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「ねぇ、葡萄……」


「……なんですか?」


「本当にごめんね。葡萄が必死に考えてくれたのに、私のせいで全部台無しにしちゃった」


「いやそれはこっちも悪かったので。子どもを作るってことの意味を、僕はちゃんと考えていなかったなって……」


 同じベッドで手だけを繋いで、僕は居たたまれないその思いをどうにか吐き出す。この感情は後悔だろうか。悔やめば、どうにかなるとでも?


「葡萄は悪くないよ。だって、葡萄は心を病んでる私を気遣って、提案してくれたんでしょ」


「……それはそうですけど」


「なら、やっぱり私のせいなんだよ。この期に及んで、産まれてくる子のことを考えてしまうような、私のせい」


 美生さんの癖だから、彼女は自分のことを責め続ける。それに余計、悲痛な気持ちにさせられる僕は、どんな言葉をかけてみたらいいのだろう。何を言っても気休め以上にはならない気がして、僕は口を噤む。


『ごめん葡萄。やっぱりやめよ。こんなの、子どものことを考えたら絶対すべきじゃない』


『確かに、私達はいいかもしれない。それでも、産まれてくる子は私達しかいない世界でどう生きていくの? 仮にちゃんと育てられても、歳を取って私達が死んだらどうするの?』


『兄弟とか姉妹とか、そんな単純な話じゃないでしょ。私達は、お互いを愛せるからまだいい。だけど、子どもたちは、一体誰と愛し合うの?』


『私はね、自分たちは被害者だと思っている。でも、こんな状況で産んだらさ、それは被害者をさらに増やすことと同じじゃない? それも、私達のエゴでさ』


『葡萄は誓えるの? 産まれてくる子を絶対に幸せにできるって』


『それが出来ないのに、子どもなんて産むべきじゃないと思う』


 ここまで言われてなお「それでも」とは、さすがに言えなかった。結局僕は、子どもを道具としてしか見なしていなかったのだ。僕には自分の子を思う能力が無かった。親としての素質が無かった。その事に、彼女はいつから気付いていたのだろう。


 その唐突に突きつけられた真理はまるで、僕の頭の悪さを、僕の人間としての未熟さを浮き彫りにしたようで、焼けたくなった。恥ずかしさで、罪悪感で。


 でも、これから先、どうやって生きようか。


 いっそもう、こんな暮らしなら終わってみるか。


 なんて、そんな勇気などないくせに。


 きっと、一人だけの夜ならそう叫びだしていたと思う。だけど、隣には美生さんがいる。だから、理性で我慢する。むしろ、彼女が居るから理性を捨てられないのか?


 ふと、美生さんが枕元にあったスマホを手に伸ばした。そして、「あ」と声を漏らす。


「……どうしました?」


「なっちゃった、誕生日」


 そう言って見せてきた画面では、確かに深夜の零時を少し過ぎていた。


「最悪な誕生日だ」


「……」


「死にたい」


「美生さん」


「死にたい」


「美生さんってば」


「ねぇ、葡萄はどんな風に死にたい?」


「落ち着いてください」


「私はね、焼死がいいな。焼死が一番苦しいらしいから。それに、火って全部を消してくれそうな感じがするでしょ」


「美生さん、落ち着いてってば!」


「やめて、大声出さないで! ママみたいなこと、しないで!」


 そう錯乱して、落武者みたいに血迷った目で暴れようとしていたから、なんとか押さえつける。生活は苦しむために、藻掻くためにあるものではないはずなのに、どうしてこうなっているのだろう。引っ掻かれてジンジンと痛む右腕。蹴りが当たって内出血しているであろう右足のふくらはぎ。


 そうやって暴れても、いつも通り五分もすれば落ち着いて、ごめんごめんと泣きじゃくっている。僕もいつも通り「大丈夫ですよ」と答えて、彼女の肩を抱く。いつも通り落ち着かせて、いつも通り気休めの言葉をかけていつも通り……。


