任命
ヴァルブレード王国の王都グランツ
大陸でも最大級の規模を誇る王都のメインストリートを、1人の青年が気怠げに歩いていた。
青年の名は「マーティン」
大陸最強にして王家直属の武闘派集団『グランツ騎士団』に所属する騎士である。
「あー…くそ、マジでだるいな…」
立派な濃紺色の制服を着崩し、ボヤきながらふと目に入った小石を爪先で蹴飛ばした。
カァン!
力任せに蹴飛ばされた石が乾いた音を立てて勢いよく路地の隅へと転がっていく。
彼の憂鬱の原因は明白だった。今朝届いた副団長からの兵舎への出頭命令である。用件は考えるまでもない。どうせ一昨日と昨日の訓練をすっぽかしたことに対する説教だ。
(なんで俺が王様のパレードのリハーサルやら行進の訓練に出なきゃならねえんだよ)
マーティンは大きくため息をつき、頭の後ろで腕を組んだ。
騎士なら騎士らしくただ剣を振っていればいい。それが彼の持論である。
「グランツの騎士がいるぞ」という人々からの驚きの眼差しも今の彼にとっては苛立ちを募らせる原因にすぎなかった。
そもそも、息が詰まるような貴族の建前や礼儀作法から逃げ出したくて実家の貴族家を飛び出したというのに、行き着いた先の騎士団でまた作法をやらされるなど何の冗談だろうか。
「……ホント、向いてねえわ。俺」
そんなぼやきをこぼしている間に、視線の先には巨大で堅牢な建造物──グランツ騎士団の兵舎が見えてきた。
厳格な姿勢で構えている門番に形ばかりの敬礼をしてから正門をくぐる。
(クロード副団長のことだ。今日は説教のあとに木剣で半殺しにされるかもな…)
青い顔をしながら兵舎内を歩き、騎士団の執務室のドアの前で立ち止まった。
大きく深呼吸をし、ドアをノックすると
「入れ」
ひどく冷徹で短い声がドアから響き、これはどうも機嫌が悪いなと内心顔を顰めながら静かにドアを開けた。
「副団長、お呼びでしょうか?」
執務室の真ん中の机で積まれた書類に目を通しながらペンを走らせる男が1人。
これがグランツ騎士団副団長「クロード・テアシュテーラー」その人である。
一見すると小柄で強くはなさそうだが騎士団でダントツの強さを誇り、その瞳の奥に秘める冷徹さはマーティンが骨の髄まで知っている。
副団長はペンを走らせたまま、顔もあげずに口を開いた。
「遅いぞ、マーティン。また一昨日と昨日の行進とパレードのリハーサルの訓練から逃げ出したそうだな?」
「申し訳ございません、ここ数日熱で寝込んでおりまして…」
「嘘をつくならもう少しマシな嘘をつけ。夕方の模擬試合には出席していたことは知っているぞ?」
逃げ道を完全に断たれたマーティンは愛想笑いで誤魔化すしかない。
(終わった…)
もう昔のような抵抗する気すら起きず、項垂れて死を覚悟した。
「まあ、それはもういい」
ふとクロードが書類から顔をあげ、雷を落とす代わりにこう告げた。
「マーティン、お前には地方貴族の屋敷へ行ってもらう。そこの令嬢の専属護衛騎士としての任務だ」
「…は?」
マーティンは間の抜けた声を漏らした。
長時間の説教、あるいはありがたいしごきが来ると思っていたところへの、予想外すぎる通達。
「地方貴族の…護衛?」
マーティンの脳内で、猛烈な勢いで計算が始まった。
地方の屋敷。当然、あの退屈で窮屈な作法訓練や行進訓練なんてない。うるさい教官もいない。豪勢な田舎の屋敷で、美味い飯を食いながら、適当に貴族のお嬢様の後ろを歩いていればいいだけの、まさに天国のような任務だ。
(うおっしゃぁぁぁっ!!)
歓喜で顔がにやけそうになるのを、マーティンは必死に押し殺した。表情筋がピクピクと痙攣しそうになる。
「……承知いたしました。そのような名誉ある任務、このマーティン、謹んでお受け──」
「ただし」
いそいそと引き受けようとしたマーティンの言葉を、クロードが冷たく遮った。
「お前は『グランツ騎士団のマーティン』として赴くわけではない。王都の騎士団とは一切無関係の、しがない地方騎士として潜り込んでもらう。今日からお前の名は『クリス』だ。決してグランツの名を出すな」
「……偽装任務、ですか?」
マーティンは眉をひそめた。偽名を名乗るなど、騎士の任務としてはあまりに不自然だ。
「グランツ騎士団は本来、王室や王族の命を守るための近衛部隊だ。一介の地方貴族の護衛など、一応は我々の職務の範囲外だからな。そのためだ」
「はぁ……?」
クロードの尤もらしい説明に、マーティンは素直な疑問を口にする。
「では、なぜ俺がその令嬢の護衛を? 地方貴族の護衛なんざ、地方の騎士に任せておけばいいのでは……」
そこまで言いかけた瞬間、室内の空気が急激に冷たくなり、クロードが、スッと目を細めてマーティンを射抜いた。
「……なんだ? 行きたくないのか?」
「いやいやいや! とんでもないっ!」
背筋に冷たい汗が伝うのを感じながら、マーティンは首がもげるほどの勢いでブンブンと横に振った。
ここで「行かない」などと口走れば、明日からまたあの地獄の訓練が待っている。それだけは絶対に避けなければならない。
必死に否定するマーティンを見て、副団長は短く鼻を鳴らした。
「ま、ちょっとその令嬢が後継争いのいざこざに巻き込まれていてな。深いことは気にするな。お前はただ、任務に集中すればいい」
「……」
「出発は明日の朝だ。荷物をまとめて西門に向かえ。寝坊するなよ。以上。頼んだぞ」
言うが早いか、副団長はバサリとマントを翻して机を立ち、マーティンを一人執務室に置いたまま、さっさと部屋から出て行ってしまった。
「……え、は?あ、明日…!?」




