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頭を冷やしてきてと言われ、僕は音楽を聴きながら自室で自問自答を続けていた。
僕が間違っていたのか。良かれと思って、僕は彼女に神について説いた。それを説けば、受け入れられると本気で信じていた。だって、彼女は僕よりも頭が弱く、精神的にも強くない。
なのに、彼女はきちんと自分の意思で、僕を否定した。
『自分が信じたいこと、押し付けたいだけでしょ』
なぜ、彼女にそう言われた時、僕はきちんと否定出来なかったのか。僕の神論は結局、自分が信じたい程度のものだったのだろうか。それすら、見破られていたのだろうか。
……きっとそうなのだろう。そもそも、人生経験で言うのなら、僕なんかより彼女の方がずっと上だ。彼女の方がずっと、僕より酸いも甘いも色々な経験をしている。
いや、そもそも、彼女の方が頭が弱いだなんて、どうして思えた? 彼女の心は確かに強くないけれど、それでも与えられ続けていた僕なんかよりずっと頭を使って生きてきたはずだ。僕の取り柄が、美生さんに比べて学力と家庭環境だけだったから、そう思いたかったのか。
僕は、ずっと美生さんを救いたいと思っていた。その気持ちは、別に傲慢とかではないと思う。だけど。
声が聞こえる。また、△△、いや違う。皆の声だ。父さんや母さんや友達や、かつて好きだったあの子や……。
『ねぇ、葡萄はさ。本当に神様なんて居るって信じていたの?』
『違うよな。そこに救いを持つことによって、いつか助かりたいって思っていただけだよな』
『つまり、現実逃避をしていただけなのよ。この現実は、あまりにも救いが無いから』
うるさいと叫びたかった。こいつらは僕の幻聴でしかないのに、どうして僕を責めるのだろう。
それでも、胸の中に確かに後悔があった。美生さんの母親を侮辱したことや美生さんを救えるなんて思っていたこと。
結局僕は今までずっと、美生さんのことを見下していたんじゃないのか? 支えて、一緒に生きないといけない相手のことを馬鹿だと、蔑んでいたんじゃないのか。
認めたくはない。でも、そうじゃないと思い切れなかった。真夜中のブルースカイが解散して、人生の全てとも言えるそれを失って、弱っていく彼女に対して、僕は真摯に接せられていたのか。
なんて、疑問を覚えている時点で、きっと出来ていなかった。
結局、その程度の人間だったのだ。僕は。
なんて自己嫌悪に陥っていると、とんとんとドアをノックする音が部屋に響いた。「入っていい?」と僕の許可も得ずにドアを開ける。
「……美生さん」
「ん?」
「……さっきはすいませんでした」
結局、彼女と顔を合わせて一番初めに出てきた言葉は、謝罪だった。美生さんは苦笑いを浮かべて「落ち着いたみたいで良かった」とほっとしたように息をつく。
「それじゃあさ、お詫びじゃないけれど付き合って欲しいんだ」
「……何を、ですか?」
「花火」
そして、日が沈んだ後、僕等は近くの公園まで来ていた。本当は花火なんか厳禁な、住宅街の小さな公園。美生さんはそこで、キャンプファイヤーとか言ってコンビニから持ってきた適当な雑誌を集めて燃やしている。
「でも、なんでいきなり花火なんですか?」
「好きなんだよね、去年もメンバーと一緒にやってたし。葡萄はあんまりやらないの?」
「最近、河川敷ぐらいしかできる場所がないので……」
「赤羽近いじゃん、河川敷」
確かに、言われてみれば自転車で十分もかからない。だから多分、本当の理由は面倒くさいとかその類いだ。あと、暑いからとか。
そんなことを言っている間にも火は爆ぜて、火の粉が僕の元に飛んだ。「あっつ!!」なんて悲鳴を上げて、それを美生さんが「大丈夫?」なんて、けらけら笑っている。服に穴が開いたかもしれない。
ゆらゆらと燃え盛る火を眺めながら、美生さんは呟く。
「私ね、火って好きなんだ」
「なんでです?」
「だって、全てを無かったことにしてくれそうじゃん。そもそも火葬ってさ、亡くなった人の魂を綺麗にして、来世に送り出す儀式として始めたんだよ」
「……いや、あの焼死とか、やめてくださいね?」
「しないって……。私が葡萄を取り残して自殺なんかするわけないじゃん」
本当かなぁ……。
「でも、こうしてキャンプファイヤーを久々にやると、やっぱいいなって」
「ずいぶん小規模なキャンプファイヤーですね……」
普通、薪とか使って火を囲むものだと思うんだけど……。そもそも火力が弱すぎて、焼き芋ぐらいしか焼けそうにない。どちらかというと焚き火だ、これは。
「じゃあ、そろそろ花火、始めようか」
「分かりました。何からやります?」
「ロケット花火、とか?」
そして、花火もあらかたやりつくして、残すは線香花火だけになった。僕らは二人隣り合わせでそれに火をつけて、束の間の綺麗を眺める。
「でもさ、安心したんだ」
「何がですか?」
「葡萄もさ、完璧なんかじゃなかったと知れて」
「……完璧だと思ってたんですか?」
「私と比べたら圧倒的に、ね。私なんて、いつも情緒不安定で精神薬に頼らないともう生きて行けそうにないし、いつも迷惑かけてるでしょ」
「いや、そんなことは……」
無いとは言い切れない……。そう思ってるのなんて全てお見通しだとでも言いたげに、美生さんは笑みを作る。焚き火の火の明るさで、それが分かる。
「それが、ずっと負い目だったんだ。だけど、今日、葡萄も何かに縋っていないと駄目になってしまうんだって知った。それが、神様というのは複雑だけど……」
「……」
「私はね、別に神様を信じるななんて言わないよ。それが、葡萄が縋る先だというのは否定しない。そっちの方が、葡萄以外何もない私よりもきっとうまく生きられるから」
「ありがとうございます……」
「まぁ、もう二度とその類の話は聞かないけど」
「……そうですか」
それきり、会話が止まる。蝉の音も、喧しい蚊の音も、何もしない蒸し暑い熱帯夜。草木が揺れる音がする。線香花火はもう弱々しい光しか放てない。
そして、線香花火の先がぽとっと落ちた。美生さんが「私の勝ちだね」と儚く笑う。その口調はどこか弱々しい。
「はい、葡萄。新しい花火」
「ありがとうございます……」
「今思えばさ、葡萄にとっての神様が、私のアイドル活動だった。命より大事だったから」
……別に、信仰が命より大事だったとは思ってないけども。
「だから、もしかしたら命よりも大事なものがあれば、私も生きていたいと思えるのかもしれない」
「命より大事なもの、ですか」
「葡萄は、神様と私?」
「……美生さんだけです」
「なんなの、今の間は。……まぁ、いいや。とにかく、そう思えるものがあれば、私はちゃんと前を向いて生きていられるんじゃないかって」
「美生さんは今、何かそういうものって、思い付きますか?」
「……うーん、思い付いてたら、こうなってないのかも?」
まぁ、確かに……。
「それでもさ、私は葡萄が生きている限り、死ぬことなんてできないから。
でも、いつか私も終わる時が来るとして、そのとなりにはきっと、君がいると思う。これだけ一緒に苦しんできたんだからさ。
そして今は、そういう絵空事を考えることが、幸せなんだ。一番の」




