付いたらいつもみたいに言い返せずに唯々諾々とアイツが指差した屋台のアイスをおごってた。夏みたいな日差しで風もないとくれば、さぞや繁盛してるのだろう。イートインスペースは満席で仕方なくテイクアウトして、食べながらさまよって日陰のベンチを見つけ、二人で座った。

 ベンチに並んで座って二人でアイスを食べる。仲良しこよしみたく。俺とアイツがだ。言葉で殴り合い、拳で語る俺とアイツがだ。

 不思議だ。ってか落ち着かねェ。

 じぃっと俺のソーダアイスを睨むので、食いたいのかなと思いはした。だが、誰が予想するだろう、いきなりソイツが食い付いて来るだなんて。

「おま、一口って大きさじゃねぇよ今のは! 初めて猫のあくび見た時以来の衝撃だわ! しかも一言の断りもなしかよ!?」

 猫の口って外見からは予想出来ない大きさだよな。

「男がガタガタ騒ぐな」

「横暴!」

「ん。」

 顔をしかめたアイツは渋々といった様子で俺の前に自分が食べてるイチゴアイスを突き付けた。俺はアイツと、アイツがカップアイスからスプーンですくったそれを見比べる。

 何このシチュエーション。普通なら萌えて良いはずなのに全く嬉しくない。しかめっ面か。しかめっ面が悪いのか。そもそも天敵同士でこの状況ってどうなんだ。

「口を開けろ。さもなくばこじいれる」

「このシチュエーションに合わない以前に、女のセリフとしてどうなんだソレ。後、真顔ヤメテ超こわ……グェ!」

 じれたアイツのセリフに突っ込んだらアイスを突っ込まれた。何このクロスカウンター。敗北感半端ない。え? クロスカウンター成立してない? あれ? そーだっけ?

「おいしい?」

 真顔のまま首を傾げるアイツがわからない。何なのお前。

「一瞬でよくわからな……グェ! ちょ、おま、」

「おいしい?」

「だからな、ぐ、」

「おいしいと言え」

 強要すんな!

「これ何プレイだよ! 後、近い近い! びっくりするほど近いから! 膝に乗り上げて来るな! ぐはっ!?」

 口を開けばすかさずアイス攻撃。しかもいつの間にかアイツが俺の右膝に右膝小僧で乗り上げてやがる。逃げるに逃げられん。

「確実に仕留めるつもりでいたからつい」

「仕留めるって何だ! ってか謝ってないよなソレ。しれっと言いやがって……しかも降りねェのかよ!」

 溶けそうな俺の棒アイスに再びの奇襲を掛け、アイツはぐりっと、体重をわざと乗せてきやがった。刺さる感じというかエグる感じで痛い。

 コノヤロウ……!

「節穴。ずっと言いたかった事がある」

「藤沢だ……ゲホッ」

 ちょ、アイス口に突っ込んで来るなよ! 名前くらい訂正させろ!

「お前の目は節穴だから節穴だろう」

「藤沢だっつってんだろ!」

 頭がキンキンするわと叫びながらアイスを避ける。

「藤沢。好きだ」

「だから俺は藤沢……んぐ?」

 呆気に取られて空いた口にスプーンが容赦なく突き込まれる。苦しいっての!

「耳まで悪くなったのか?」

「え、」

 何、さっきの何だったんだよ……空耳? つかお前俺のソーダアイス食うなよ何口目だソレ。

 アイツは色付きリップがハゲて代わりにソーダアイスで濡れた唇をぺろりと舐めて。

「その節穴の耳でよく聞け。わたしはお前が好きだ」

「はあ? ……ぐっは!」

 待てよおい理解出来ねえ、せめて言動一致させろ! お前がかぶりついてるソーダアイスは俺のだし、そんで俺の喉奥攻撃して来るストロベリーアイスはお前が食いたくておごらせたんだろうが!

 ……じゃなくて、そうじゃなくて、お前、何言ってんの? 頭が痛い。

「目も耳も節穴とはご苦労だな。わたしはお前に惚れている。さあ、嗤え。さっさとフれ。今すぐフれ」

 目を据わらせて一息に言い切るアイツ。

 好きって何だっけ。惚れているってどういう事だっけ。相手が食ってるソーダアイスを一カケラも残さず駆逐する事? ピンク色したプラスチックのスプーンで相手の口が開く度自分のストロベリーアイスを喉奥に突き刺す事だったっけ?

