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古典の恋  作者:
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 古典作品に対して理解を深め、味わい、それを通していにしえの人々に思いを馳せること。それが、あたしにはどうやら難しいらしい。


 あたしはもともと、国語や歴史系科目より、数学とか、化学とかの方が好きだ。文系教科は答えが曖昧で、あまりにも暗記に頼るところが多い気がする。それに比べて数学は筋道も答えもしっかりしているし、解いていて気持ちがいい。化学も、整然としているから好き。

 自分は本当に、根っからの理系人間だと思う。


 苦手な文系科目の中でも、特に古典だけはもう、どうしようもない。

 助動詞が、何だって?うんたら活用とかどうたら活用形って、全部覚えなきゃいけないの?「オモムキブカイ」って結局どういうこと?「さうざうし」って、「騒々しい」ということじゃないの?

 理解できないことばかりで、あたしは白旗を掲げるしかない。仮にも日本語なのに、どうして英語よりもできないんだ。古文法のテキストはそっけなくて、何にも励ましてくれない。まずはあんたが覚えるしかないって、冷たく突き放すばかりだ。

 どうしろって言うんだよー。あたしは高校に入って早々途方にくれて、古典の授業についていくことを放棄した。授業中は、いそいそと内職に励むか、睡眠時間にあてている。結果は、素直に定期テストに跳ね返る。

 でも、どうせ理系に進むつもりなんだし、それでいいと思っていた。




 そもそもの始まりは、職員室でともえ先生に呼び止められたことだった。

「藤原さん、あなた古文の成績、ちょっとまずいわねぇ。」

 にこにこ、ちっともまずいとは思っていなさそうな顔で、ともえ先生は言った。

 ともえ先生は、あたしのクラスの古文を担当している先生だ。おっとりとして、やさしい雰囲気をもつともえ先生は、割と人気がある。ただし、授業が眠いことでも有名だった。

「1年の時もギリギリだったそうね。中間も赤点だったし……次の期末、期待できる?」

 笑みを含んだやさしい声に、あたしはいたたまれなくなって、首を縮めた。逃げ出したい気持ちでいっぱいになる。

 職員室には日誌を届けに来ただけだった。けれど用事が済んだ後に、うっかり生徒会顧問の先生につかまって、だらだら雑談していたのだ。やっと終わったと思ったら、今度はこれ。早く退散していればよかった、と後悔した。こわごわ先生の顔を見つめる。

「はぁ、あの、……たぶん期待できないと思います。」

 すみません、と小声で謝ると、先生はうーんとうなって首を傾けた。

「藤原さんは理系みたいだけれどもね。……進級できないと、それも関係なくなってしまうものねぇ。」

 ぎょっとした。

「あの、あたし、そんなにひどいんですか?」

「このまま行けば、かなり危ないわね。」

 にこにこ。先生は微笑んでさらりと言った。

 さあっと、血の気の引く思いだった。進級に関わってしまうほど、あたしの古典の成績はやばいのか。今までさぼりにさぼったあたしの自業自得だけれど、留年は嫌だ。

「そんなに暗い顔しなくても、まだ一学期だし、がんばれば挽回できるわ。

 ――ということで、」

 ともえ先生はそこで言葉を切って、はいこれ、とあたしに大量のプリントの束を差し出した。

「何ですか、これ……?」

「決まっているじゃない。課題よぉ。」

 先生は口元に手をあてて、本当に嬉しそうにころころ笑った。

 あたしは全然、笑えない。手の中の紙束が、やけにずっしりと重かった。

「それだけやれば、期末テストも大丈夫でしょう?1年の時の範囲からカバーしてあるから、この機会に一気に総復習しちゃいなさい。大変だったんだからね、それ作るの。」

 まぁ単に、1・2年のテキストをプリントアウトしただけだけど。頬に手を当てて、ともえ先生はそう言った。そのやわらかな笑顔をまじまじと見つめて、あたしは呆然とするしかなかった。

「――こんなに?」

 持つ、というよりも抱えるしかないくらい多い藁半紙の束。これを全てやれ、というのだろうか。テスト教科は古典だけではないというのに?生徒会だって忙しいのに?夏からそろそろ塾に通おうかなぁ、なんて考えているのに?

 無理です。そう勢い込んで言おうとしたあたしに、先生が先手を打った。

「提出は絶対の義務ね。まぁ、当たり前よねぇ。進級がかかっているんだもの。」

 のんびりと牽制されて、あたしはぐっと詰まった。

 そうです、進級。進級がここでは最重要問題だ。

 ぐうの音も出ないあたしに、先生がやさしく言った。

「さすがに一人でそれ全部、っていうのはあなたには厳しいだろうから、誰かに教えてもらいなさい。ホラ、あなたのクラスにはちょうどいい子がいるじゃない。小野くんが。」

 へ、とあたしは目を丸くした。意外な名前が出たからだ。

「――小野くん、って、うちのクラスの小野くんですか?」

「そおよぉ。彼、たぶん藤原さんのクラスで一番古文が得意なんじゃないかしら。居眠りも内職もしないのって、あなたのとこじゃ小野くんだけだしねぇ。」

 笑顔でちくりと刺されてしまい、あたしはひええと肩を縮めて小さくなった。どうやら、ともえ先生ってただおっとりしているわけではないみたいだ。この課題といい、結構容赦ない。

「彼、いいコだし、たぶん快く教えてくれるだろうから、頼んでみなさいな。一応、こちらからも言ってみるから。」

「あの、先生は教えてくれないんですか……?」

 おそるおそる、訊いてみた。先生はいい笑顔で明るく言った。

「そんな暇ないわ。」


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