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キンゾー、通過儀礼す

それから何回か、暑い夏と寒い冬をすごした。

少年キンゾーも少年期の曲がり角を迎えたようだった。

不安でもない、熱気でもない、あれはナンだったのかな、餓えたような物苦しさというか、妙に据わりの悪い心の揺らぎが、ずっとあった。

授業中、ふと外をみると、まったく不定形な妄想がわきあがり、酩酊のような状態になる。体内の熱が逃げ切れず、生の躍動が酒精発酵したようだった。

「キンゾー、知っとうな?」

「なんがね」

ちょっと早熟だったヨシボーが休み時間にすりよってきた。

「今度の日曜日にくさ、公民館でエレキのあるったい。オレの兄ちゃんがエレキばしようけん、出んしゃあとたい。で、キンゾー、オマエ、まだエレキば聞いたことのなかろ?オレが連んのうて(=連れて)行ってやるけん、一緒に来んや?」

「エレキちゃ、あのやかましかやつやろうもん。うじゃんしかぁ(=鬱陶しい)。それに、あげなた不良のするもんたい、て皆んながいいよんなさるばい(=いわれている)」

歌舞音曲なんぞは女のするもん、博多の男はチャラチャラ歌なぞ唄わないのだ!これが少年キンゾーの施政方針だった。

「へへーっ、オマエもそう思うとな。ところが、たい。悪いこと言わん、一回聞いてんない。シビレるぜ。たまらんけん。まぁ、なんたい、キンゾーのごたる(=ような)とは、たいがいハマろうや。よかやん、行こうぜ」

少年キンゾーの素っ頓狂な性格は、すでに周く膾炙していたようだった。

「オラァ、行かんばい。女子やなかっちゃけん。第一、やかましかとは好かん」

「嫌やったらすぐに帰ればよか。なんごとも経験たい、経験。聞いてみらな判らんこともあるとぜ。いいて、いいて、行こうや、な、な」

経験か、なんか説得力あるな。

しかし、ヨシボー、この口吻と強引があれば、麻薬のバイニンくらいにはなれたろうな。

「うーん、なら、ちょっとだけばい。好かんかったら、すぐ帰るけんね」

「おう、よか、よか。なら、日曜にオマエんがた(=家)に迎えに行くけん」

少年キンゾー、不良音楽との邂逅である。


日曜日、ヨシボーが迎えに来た。

約束した以上は仕方ないのだが、なんか面倒だよな、という思いは吹っ切れなかった。大体、あんなヤカマシイ(といわれる)エレキが面白いわけないのだ。

「エレキやら、不良ばっかりっちゃろ?くらされ(=殴られ)んやろね?」

「なーんがか。オレの兄ちゃんでちゃエレキばしようとぜ。兄ちゃんな頭の良かけん、福高(=福岡高校のこと。旧福岡一中。名門である)に行きよんなさるとばい。不良なわけ、なかろうもん」

(そげなモンかなー。ばってん、よーと(=十分に)気ば付けとかなつまらんばい)

エレキ会場の公民館まで、さほど遠くはない。

公民館の入り口には結構、兄ちゃん、姉ちゃんたちが集まっていた。

「ヨシボー、高校やら中学の人たちのいっぱいおんしゃー(いる)ね」

「そら、ハヤリやもん、いっぱい来るくさ。それになぁ、女子の多かろうが、ここで女子ば引っ掛けちゃろて来るヤツも多かとぜ」

(引っ掛けるやら、そげな…。先生にがられるばい)

少年キンゾーはまだウブなのである。

と、同時に「引っ掛ける」という言葉を臆面もなく口に出せるヨシボーが、ひどく大人に見えた。

入り口の中学・高校生たちの姿が、自分の姿とまったく違っていることにも気付いた。

こざっぱりとアカヌケした姿がまぶしい。

ところがキンゾーは、ズックにボッチャン刈り、てんで少年、少年しているのだ。

(イカン!ここはまちっと(=もう少し)ツヤばつけて(=カッコつけて)来ないかんとこばい!)

曲がり角にさしかかった少年キンゾーの直感が、警報を鳴らしていた。

(こげな格好はつぁーらん(=ダメだ)とばい!兄ちゃんたちと同じ格好ばせんと、みっともなか。こら恥ずかしかぁ!)