 棒アイスからアイスを引いたらただの棒だ。それを握りしめたまま、俺は混乱していた。何このわんこソバならぬわんこアイス状態。訊き返すどころか考える事も出来やしねェ!

 「おい、」空いた左手でアイツの手を掴む。その拍子にスプーンからどろりと落ちたピンク色がベンチを汚し、油断して口を開いた俺にアイツは躊躇なくカップを押し付けた。半ば溶けたアイスが口の中に流れ込む。ぐいぐい押し付けられて顔が上を向かされる。首痛ェ。俺は棒を手放してもう片方のアイツの手も掴む。

 何しやがる、とアイツを睨み付け、ようとして、失敗した。

 目に涙を溜めて、それがこぼれないよう唇を噛んで。今にも泣きそうな目が、ぽかんとする俺を見て更に眉を寄せ、睨んだ。

 BGMが遠ざかる。

 生ぬるい風は俺の汗を止めてくれない。

 責める目に、俺は怯む。

 アイツは傷ついていた。キンキンと痛むこめかみより、余程堪える目をしてた。

 気付かなかった。俺が掴んでるアイツの手は抵抗してるんじゃない。必死に泣くのを堪えてるから震えてるんだ。

 うろたえる俺を見て、アイツはうつむく。それを見て更に俺は焦った。

 アイツは敵から目を逸らしたりしない奴のハズだから。

 ――サワ、湯原は女の子なんだよ。優しくしてあげなよ。

 キヨはいつだかそう言った。まるで幼児に言い聞かせる保育士みたいに、仕方ないなあ、困った子だなあ、って目で。

 だって、アイツはいつも突っかかって来るんだ。叩くし、酷い事言うじゃねえか。

 ……今日は、俺が突っかかったんだけど。

「……フれ」

 うつむいたアイツがかすれた声で言う。

 力のない声。震えそうなのをがまんしてぶっきらぼうになった声だ。

 まだ、泣いてない。でも、泣いてるんだ。どうしようもなく。

 本気なんだ。真剣なんだ。

 どうして今日はいつもみたいな格好じゃないのか。何で大人しいのか。

 多分、告白はともかく、関係改善をはかるつもりではいたんだろう。

 ジェットコースターに乗りたいと言ったアイツに投げて、固まらせた俺のセリフ。

 ――お前、好きなの?

 バカじゃねえの。あんなセリフにすら反応するほど意識して、期待して、勝手に落胆して、傷付いて。

「さっさとフれ!」

 ヤケになって叫ぶ声が泣いてる。

 多分、今日は女の子らしくするつもりだったんだ。でも、俺が女の子扱いしないで喧嘩をふっかけるから、アイツは。

 叩かれたら痛いし、酷い事を言われたら腹が立つし悲しい。売り言葉に買い言葉になるのは、俺だけじゃなかったんだな。

「もっかい、言ってくんない?」

 泣いてる子供をあやす感じじゃなく、穏やかな声を苦労して出す。

 反発する様にアイツの手にグッと力が入って。くたりと抜ける。あ、ヤバいマジで泣く。

「最初からやり直そう。お前も俺も喧嘩しないでさ、つまり、突っかからない様に気を付けて、友達からやろう」

 アレ? 何か違わないか? 何、まずはお友達から始めましょうみたいな事言ってんの、俺。

 そろりとアイツが顔を上げる。傷つくのはヤだな、って思いながら、もしかしたらフられないのかな、とちょっと期待してるかお。良かった、まだ泣いてない。

 とは言え怯む。何せ、さっきまで天敵だった相手なんだから。

 まず友達になれるんだろうか。喧嘩を売らない買わないって事がそもそも難しい。

「で、また、一緒に来よう。ここに」

 友達やれたら告白のリテイクしようぜ。

「……付き合ってくれるの?」

 そっち!? そっち……デートの申し込み的に受け取っちゃった!?

 俺の言い方が悪いのか?