 いつまで、こんな生活が続くのだろう。死にたいは逃げたいと同義だって、父さんの小説が言っていた。でも、逃げ場がない死にたいは、どう受け止めてあげたらいいのだろう。


 神様。見ていますか。これ以上、どう生きたらいいですか。


 神様、見ているんだろう。これ以上、どうしろっていうんだ。


 その時、さっきまで泣いていたはずの美生さんが、ぼそっと言った。


「……ねぇ、葡萄」


「……なんですか?」


「……誕生日プレゼント、ちょうだいよ」


「……今ですか?」


「……うん」


 もはや、思考を巡らすのも面倒で、僕は分かりましたと立ち上がり、自分の部屋に向かう。美生さんもとことこと後ろをついてくる。明かりを点けて、自分の机の上に置かれているそれを手に取った。美生さんの目が、驚いたように丸くなる。


 そして、ホワイトのケースに包まれたそれを、彼女の前に捧げる。


「……これって」


「開けてみてください」


「……分かった」


 彼女は一度深呼吸した後、覚悟を決めたみたいにそれを開ける。そこにあるのは、指輪。彼女の為にサイズを測り、見繕ったマリッジリング。


「……やっぱり、指輪だ」


「サイズもぴったりなやつ、探してきたんで。ちょっと付けてみてください。薬指に」


「……え」


「美生さん、愛しています。結婚してください」


 特に覚悟は、いらなかった。もっと緊張すると思っていたプロポーズの言葉は、すらすらと流れる水のように紡げた。


 もしかしてそれはもう、僕に失うものが無い故だろうか。彼女はその端正で神秘的な顔をぽかんとさせ。


「これ、プロローズか」


 と、どこか現実を受け入れられていないような、感情の無い声で言った。


 同時に目元から、きらめきのような涙が一滴、垂れる。


 そこから枷が外れて洪水のように泣き崩れるものだから、僕まで慌てる。


「……大丈夫ですか?」


「いや、うん、だいじょ……大丈夫。嬉しすぎて、溢れちゃっただけだから」


「なら、いいですけど」


「うん、嬉しい。ありがとう。でも、自分がまだこんなに嬉しがれる感情があったなんて、知らなかった」


「……なら、良かったです」


「さっきまであんなに死にたかったのに、私、躁鬱みたいだ」


 その言葉には頷かないでおいた。きっとそうだろうと思うから。


「驚いたな。これ、サプライズってやつ? 葡萄もこういうの、出来るんだ」


「……まぁ、一応」


「付けていいんだよね、これ」


「ええ。ぜひ」


 そう答えると、美生さんはそのローズゴールドを慎重に取り出して、左手の薬指に入れる。


 赤くなった目でそれを付けた彼女は、女神にように神秘的だった。見せつけながら淡く微笑むその眩さに、虜になる。


「どう、葡萄。似合ってる?」


「はい。とっても。とっておきを選んだ甲斐がありました」


「そっか。うん、ありがとう葡萄。こんな私に。でも、結婚するなら、私も葡萄の指輪を選ばないとね」


「結婚、してくれるんですか」


「……うん。といっても、この暮らしだから。もうしているみたいなものだけど」 


 そう美生さんは感涙したまま、「本当にありがとう」と弾けた笑みを浮かべた。


「ねぇ、葡萄。明日、私の実家まで運転してくれる?」


 そして、二人でベッドで眠りに着こうとしていた時、ぼそりと美生さんは呟いた。その言葉を口にした彼女の表情は、何か覚悟を絞り出したみたいに強張っている。


「分かりました。……お母さんに報告ですか?」


「うん、一応ね。あんなでも、一応は私の母親だから」


「分かりました。じゃあ、明日挨拶しに行きましょう」


 そう頷いたのに、美生さんは「お願い」と相槌を打った後、重々しくため息をついていた。その反応を見て、なんか無理してることは察する。


「あの」


「なに?」


「……無理して行かなくていいんじゃないですか?」


「無理してでも、結婚するんだから挨拶ぐらいはね」


「そういうものですか?」


「うん。そういう礼儀は大切にしたいんだ」


「……分かりました」


 ……まぁ、そこまで言うのなら従うほかない。僕はそう相槌を打って、明日着ていく服を思案する。スーツなんて持っていないから、制服にしよう。そう思って、眠りについた。


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