少年キンゾー、服飾迷宮への突入である。

そして、そのアカヌケした姿がアイビールックということを、キンゾーは一月もせぬうちに知るのである。


パンドラの箱は開いた。

異性。音楽。ファッション。

つまり、キンゾーの脱少年。

少年キンゾーの通過儀礼が、徐々に形となってきた。


恐る恐るエレキ会場の公民館に入る。

今でこそ照明だ、PAだ、モニターだと大仕掛けだが、当時はマイクとアンプとドラムス、以上!という潔さ。カーテンで会場を暗くすることすらない。

アンプとてギター台数分あるわけでなく、一台のアンプにチャンネル分のシールドをブッ込むのは普通だった。ひどいのになると、ハイ・ロウ両端子につないでしまう。今から考えると、あれ、どうやって音量を調整してたんだろう。工夫が必要を凌駕したんだろうな、きっと。

足りない、足りないは、工夫が足りない、か(喩えが古いな、どうにも)。


気圧されたまま呆然としていると、公民館の低いステージにエレキの兄ちゃんたちが上がってきた。

アンプの電源を入れると、インジケーターが鈍く光り始めた。

ゴリゴリゴリとシールドをブッ込む接触ノイズ、ドラムス・シンバル(これだってトップシンバルのみ。サイドシンバルなんてなかった)のシズル音、アー、テス、テスというマイクチェック。

これから始まるであろう、あの「やかましく、かつ不良のする」エレキ。

おや? なんだか怪しいが、妙に居心地がいい。

忌避したくても、居られずにはいられない。この奇妙な居心地のいい怪しさは、キンゾーの予想とは、どうも違う。放生会で見るお化け屋敷の怪しさと、まったく違う。

このカンジ、なんなんだろ。

怖いもの見たさ? いや、そうじゃない。

この世界は、きっとキンゾー自らの世界を止揚するに違いない、そんな予感をさせる蠱惑。安仕掛けの辺縁にある高揚感。脳天へ突き抜けるドライブ感、蟻走感。絶頂前の上昇感、覚醒感。五感がキンと総毛立つ冷涼感。

初めてだ、こんなの!

やかましいのだろうが、それがどうした。

不良がするもの、それがどうした。

これはオマエが受け容れるべきものだぞ、と少年キンゾーの直感が囁き始めた。

(え?え?え? なん、これ? おりょりょりょりょ、なんかワクワクしとうばい…)

少年キンゾーの中で、なにかが転がり始めていた。

じゃ、はじめます、とステージのエレキ兄ちゃんが無愛想にいった。


キンゾーはどうやって家に帰ったのか覚えていなかった。自宅に帰っても、キンゾーはエレキサウンドに酔っていた。

初めて聞いたエレキに、キンゾーの脳天は白熱沸騰しっ放しだった。大音量(と最初は思えた。ただし当時のアンプ出力はせいぜい三十Wなので、今の基準でいけば児戯に等しい)とリズムはキンゾーのニューロンを一気に発火させた。

キンゾーは居間の隅にたてかけられていた箒を手にした。

箒は見ようによっては、エレキに見えないこともない。エレキに見立てた箒を抱え、キンゾーは一時間前のことを反芻再現しはじめた。

(こら、よかっ!博多ん男はエレキばいっ!)

フェンダーもなければ、マーシャルもない。

しかし、ただの箒は、キンゾーにとって新しい世界をかきたてる魔法のそれだった。

(エレキの欲しかっ!)

ハーッ、この単純さに、書いていても呆れるな。

ま、当然のように「エレキを買ってくれ」などという願いは、母親の「キンゾー、熱のあるっちゃなかと?」という一言で却下された。

結局、エレキを手に入れるまで、大学まで待たねばならない。

その代わり、といっちゃナンだが、キンゾーはポップスに猛烈に傾斜し始めるのである。


前にも書いたが、そのころ板付基地には進駐軍が駐屯していて、FEN(=極東放送。進駐軍のラジオネットワーク)が終日流れていた。

民間ラジオの深夜放送は、まだ始まっていない。FM放送は皆無。しかも日本のラジオとFENとではポップスの密度が違いすぎた。

ポップスだけじゃない。

FENはブルース、ジャズ、R&B、なんでもありカオス混沌ガメ煮(=博多の郷土料理。一般的には筑前煮というな)状態。演歌や昼の憩いなんてな、おととい来やがれ、ってなもんだ。

このときだけはアメちゃんに感謝!のキンゾーであった。


ところがキンゾーには困ったことが二つあった。

ひとつは、まったく英語がわからない。

これは、まぁ、好きな曲ってな、すぐに覚えてしまうんで、それを日本の放送で確認すればなんとかなった。

しかし、もうひとつの解決には、ちょっと手間取った。

手間取ったもう一つの問題とは、ラジオ、そのもののこと。つまり、自分専用のラジオがないんだ。

台所に古いラジオはある。

FENを聞きたいときは、台所まで行き、それから必ずNHKに合わせてある周波数を、FENにチューニングしなおさなければならない。面倒このうえないし、キンゾーはいつだってFENが聞きたいのだ。

(トランジスタラジオの欲しかっ!)