 ……ふわっと染まったかおが、ちょっとかわいいかも。期待させて悪かったなと思いつつ、俺は首を振った。

「まず、友達やれたら考えるって事で」

 シュンと肩が落ちる。かわいいとこあるじゃん。さっきわんこアイスした奴とは別人だ。

 俺がしげしげ見ているのに気付いて、アイツの目がうろっとさまよった。

「手……放して」

 声が弱々しい。それで気付いた。俺はアイツの両手を掴んだままだった。だからアイツは俺の膝に乗り上げたまま。ちょっと身を乗り出してる形で。アイツがみじろいで膝上のスカートがひらひら揺れる。

 待て動くな。お前から乗っかって来たくせに今更もじもじするな。スカートの裾凝視しちゃうからちょっと待て。手の中で細い手首が震えてて、何かヤバい気がした。何がヤバいのか考えるのがマズい感じにヤバい。

 どこのバカップルだよ。むしろカップルじゃないと「おまわりさんこいつです」されちゃいそうだ。恥ずかしがってる女の両手掴んじゃってる俺スゴく不利じゃねェか。

 数瞬固まってから、俺はアイツの手をパッと放す。アイツはもそもそとちょっと離れてちんまり座った。うつむいたアイツが耳まで赤いのを見て、俺は片手で顔を覆う。

 反則だ。

 そむけた視線の先に、絶叫系。

「好きだよな、ジェットコースター」

 訊けば、アイツはまだちょっと赤いかおでうつむきがちに、うんと頷いた。

「よし。乗り倒そう」

 そう誘えば、アイツはホッとしたようにもう一つ頷いて、笑った。

 驚いて固まった俺に困惑するアイツに何でもないと首を振って、手を掴んでアトラクションに向かって歩き出す。手が熱い事が気付かれませんように。バクバクうるさい心臓が静まってかおの赤味が引くまで絶対振り返らない。

 閉園まで絶叫系を乗り倒して、合間に飲み物を買ったり、ポツポツ話をして。案外喧嘩しないで楽しくやれて。

 今まで何であんなに喧嘩ばかりしてたんだろうと不思議になるくらいだ。

 そうして、俺達は友達になった。

 夕日に照らされたゲートで、柚木を腕にぶら下げたキヨが、帰って来た俺達が手をつないでるのを見て嬉しそうに笑う。お前前から知ってたのかよ、と言うように睨めば、鈍いねサワはと言うようにキヨは苦笑する。

 「遅い!」と言いながら敷島が御子柴とつないだ手をぶんぶん振る。お前ら楽しかったみたいだな。

 どこを回ったとか誰それが何をしただのだべりながらゲートをくぐって、俺は振り返る。

 多分、この遊園地にまた来るんだと思う。アイツと、今度は二人で。

 その時は今度は俺から言うのかも。

 好きだって言ったら、今度こそ本気で泣くのかな。それとも、またアイツは笑ってくれるのかな。あんな風に。

 アイツの笑ったかおなんて、結構見てる気がするのに。初めて自分に向けられた笑顔は何だか、いや、全然違った。ぶわっと胸の中を一気に満たして、ふちからこぼれて溢れ出した感情。あんなもの、知らない。わんこアイスの比じゃない攻撃だった。

 知らないけど、「それ」を何て言うのかは知ってる。

 友達からとか言っておいて、ちょっと笑いかけられただけでころっと落ちるなんて自分でもどうかと思うけど。

 仕方ない。恋は落ちるものだから。

 今まであったはずの足元が崩れて、柔らかく足が沈む砂になったみたいだ。ふわふわと頼りなく、そして、沈んだら、もう、だめだ。

 あいつもこんな心許ない感じだったんだろうか。確かに、これはどうにかなってしまいそうだ。アイツが八つ当たりしたくなる気持ちもわからんでもない。

 だがまあ、そんなわけで、今日天敵が友達にジョブチェンジして、挙げ句、好きな人にクラスチェンジした。

 忙しない一日だったな。

 百八十度見方が変わって混乱してるから、しばらくは友達をしてそれから考える。つないだままの手をキュッと握ってくるコイツとの付き合いを、どうするかを。

 取り敢えずうつむきがちで隣でちんまりしてるコイツを抱き締めたいけど、今は友達だからがまん。

 キュッと握り返すと、うつむいたままのアイツがまなじりを解いて、口角をキュッと上げた。それだけで今は幸せで、どうにかなりそうだ。

 いっぱい言った酷い事や叩き返した分、ちゃんと好意を返せるようになったら。

 そうしたら好きって言おう。

 だから今は、もう少しだけこのままで。

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