キンゾー、稲尾する
まあ、アッシのガキの頃の思い出話みたいなもんす。博多弁が随所に使われています。適宜、カッコつきで説明していますが、時に意味不明になるかもしれません。平にご寛恕ください。
ここに今、タイムマシンがあるとしようか。
ただし、そいつはへっぽこタイムマシンで、過去にしか行けない。
さて、あなたなら、いつの頃にワープしたいと思うだろうか。
青春真っ盛りの高校時代? それともなにもかにもが輝く結婚前の頃? 初めての子供と対面した、あの切ないほど嬉しい頃?
それは人それぞれなんだろうが、さて。
ボクは迷うことなく小学校時代に戻りたい。間違っても高校時代なんていやだ。高校時代は…勘違いと…自意識過剰と…性欲ばかりの…。
今でもワーッと叫んで、布団に潜り込みたくなるような、情けなく恥ずかしいことばかりが思い出される。
小学校の頃、ボクはこの時間が永遠に続くと思っていた。一日は瞬く間に終わってしまうけど、一年はとてつもなく長かった。早く上級生になりたいと願うのだが、一年は遅々として進まない。いったい来年は本当に来るんだろうか、不安になることもあった。
一日は三六五日、あきれるほど変わらない。
朝は腹が減って目が覚める。朝飯は、ご飯、味噌汁、漬物、それに昨日の残り物のなにか。ガガガッとかっ込むと、判で押したように便意を催す。速攻で便所に駆け込み、さー、学校へ行くぞ!
学校は毎日何かが起こるワンダーランドだ。登校途中で、ワルガキ仲間にあう。会えばまず話すのは、放課後、なにして遊ぼうか、という相談だ。
放課後のお楽しみで、授業なんて上の空。天気はいいし、あの原っぱも待っている。早く来い、放課後!
なにしろ重労働だった。
毎日毎日、厳しい遊びが続き、ヘトヘトだった。仕事なんざ比較にならないほど忙しい。
終わらないんだ。いや、終われないんだ、次から次で。そもそも終わろうなんて、露ほども思っちゃいないけどな。
学校から帰ると、なにかそこにあるオヤツ、んー、なければ、お櫃から冷や飯を取り出し、残り物の冷たい味噌汁をぶっかけて、かっこむ。
あれは、意外とうまかったなー。
で、ランドセルを放り投げて、遊びに行く…。
あ、そだ、ランドセルのハナシをしよう。
普通、ランドセルは六年間使う。それくらいには丈夫にできている。オイラも小学校入学の時、祖母から買ってもらった。
その頃は、結構景気がよくて、ちょいとリッチなものだったらしい。もっとも、直後に保証人倒れでエライ目にあうのだけどね。
ところがオイラのランドセルは三年も持たなかった。
当時、博多の子供のスターといえば、稲尾、中西に力道山だ。なんといっても稲尾!背番号24!西鉄ライオンズとともにある博多っ子が、稲尾を中西を応援しないことがあろうか(いや、ない)と反語表現でも足りないくらい熱狂的だったのである。
となれば、当時からエキセントリックかつ素っ頓狂であったオイラがやらかさないわけがない。
オイラの家は家族経営で工務店を経営していた。したがって出入りする大工さんや左官さんがたくさんいるわけで、ノミやノコギリ、コテ、スミツボ、カンナと工具には事欠かない。
これはランドセルを加工するには、うってつけじゃないか!と、ワルガキボンクラ頭が閃いたのである。
その頃、ユニフォームを販売する西鉄球団公認ショップなどあろうはずもなく(あったのかもしれない)、せいぜいドイツ文字NLマークの帽子を被るくらいが精一杯だった。
しかし、原っぱの三角ベースは、皆が稲尾であり、皆が中西だったのである。
「オレ、ピッチャーやけん、稲尾な」
「なら、オレが打つけん、中西やね」
「なんがか、おまえが中西なわけなかろうもん。おまえはアブラムシ(=員数外)たい」
「なーん、好かーん。なら高倉くらいにしちゃり」
「おう、高倉ならよか。切り込み隊長たい」
数多の中西、稲尾は他愛ないのである。
博多では神様、仏様、稲尾様なのであるから、稲尾との同体性を誇示する事が、子供社会では気が利いているのである。ツヤでカッコイイのである。
少年キンゾーはこう考えた。
(ユニフォームに似せて、背番号を背負えばいいのだ!)
