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「じゃあ、ちょっと家見てくるから、葡萄くんはここで待ってて」


「分かりました」


 そんなやり取りのあと、僕は手持ち無沙汰で美生さんが戻ってくるのをひたすらに待っていた。一体何をしているのだろうとは、ため息をつきながら思う。もしかして、家の中には両親が居て、感動の再会の結果、僕が忘れ去られているのだろうか。


 にしても、さっきまでの美生さんは少し怖かった。思い詰めているような顔をして、ずっと自転車を漕いでいた。


 ……まぁ、渋谷から川崎まで運転してる途中に誰も、動物や昆虫すら何もいなければ、神経は磨り減る。その目的地が実家なのだとしたら、その磨耗も尚更だ。


 僕は暇潰しに、花壇に生えている植物を眺めて、昆虫がいるかどうかを確かめる。石を裏返したりもした。……やはりそこには蟻もダンゴムシも、一匹も居ない。


 なら実家に戻っても、結果は知れたことじゃないか? 両親からの返信は一向に来ないのだし。


「お待たせ」


「うおっ」


「いや、え、何その反応……」


「すいません。考え事してて……」


「そ、そっか」


 そう美生さんは戸惑った様子で答えると、「はい」と一つのペットボトルを手渡してくれた。


「喉乾いたでしょ、家にあるペットボトル、これしか無かったんだけど」


「ありがとうございます、助かります」


 さっきまで冷蔵庫にあったのだろう。冷えている水は心地よく口内を抜けて喉を潤す。……命の水とは、よく言ったものだ。


「……美味しい?」


「はい、生き返るって感じです」


「そっか。なんか、力が湧き出てくる感じとか、する?」


「……え、どういう意味ですか?」


「いや、何でもないよ。ただの水だし」


 そう言って、美生さんはふっと笑みを浮かべる。……なんか変なものでも入っているのだろうか。その態度は気になりもしたが、まぁいいやと口に付ける。そして、ごくごくと半分ぐらいまで一気に飲んだ。

「で、家の中はどうでした?」


「特に何も代わりはないなぁ。ママが、居ないくらい?」


「そうですか、残念ですね」


 そう相槌を打ちながら、僕は彼女の表情をちらと伺う。すると、その端正な目元部分が少し赤くなっていることに気づいた。……きっと今は平然を装っているだけで、大分無理もしているのだろう。もしかしたらさっきまで待たされていたのは、泣いていたのを隠すためだったのかもしれない。


