AIは平気で嘘をつく~AIに相談 ~超個人的意見
AIについては、毎日のように議論になっている。
「AIっぽいのに、記載がない」
「どこまで使えばAI作品なのか」
「利用したと明記すべき基準は合っているのか」
・・・だが、今回はその話ではない。
私が言いたいのは、もっと単純な事だ。
AIを信用しすぎじゃない?
それだけである。
皆さん、自分の作者名をAIで検索した事はあるだろうか。
本名でもいい。
エゴサーチをする人は昔からいるが、私は全くしない派だ。ところが、ある方のエッセイを読んで、ふと思った。
「そういえば、AIは私をどう認識しているんだろう」
試しに聞いてみた。
「時司龍って誰?」
すると返ってきた。
『WEBエッセイストです。代表作は『時司の愚痴日誌』『超個人的意見』シリーズです』
・・・まあ、その辺は最近エッセイばかり投稿しているので納得できる。
問題はその次だった。
「プロフィールを教えて」
AIは自信満々に語り始めた。
経歴。
活動歴。
執筆スタイル。
人物像。
見事なまでに、全部それっぽい。そして、見事なまでに全部嘘だった。
「いや、誰の話?」
思わず画面に向かってツッコんだ。横に出てくる写真の人物誰?
ここで笑って終われる話ならいい。
問題は、そのAIに人生相談をしている人が急激に増えているらしい事である。私の周りにも相談はAI。親友はAIという人が幾人かいる。
例えば、
「今日の晩ご飯どうしよう。トマトときゅうりと卵がある」
こんな相談なら何の問題もない。
『トマトと卵の中華炒めに、きゅうりの塩昆布和えはどうでしょう』
『冷やしそうめんにトマトときゅうり、玉子を添えるのもオススメです』
便利だ。本当に便利。
私だって使う。
だが、最近は話が違ってきている。
職場のパワハラ。毎日のように精神を削られ、逃げ場もなく、しかし「これって普通ですか?」と誰にも言えずにAIへ打ち込む。
離婚。感情と法律と生活がぐちゃぐちゃに絡まり、誰を信じていいのか分からないまま、「どっちが正しいですか?」とAIに問いかける。
育児。正解のない世界で、泣き声と睡眠不足に追い詰められ、「この子は普通ですか?」とネット検索の代わりにAIへ投げる。
介護。終わりの見えない消耗戦の中で、優しさと限界の境界が曖昧になり、「もう無理かもしれない」と言う代わりにAIに打ち明ける。
遺産相続。血縁という名の地雷原で、表面上は冷静を装いながら、内心では誰かを疑い続け、「どう動くべきか?」をAIに委ねる。
そして気づけば、人生を左右する相談までAIに任せる人達がいる。
その度に私は思う。
ちょっと待て。
AIは平気で嘘をつく。
しかも、自信満々に。
「でもAIって、すごく自然に答えてくれるよ?」
「そう。だから怖い」
「間違っていたら分かるでしょ?」
「私のプロフィールすら勝手に作る相手に、自分の人生を相談する?」
相手は黙った。
そう。
AIの怖さは、嘘をつく事ではない。
嘘を本当らしく話す事だ。
昔だって、人に相談して間違った助言をされる事はあった。
だから「AIも同じじゃない?」と思う人もいるだろう。
だが、一つだけ決定的な違いがある。
昔は、おせっかいな人がいた。
「あんた、それ市役所に相談しなさい」
「労基署へ行った方がいい」
「一回病院で診てもらったら?」
「弁護士を紹介しようか?」
相談相手が、自分より詳しい人へ繋いでくれた。
更におせっかいなら、
「きちんと行って、相談してきた? まだ行ってないの? 早く行ってきなさい」
こういう人間関係が邪魔くさいのは分かる。そういうのが面倒だから、AIに相談しているのだろう。
AIは違う。
画面の向こうで答えを返して終わり。
その先へは連れて行ってくれない。
『それは普通ですよ』
もしAIがそう答えたら、本当はパワハラなのに、普通なんだと我慢してしまうかもしれない。
『子どもの発達には、見えないほどの個人差があります』
その一文だけを信じて、受診のタイミングを逃すかもしれない。
『その契約で問題ありません』
そう言われて、取り返しのつかない判を押す人がいるかもしれない。
ネット検索だって同じだろう、という人もいる。
いや、少し違うとあえて書かせてもらう。
検索なら複数の記事を読む。公式サイトを見る。専門家の意見を探す。
情報を比べる。
間違っているかもしれないと疑う。
その作業がある。
ところがAIは、一つの答えを、まるで完成品のように差し出してくる。
だから人は安心してしまう。「これでいいんだ」と思った瞬間に、思考は止まる。
検索をやめる。別のサイトを開く事をやめる。
本当にそうなのかと疑う事をやめる。
誰かに確認する事をやめる。
そして気づかないうちに、「AIが言ったから」という一言が、自分の判断よりも上位に置かれていく。
そこが一番危ない。
AIは便利だ。
料理も考えてくれる。誤字脱字チェックもしてくれる。
旅行プランも作ってくれる。
恋人代わりに・・・という記事を読んだ時は二度見したが。
私も時々使っている。
だからこそ余計にタチが悪いと感じる。
便利と信用は別物・・・なんて言い方はまだ優しい方で、実際には混同した瞬間に思考は腐っていく。
AIは優秀な助手ではない。
正確には、無責任な、それっぽい正解らしきものを出力しているだけだ。
もっと言えば、責任を一切引き受けないまま、もっともらしい言葉だけを量産する装置である。
だからこそ危ない。
これでいいんだと思わせるのが、あまりにも上手い。
だが忘れてはいけない。
AIは人生の責任者にはなれないし、なってもいけない。そして本来なら、そこに委ねてはいけないものだ。
最後に判断するのは人間・・・この当たり前を手放した瞬間、人は考える存在ではなくなる。
ただの出力機械になる。流れてきた言葉を、そのまま自分の判断だと錯覚する装置になる。
楽だろう。そりゃ楽だ。自分で考えずに言われた通りすればいいだけ。
だがその代償は、思考の放棄であり、責任の放棄であり、最終的には自分の人生そのものの放棄だ。
そして一番厄介なのは、それに気づきにくい事だ。一生気づかなければ、それはそれで幸せかもしれない。
気づいた時にはもう、「自分で決めているつもりの他人」が出来上がっている。
それが一番怖いというより、正直に言えば、一番救いがないと思う。
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