エレキなんぞより、はるかに深刻かつ喫緊の課題である。

こうなれば奇手妙手、計理計略などない。

ひたすら哀訴、懇願、泣き落とし。

連日、トランジスタラジオ買うてくれ、正月のお年玉もいらんけん、勉強がんばるけん、一生のお願いやけん、○○クンも持っとうとばい、買ってくれー、の連呼、連呼、連呼。

二月かかった。

とうとう親も音を上げたのだろう、質流れのトランジスタラジオを買ってくれた。

東芝のトランジスタラジオ。赤いプラスチックボディが眩しかった。電池を入れ、スイッチをひねり、FENに合わせる。

「ホニャラホニャラナントカカントカ、イタヅ〜ケ、ピンポーン」

イタヅ〜ケという言葉しかわからないけれど、小さなラジオから流れ出したFENに、キンゾーはもう有頂天だった。

(音楽はてけてけベンチャーズだけじゃなかとばい!)

(黒かとや、白かと、ジャジーやら、オナゴのよか歌やら、ビッグバンドやら、もうなんでんかんでん(=なんでもかんでも)あるとぜ!)

音楽ちゃ、すごかっ!

キンゾーは洋楽の深暗を覗き込む縁に立った。トランジスタラジオがキンゾーのメルクマールとなったのである。

ついでながら。

トランジスタラジオを買ってもらったけれども、キンゾーはすべての約束を反故にした。お年玉も平気でもらう、勉強はほっぽりっぱなし、一生のお願いはその後、何回も使いまわされるのである。


初めて買ったレコードは、誰でも忘れはしまい。

キンゾーのそれはデイブ・クラーク・ファイブのビコーズである。

FENから流れたその曲に、キンゾーはウットリ聞き込んでいた。イントロのコード進行が、めちゃめちゃイカシてんだよな(イカス、なんてのは死語か)。

(あー、この曲、聴きたいときに聴けたら気持ちいいやろーねー)

この望みに、キンゾーの単純明快な脳シナプス回路が、一瞬でできあがった。

(そうたい、レコードば買えばよかっちゃない。なーん、簡単やん)

陶器製の貯金箱を叩き割り、その購入代金にあてた。これ以降、キンゾーは貯金にまったく無縁の生活を送ることになるが、本論とは関係ないので割愛する。

しかしキンゾーは電蓄(これも死語か。えーと、電蓄とは小型のレコードプレーヤーです)を持っていない(ハイファイ装置なんてな夢のまた夢)。

隣の肉屋の兄ちゃんに借りるしかない。

隣の兄ちゃんに、キンゾーはチビの頃から可愛がってもらっていた。それに兄ちゃんは青春歌謡曲が大好きで、当然、電蓄も持っていた。

「兄ちゃん、電蓄ば貸しちゃらんね?」

兄ちゃんは、おお、いつでんヨカばい、と快く貸してくれた。

レコード盤に針を落とし、少しスクラッチノイズがした後、チャチャチャチャラ〜ンチャと鳴り始めたうれしさといったら!

電蓄の周りを、ウハハハハハと叫びながら、意味もなく回り続けたくなる。

これ、これ、これたいっ!

よかろ、かっこよかろ、いわせんやろーが、たまらん、ツヤすぎっ!

キンゾーはビコーズのカッコよさを、通りで叫びたいほどだった。

(しかし、なんだ、人の通過儀礼とは、まったく成長していないバカさ加減を、数十年後に再認識することであるな)

音楽の福音啓示は完全に降下した。キンゾーはただただ音楽の快感にどっぷりと浸かりたかった。

学校では同じように音楽に淫しはじめたフクちゃんや、ミズタくんと盛りあがっていた。

「やっぱマージービートがツヤばい」

「知っとうや?シカゴブルースっていうとのあってからくさ」

「ビートルズやろうもん」

「なーんがか、ローリングストーンズに決まっとろうもん」

「日本のグループサウンズやら、ヘッポコばい」

「おう、そらいえとる」

「ハーマンズハーミッツのEPば買うたけん」

「お、貸しない、それ」

休み時間の会話だけではあきたらず、破いたノートでの論争がキンゾーの周りでループしていた。


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