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私と葡萄くんは延々と自転車を漕いでいた。
まるで自動車……とまでは言えないまでも、初めて乗る電気自転車は少し漕いだだけでも超加速する。遠心力で置き去りにされるような、ジェットコースターでGが一気に襲い掛かってくるような、そんな感じ。
これはもし歩道に人がいたら相当危ないなと、風を裂くようなスピードで車道を走りながら思う。渋谷から川崎という、約二十キロの旅。ペダルの音しか聞こえない誰もいない空っぽな町並みはやっぱり違和感の塊で、気を抜いたら不安で押し潰されそうになる。
挙げ句、他にも心配事は山積みで、真夜中のブルースカイのメンバーのことが頭に浮かぶと、心臓がぎゅっとなる。きっと皆、私のことを心配しているだろうな。それを思うと、泣きたくなってしまう。挙げ句、寝不足のせいか頭もまとまらないし。
憂鬱を押し出すみたいに深く息を吐いて、そしたら次は後悔が襲ってきた。当たり前だけど、自転車を漕ぐ度に私の家に近づいて、その度に暗い気持ちが充電みたいに貯まっていくのは、気のせいじゃない。
ライブの時も稀に出ていた、不安定な私。ステップがワンテンポずっと遅れ続けているみたいな焦燥。それに心が雁字搦めにされて、苦しい。
そして思い出すのは、私の名前がグループから消えていたこと。
私、みんなの記憶の中から消えたりしてない、よね?
「……あの、美生さん」
「……ん、何?」
「少し、休みたいです。もう水も切れちゃって……」
そう息も切れ切れな声が聞こえて彼の方を見ると、疲れからか非常に険しい顔をしている。考え事をしすぎて、葡萄くんのことを完全に忘れていた。
「ご、ごめん」
「……いや、大丈夫ですけど」
「じゃあ、ちょっとあそこのコンビニで休もうか」
そして二人でコンビニに入り、購入したスポーツドリンクを飲む。冷えた甘しょっぱいの液体が、喉から身体全体に潤いを与えてくれる。運動した後のこの瞬間は、やっぱり至福だ。
すると、隣で息を整えながら、絞り出すような声で葡萄くんが漏らす。
「過酷過ぎる……」
「葡萄くん、普段あんまり運動してないでしょ」
「……これ、明日えげつない筋肉痛がやってくるやつです」
「弱々だなぁ」
その言葉のままに、私はちょっと呆れる。高校で部活動はやっていなかったのだろうか。身体付きは筋肉質ではないけど、ガリガリってほどでもないから、何かしらやってるのかなと思ってたけど……。
「というか、美生さん」
「何でしょ」
「着てたアイドル衣装、どうしたんですか?」
「ホテルに置いてきたよ」
「だから今ジャージだったんですね……。僕も着替えたらよかった」
確かに、制服のままじゃ蒸れるし動きずらそう。洗濯だってしにくいし。
なんて話しているうちに呼吸も整った。疲れはまだあるけれど、こればかりは根性で乗り切るしかない。
「よし、そろそろラストスパート、行こうか」
「うす……」
葡萄くんは少し不平そうだったけど、休んでいてもゴールには辿り着かない。彼を鼓舞しながらまた自転車に跨って、思う。……お尻が、痛い。さすがに口には出さないけど、汗疹とかできたら嫌だな……。
「……今度遠出するときはさ、車の運転、本気で考えた方がいいかもね」
「……ですね」
というか、そうしよう。どうせ誰もいないんだから法律違反も何もない。
そして、隣で自転車を走らせている葡萄くんをちらと見る。必死、という言葉が相応しいほど振り絞っている彼の顔立ちは、中学生に間違えそうなぐらい少し幼げな雰囲気を伴っている。仮想の弟を見てるみたいで、少し可愛い。
少なからず、こういう子は私達のファン層には居なかったはずだ。甘いマスク、とでも言うのだろうか。アイドルメンバーの唯のタイプど真ん中かもしれない。今度会えたら、紹介してやろう。
……にしても、一緒にこの世界に放り出されたのがこの子で良かった。これでもしよく知らないおじさんとか変な不良がペアだったらと思うと、本当にぞっとする。
と、同時に一つの疑問が頭の中に浮かんだ。
どうして、二人きりの世界に閉じ込められたのが、私達なのだろう。ほぼ同い年の男女で二人とも目が覚めるまでは渋谷のハチ公の近くにいた……。
もちろん、偶然の可能性はある。だけど、無抽選で年の近い男女、しかも高校生の二人が選ばれるのは、本来なら結構低い確率ではないだろうか。なら、作為的なものがあったりするのか。だとしたら、誰が?
そこまで考えて、馬鹿馬鹿しいと思った。ママじゃないんだし、神様について考えても仕方がない。そんなの、いるわけがないのだ。
だけど、ママのことが頭に浮かぶと、私はまた真っ黒な霧に包まれたみたいにモヤモヤする。楽しいことを考えたいなと、私はよく通っていた猫カフェに思い馳せる。でも、私達しかいなくなった世界で、彼女たちはどう暮らしていくのだろう。あぁ、良くない。またネガティブが毒ガスみたいに頭を覆い尽くしていく。
そうしているうちに、川崎市に入った。ここまで着たら、あと十五分もしないうちに着いてしまう。だから、動悸がする。とてつもなく、嫌な感じ。辿り着きたくないのに、足が重いのに、帰らないといけないから漕ぎ続けてしまう。
私はママに、家に居て欲しいのかな?
それが分からなかった。私達以外の誰かを熱烈に希望しているのに、ママが居たらどうしようって気持ちが爆発し続けている。私はもうカーナビを見ることもなく、行き慣れた、見知った道を自転車で走る。葡萄くんは、無言のまま私の後ろを着いてくる。
もしかしたら、さっきから一言も喋らないのは、私が重苦しい雰囲気を発していて、気を遣われているからかも。私はアイドルで、彼よりも年上でお姉さんなんだから、うまく振る舞わなければいけない。
だけど、どうしようもなく心の中でどうしようが暴れていた。平然になるのは到底、無理だった。
そして、私が住んでいるアパートが近くになる。ゆっくり減速する。
「ついたよ、私の家」
相変わらず、年季の入ったボロいアパートだ。質素にラベンダーなどの花が埋められているけど、それに愛着なんか覚えたことはない。……この家を葡萄くんに見せること自体、正直に言えば抵抗があった。
「じゃあ、ちょっと家見てくるから、葡萄くんはここで待ってて」
「……分かりました」
当然、家の中など見せられるわけがない。二人暮らし、けれどもママ専用の私達の部屋は、ママが信じるものでいっぱい溢れている。私の家の事情を知っている人、例えば唯なんかも、家の中にあげたことは一度もなかった。
そして、一昨日ぶりに私は部屋のドアを開けた。明かりが着いていないから、ママが居ないことは何となく分かっていた。だから、躊躇なくドアを開けられた。そして自分がほっとしていたことに気付く。
私の元から、ママが消えたのだ。確かな実感があった。
それにひどく、ひどく安心した。呼吸はもう、荒くなんてない。ママが私の元からいなくなってくれた! それがとても嬉しかった。
涙が出る程に。声を上げて笑う程に。
また明日(good night!!)