「……結局川崎まで戻っても、収穫はなかったか」


「これから、どうします?」


「もう、赤羽まで向かう? ここからだと、二時間ぐらいで着くのかな?」


「え、もういいんですか?」


「ん、何が?」


「せっかく家に帰ってきたんですから、もっとゆっくりしてても……」


「いいよ別に。そこまで愛着無いし」


 ……泣いてたはずなのに、なんかあっけらかんとしている。興味がなさそうに見えるというか。ただ、そう言われたら僕も「……そうですか」と頷くしかなかった。


「うん。だから、次は葡萄くんの家に行こう。赤羽だっけ?」


 その美生さんの言葉に、思わず顔が引きつってしまった。直後、怪訝な声が聞こえる。


「……え、どうしたの?」


「いや、今から赤羽まで行くの、めちゃくちゃ大変だなって」


「それはそうだけど……。葡萄くんは心配じゃないの? 家族のこととか」


「そりゃ心配は心配ですよ。だけど、家まで帰ったところで何か状況が好転するとも思えないし……。実際、川崎まで来たけど駄目だったので」


「まぁ、たしかに……」


「それより、僕はもっと気になることがあって」


「気になることって?」


「生き物が一匹もいないことです。動物も居なければ、虫だって一匹も見当たらない。季節は春ですよ? なのに、そんなことあり得ます?」


「それは、そうだね……。そっか。言われてみて、初めて気づいた」


 そう言って彼女は周囲を見渡すけど、やはり鳥も虫も何もいない。その時の表情がどこか安堵に近いように見えたのは、きっと気のせいだろう。


「なので、それを確かめるためにも水族館に行きたいなって」


「……もし、これで魚が一匹も居なかったら。本当に私達、世界で二人きりってことなのかな」


「考えたくはないですけどね。でも、その可能性が高いかもしれないです」


 ……いや、意識すればするほど、僕の考察に間違いはない気がする。それでも、まだ確証はなかった。なら、確かめないと始まらない。


 そして、僕等はまた自転車にまたがり、川崎駅までひたすら漕ぎ続ける。距離は大体五キロ程度で、足の疲労を考えなければ二十分ぐらいで済むだろう。


「……ところで、葡萄くんは何かさ、心当たりとかないの? この現象についてさ」


「いや、全く……。考えられるとしたら、神様のせい、とか?」


「いや、非科学的……。じゃあ、例えば悩みとかは?」


「悩みって、個人的なやつですか?」


「うん、学校に行きたくないとか、なんかそういう」


「……身長がもっと伸びてほしい、とか?」


 そう若干の躊躇と一緒に答えると、美生さんは何とも言えない苦笑いを浮かべていた。すっげぇくだらねぇとか思ってそう。そっちから聞いたくせに。


「今、何センチなの?」


「一六五です」


「そんだけあればいいじゃん。私なんて一六〇無いし。コンプレックスなの?」


「別にコンプレックスと言う程ではないですけど……。というか、どうしてそんな事聞くんです?」


「前読んだ小説に、悩みが原因で超常現象が起こるものがあって。思春期症候群だったっけな」


「へぇ」


「まぁ、物語上の話なんだけどさ。自分だけ周りの人から見えなくなったり、何度も同じ日を繰り返したり」


「そういう美生さんは、何か悩みとかあったんですか?」


「……まぁ、そりゃ色々とね」


「どんなの、ですか?」


「……アイドルとしてもっと売れたいなぁ、とか?」


 そうはぐらかすように微笑んで、美生さんはこの話は終わりというように自転車を漕ぐスピードを上げた。


 そして、目的地のカワスイ川崎水族館に到着した。到着したが、やはり……。


「駄目、でしたね」


「……うん」


 誰も居ない、何もいない、空虚な巨大な水槽だけを展示した水族館。それを見た美生さんは今までの心労のせいだとか、色々な理由があったのだろうけど、吐いた。さっきの朝食の中身をすべて吐き出した。入ってすぐ小さい水槽を見た時点で何も居ないことは分かっていたのに、もしかしたら一匹ぐらいは居るかもと奥に進んでいったのが間違いだった。


 それから掃除をして、美生さんは未だにダウナーになりながらお土産売り場の傍のベンチで横たわってる。


「落ち着きました?」


「……うん。ごめんね。また迷惑かけて」


「いや、大丈夫ですよ。気にしないでください」


「ありがと、優しいね」


「……ども」


 まっすぐ目を見つめられ、照れる言葉を吐かれてしまった故に、ついきょどった。美生さんはアイドルだから、こういう時の対応も慣れているんだろう。目を細めて、「可愛い」なんて言ってる。……不思議と、悪い気はしない。


「……もう、大丈夫っぽいですね」


「うん。でも、さっきのせいで、またお腹すいちゃったな」


「じゃあ、近くの駅中のスーパーでなんか買います?」


「……高くない? 総菜とか」


「でも、高い分美味しいですよ?」


「いや、お金そんな無いし」


「……もう払わなくていいんじゃないですか? 収入源も無いし、もう割り切った方が」


「そういうわけにも……」


 いや、昨日のホテル代も払ってないじゃん。そう口に出しかけたが、それとこれとは別なのだろう。高い倫理観だ。


 ただ、どのみち朝食もそんなしっかり食べたわけでもなく、美生さんはお腹を空かしている。自然とスーパーに向けて疲れた足を進めた。


 そして、電灯がついた地下道を歩いて、スーパーの自動ドアを開ける。当然だが、青果コーナーにある果物とか野菜はまだ腐ってはいない。だけど、人が居ないということは管理をする人が居ないというわけで、これらもじきに腐ってしまうのだろう。腐敗臭は、想像すらしたくない。 


 というより、これらが腐ったら、僕等はこれからずっと冷凍食で暮らすのだろうか。……耐えられるのか、そんな暮らし。


 だけど、鮮魚コーナーまで足を向けた時、美生さんが驚きで声を上げた。


「え、葡萄くん、魚あるよ! 生魚!」


「本当だ、え、何で?」


 そう答えて、僕等は生魚コーナーに早足で向かう。氷の上に敷かれているそれらは目の色とかを鑑みても、鮮度は悪くない。昨日から放置されていることを考えたら、むしろ良い方だ。イカなんて茶色で濁っている。これなら、刺身でもいけるかもしれない。


「でも、どうして生魚があるんだろう」


「もしかして、死んでいたらOKとかそういう感じなんですかね」


「なのかなぁ……」


 そして、僕は近くにあったぶりの切り身やタイの切り身、そしてお刺身などを見てあることに気づいた。


「美生さん、これよく見てください」


「お刺身だ。美味しそうだね」


「それはそうなんですけど、これ。消費期限が今日までなんです」


「……それが?」


「基本的に刺身とか寿司って消費期限がその日のうちなんですよ」


「……なんでそんなこと知ってるの?」


「いや、親父が昔スーパーの鮮魚部で働いていたので」


 ……というか、基本的にスーパーの刺身とかって当日が消費期限じゃないか? 


「それに、周りの商品を見てください。どこにも消費期限切れの商品が無いんです」


「あ、本当だ。気付かなかった……」


 美生さん、意外と不注意と言うかなんというか……。謎解きとかは得意じゃなさそうだ。まぁ、それはどうでもいいんだけど。


 だけど、この事実からは一つ、推測できることがある。


「ということはつまり、このお刺身って今日作られたものじゃ……」


「え、いやでも、誰が……」


「それは分からないですけど……」


 ただ、こんな状況下で寿司や刺身を作る職人の鏡がスーパーなんかに居るだろうか。いや、さすがに居ないはずだ。


 それから、僕等は精肉や総菜コーナーを注意深く見渡した。けれども、やはり今日消費期限が切れる商品はあっても、既に切れている商品は見当たらない。


 これは、やはりおかしい。僕ら以外誰も居なくなった世界で、誰が商品を管理しているというのだろう。


 だから、僕等はまた自転車に跨って近くにあるスーパーやコンビニを何軒も訪れた。結果はどこも同じだった。店員が取り忘れたような何個かの消費期限切れの商品はいくつかあっても、大量にそれが残ってるような場所はどこにもない。


「……ということはやっぱり、誰かが作ったってことなのかな」


「……なのに自分たち以外誰も居ないって、そんなことあります?」


「無いと思う……けど、ならこの状況をどう説明するというの?」


 そう尋ねられると、説明は出来っこない。ただ、何が起こっているのか確かめる手段は、無くはなかった。


希死念慮生活2日目。どうぞよろしく。

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