表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

Short Short Circuit

降ります

作者: 境康隆

 もう嫌。もう嫌。もう嫌――

 言うことを聞かずに泣く子供に、私の方が泣きそうになる。

 油断すれば肩が触れ合うような、日も暮れた車内。疲れた人間を満載した電車の中だ。

 そんな中で私の子供は辺り構わず泣き散らす。

 年配の女性がそんな私達を笑顔で見ていた。

 うるさい――

 私はただ純粋に笑みを向けてくれた女性にすら苛立ちを覚える。

 泣き出したのは子供の我がままだ。せっかく買ってやったお菓子を、家まで我慢できずに泣き出したのだ。堪らず声に出して叱ると、もっと大声で喚き散らした。

 お菓子を買ってあげたのに。重い荷物を持って、この子まで抱えているというのに。仕事で疲れた体で、せっかくの休みに連れ出してやってあげたというのに。大変な思いで生んで、私一人で育ててあげているのに。

 そんな思いがつのると、考えてしまうのはその反対の感情だ。

 お菓子なんて買うんじゃなかった。

 抱えてあげるんじゃなかった。

 出かけるんじゃなかった。

 生むんじゃ――

 私は考えまいと心の中で首を振る。

 子供はまだ泣き止まない。

 勿論好意の目を向けてくれる人ばかりではない。若い人の中には、舌打ちのような一瞬の視線を送ってくる人もいる。

 降りたい――

 家の最寄り駅までまだまだなのに、私は次の駅で降りたくなる。

 いっそこの子育てから降り――

 私は湧き上がってきた感情を誤魔化す為に、子供をまた叱りつけた。

 もちろん子供は更に大きな声で泣きじゃくるだけだった。



 電車が最寄り駅に一路向かっていく。かなり長い時間を私は子供を抱え電車に揺られた。

 混雑は徐々に晴れていった。皆が疲れた顔で私達より先に降りていく。

 それだけ遠くに連れ出してあげたのに、私の子供はまだ泣き止まない。

 私は空いた席にやっと子供と座る。子供はそれでも泣き止まない。

 ドア脇に立っていた若い乗客が、やはりちらりと視線を送ってきた。

 何かあなたに迷惑をかけましたっけ――

 その視線に私はそう言ってやりたい。

 子供は泣き止まない。

 もう――

 何で私の言うことを聞いてくれないの? 私が悪いの?

 何でよ――

 尚もぐずる子供を強引に席に座らせ、私は泣き声押さえつけるように強くその腕を握った。



 電車がやっと私達の降りる駅に着いた。ドアが開く。

 私は安堵とともに立ち上がる。もう二度とこの子と出かけない。そんなことすら考えてしまっていた。

 だがそんな訳にもいかない。色々大変だったが、後は電車を降りて少し歩くだけだ。そしたら全てが報われるのだ。

 このお出かけも。少し大げさに言えばこの子育ても。

 自分にそう言い聞かせて席を立つ。少し気分が晴れた。

 暗いことばかり考えていた反動からか、この子を生んでよかったとすら考え始める。

 だがその時不意に、私の手から子供の腕の感覚が消えた。

 転んだのだ。

 考え事をしていた私は、引いていた手をあっさりと離してしまった。あまつさえ一人で一、二歩とドアに向かう。

 子供は転んだ途端に泣き出した。今度は痛みで泣き出し、一人で立ち上がろうとしない。

 そんな――

 慌てて振り返った私。

 何? 降りれないの? ドア閉まるんだけど?

 私の背中のドア。それはいつも直ぐに閉まる。

 えっ? 折り返すの? 次の駅の階段を昇り降りしてまで?

 電車は長い。車掌室から私達の様子は見えない。車掌は直ぐにドアを閉めるはず。

 この子を抱えて? 重い荷物持って? 早く帰りたいのに?

 私は頭の中が疲労と疑問で埋まってしまい、上手く体が動かない。

 降ります――

 私はこの子育てから降ります。そんなことまでまた考えてしまう。

 それでも私は子供の手をとった。でももう間に合わないだろう。

 降ります――

 私は姿も見えない車掌に懇願するように振りかえる。

 だがおかしなことに、ドアはまだ開いていた。

 私には何があったのか分からない。でもこの幸運に脇見も振らずドアから飛び出した。

 駅に降りた私は安堵とともに電車に振りかえる。

 何かが視界の端で動いた。ドアの脇に立っていた乗客が、そこから顔を引っ込めたのだ。

 その乗客に子供が無邪気に手を振った。ドアが閉まり、去りゆく乗客が笑顔で子供に手を振り返す。

 そして電車の去り際に、車掌が軽く私に会釈をしてくれた。やはり子供が手を振って見送る。

 子供にすら直ぐに分かったことを私はやっと理解する。

 降ります――

 あの乗客がそのことをドアから顔を出して知らせ、車掌も察してくれたのだ。

 私はしばらくその場に立ち尽くす。

 子供がお家に帰ろうと私の手を引き、私はぎゅっとその手を握り返した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ・・子供の泣き声、よいラストだったと思います。 (バランス的にはイライラ描写が長過ぎたかな?) また次の作品も楽しみにして居ます。
2010/12/13 20:55 退会済み
管理
[一言] はじめまして。 いつも興味を持って拝見させていただいています。 結末が少し怖くて、引き込まれてしまいました。 「降ります」 って怖い言葉ですね。 うちの、末娘も泣いてばかりで、ほんの少し先ま…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