出入りの大工さんの道具箱から、一番細く、切れ味の良さそうなノミを拝借した。ランドセルの背皮に目見当をつけ、一気にノミで24と彫っていく。切れ味はさすがプロ仕様、サクサクッと彫れていく。少年キンゾーの頭では、24の4の中がすっぱり落ちて、4の外側だけにしかならない、ということに気付いたのは、すっかり彫りあがったあとだった。
彫れた、というより、ズタズタになった、というほうが正しい。ビランビランになったランドセル背皮だったが、少年キンゾーは得意だった。
(へへぇ、ツヤやね)
むろん、このあと母親からコテンパンに怒られることは、まだ想像の外だった。
翌朝、得意満面で学校へ行く。
途中で、いつものタッチャンやケンチャンとあう。
「ちょっと見ちゃってん」と後をむく。
「お、背番号やん。稲尾やない。ツヤやねー」
「あらー、こらいわせんばい」
「ばってん、これ、中の教科書が見えようばい」
「おろっ、こらどうかいな。お母ちゃんな、こげんなったと知っとんしゃーと?」
「うんにゃ、昨日の夜、コソーッとしたけん、知らんめぇや」
「キンチャン、お母ちゃんに、が(怒る)らるうばい、そらぁ」
「そうかいな」
「そらそうやろ、こっぱげとっちゃ(壊れた)けん。早めに謝ったほうがいいっちゃない?」
「よかー。見せんどきゃよかっちゃろうもん」
強がってはみたものの、少年キンゾーも不安が広がってきた。
(やっぱ、がらるうかいな。まだ新品のごとしとーもんな…)
(お母ちゃん、ランドセルば見たらいかんばい、ていわないかん)
少年キンゾーの思考回路は、かくも単純明快だったのである。しかも、三歩進むと忘れてしまう、つまり記憶保持回路が欠落していたのである。
帰り道、いつものように松田町の原っぱで会うことにして、一度家に帰る。
「ただいまー。あー、腹の減ったぁ、なんかなか?」
ランドセルを放り投げながら、母親に尋ねた。
「トウキビ(=トウモロコシ)の茹でちゃるけん、それば食べんしゃい…ん?」
トウキビに手を伸ばしかけた瞬間、母親の不審な視線に気付いた。
(いかん!ランドセルば見せたら、しまえる(=とんでもないことになる)ばい!)
「キンゾー、なんね、これは」
「な、な、なんね、て、そらぁランドセルたい」
「ランドセルはわかっとうと。ばってん、なしこげんボロボロかとね」
「…」
「はっきり言いんしゃい」
「稲尾の…」
「稲尾がどーしたとね」
「稲尾の背番号ば、彫ったったい。ツヤかろ?」
「こん、バカチンが!ランドセルを粗末にするバカチンがどこにおるねっ!」
母親のゲンコツは痛かった。
母親のゲンコツもさることながら、さらに輪をかけて痛かったのが祖母のそれだ。
母親から一発やられたとき、たまたま祖母もそこにいた。
背番号24を雄雄しく(と自分には見えた)彫り、ランドセルを買ってくれたのが、祖母だった。
祖母は煙管で煙草を吸う。いつも長火鉢の横に、煙草盆が置いてあった。母親のゲンコツのあと、ボクは長火鉢の横に正座させられ、祖母から煙管の吸い口でゴンといかれた。
あれは痛いんだ。今日び煙管なんてないだろうから、それは想像してもらうしかない。
しかし、これだけはハッキリいえる。
煙管のゴンは、ゲンコツの10倍痛い。
「牛と嫁は三日に一度殴れ」という乱暴な俚諺がある。
この伝で申せば、こうなる。
「ワルガキは煙管でしつけろ」
事実、この煙管の痛みで、ワルガキキンゾーは育ち、躾られたのである。
そ、最近の子供は痛みを知らないから、おかしなことになってきたんだ、とこれはオイラの持論。
で、それから。
煙管のゴンは食らったけど、少しタンコブで盛り上がった頭を掻きつつ、オイラは松田町の原っぱに集合したのは、申すまでもない。
その後、しばらくはビロンビロンになったランドセルを背負っていたが、祖母が「今度はキンゾーがワルサのでけんごと、からいカバン(=ショルダーバッグ型のそれ)にしたけん」と、キャンバス地の雑嚢を買ってきてくれた。
このカバンは、中学卒業までお世話になることになる。
これにもいろんな出来事が、たっぷり沁み込んでいるのだが、いずれ、また、ということで。
脱線ついでに、もう一つ。
懲罰的躾には、グレードというか、段階がある。軽い方は、ま、口頭での注意。あー、注意ってなちょっとヘンかな、怒られる、という方が正しいかな。
その次は、この注意を正座し謹聴する(頭の中は別のこと考えていたけど)。
それから、ゲンコ、で最後が、煙管でゴン。
しかし、だ。我が家では煙管よりシビアな最終兵器があった。
お灸、である。
お灸をすえる、とはまさにその通りの意味で膾炙しているが、オイラのお灸はちょっと違ってた。お灸を指にすえるのである。
親指を上にして、ゲンコツを握る。ちょうど人差し指の第二関節のところが、相手正面を向く格好になる。ここにお灸をすえるんだ。
最初は熱くもないし、どってことない。
ところがだんだんとモグサが爆ぜ、プスプスと剣呑な煙をあげて皮膚に近づいてくると、それはもう、あーた、エライこってすぜ!
泣くね、泣く、泣く。熱くて痛くて情けなくて、涙が止まらないんだ。
あー、ホントに馬鹿なことやっちまったなー、と少なくともお灸の間は反省する。しかし反省したからといって、モグサが消えてくれることはない。
お灸は消える寸前が一番熱い。
消えるまであと少し、あと少しと眺めているのだが、それに反比例して幾何級数的に熱さが増す。徐々に辛さが増すんだ。熱さの一点突破、全面展開。これは効くよー、ワルサの躾に。
お灸をすえるばい!と言われたら、体が強張ったもんね。ま、とんでもないことやらかしたんだから、しゃーないといや、しゃーないんだけどさ。
で、オイラの両人差し指第二関節には、いまでもお灸のあとがある。
理由?
そらあなた、いろいろとね…。
とにかくもう、ハラホロヒレハレの、おおごとでからですね、一行や二行じゃとてもとても…これもいずれ、折をみて、と。