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 僕は本を読んでいる。音楽を垂れ流しながら。考えないようにしていたけど、聴覚が刺激されないと上手に呼吸が出来なくなったのは、僕にも病名が必要になったから? 美生さんが薬物に依存し始めているように、僕はずっと音楽に依存している。この世界には音がしないから。


 美生さんはまだ眠っているはずだ。今の時刻は午前の十一時を少し過ぎるぐらい。


 真夜中のブルースカイが解散宣言をして一ヶ月とちょっとが経った。その間、美生さんは段々と朝、起きれなくなった。毎日通っていたジムにも行かなくなったし、河川敷まで走りに行くこともなくなった。外にあんまり出なくなった。ぼんやりすることが増えた。


 端的に言えば、全ての事に対して無気力になっていた。食事の量も、以前より明らかに減っていた。お腹がもう、あまりすかなくなってきたらしい。動いていないからだろうか。


 ……本に集中できない。美生さんのことばかりが頭に浮かんで、ついため息がこぼれる。なんとなく自室を出て、父さんの書籍へ向かった。


 そこにはたくさんの本がある。あの人は、この中のどれぐらいの本を読んだのだろう。気まぐれな人だから、気になって買って読んでない本もたくさんあるらしい。ひと月で一万ぐらいは本代に使っていたのに、この世界に閉じ込められてから、書籍の本は一切増えていなかった。


 僕は書籍の奥に置かれているテーブルを眺める。父さんはよく、ここで執筆をしていた。パソコンを使って、煙草を吸いながら面倒くさそうに。


『僕はハッピーエンドしか書くつもりが無いです』


 いつだったか読んだ雑誌のインタビューで、僕の父さんはそう答えていた。クラスメイトを全員虐殺するような小説を書いておいてよくもまぁそんな戯言を……と色々な人から突っ込まれていたが。


 それでも、本人は至ってまじめだった。


『そもそも僕には、世間一般が求める幸福を書けないんです。誰かに愛されて恋人になって終わりとか……。そういった幸福が信じられないんです。いや、あるとは思いますよ、大概の人には。でも、僕にはそんな幸福は来ない』


『そういう人間に対して、救いってなんだろうと僕はずっと思ってたんです。世の中には自殺に対して忌避感が強いけど、じゃあ生活を続けていけばいつか幸せになれるのか。僕は無理だと思います。幸せというのは積み重ねの過程の果てで、僕にはその積み重ねが無かった。それでも、幸せを祈ることは許されいて、だからダラダラとこの年まで生きてしまった』


『僕の物語では、大抵の主人公が自殺するか、通常の観点からは幸福とは言い難いような形で終わることが多いです。でもそれは、その誰かにとっては絶望とも言える結末が、彼らにとってはハッピーエンドなのではないかと僕は考えているから。こんな人間なら死んだ方が幸せだなとか、こんな状況なら生きていても仕方ないな、とか……』


 確か、結婚する前、母さんと出会う前に掲載されていたインタビューだ。……正直、人って満たされるとこんなに人間が変わるんだなと思わずにはいられないのだけど。


 だって、そんな父さんに育てられた僕は、彼の気持ちが全くと言っていいほど理解できない。共感できない。……まぁ、この状況になってからは、どうか分からないけれど。


 父さんなら、美生さんのことを分かってあげられるのだろうか。彼女の激情に、ついていけるのだろうか。例えば、どうして手首を切りたくなるのか。感情を抑えられないのか。情緒が不安定になるのか。


 ねぇ、父さん。どうしたら彼女を助けてあげられるのだろう。父さんはどうやって、自殺願望から立ち直ったの?


 考えてみる。歳を取ったから? 母さんという愛しの人と出会えたから? 実際は立ち直っていないのに、それを表に出していないだけか? いや、作品の傾向は明らかに初期と比べても変わっている。なら、彼にも変化があったはずなのだ。その変化は、どうしたら訪れる?


 もしかしたら、美生さんにもそういう変化があれば、最初に出会った頃の、元通りの姿になるのだろうか。でも、そうなるにはきっと元の世界に戻るとか、本当の意味で劇的な変化が無いと意味が無いのだと思う。その劇的な変化を、価値観の変化を、僕は彼女に与えることが出来るのか。


 美生さんのことを、考えてみる。グループのリーダーを務めるぐらい、責任感がありしっかりもので、『真夜中のブルースカイが人生の全て』だと語っていた。そんな彼女にとって、それが人生のどれ程を占めていたのか。僕には想像をすることしかできない。いや、きっと想像しても届かない。だって僕には人生の全てを捧げられるほど大切なものなんて、何一つもない。


『いや、葡萄だって色々なものを失っているじゃないか。家族に友人に彼女……。そういう社会との繋がりを強引に奪われたんだから』


 また、声がした。今度は、お父さんの声。小説家で気分屋で、自分のしたいことにしか興味が無くて、それでも家族にはすこぶる優しかった父親の声。


『なのに、美生さんだけが壊れた。その理由は、彼女にとって依存先がそのアイドルグループと、それに派生するものぐらいしか無かったからだ。要するに、彼女はそれに依存しすぎた。それ以外のものを、大切だと思えないぐらい』


『今の彼女にとって、他に依存できるのはもはや葡萄、お前ぐらいしか無いんじゃないか。逆に言えば、それしか枷がない。その枷が無かったら、その先はもう言わなくても分かるな』 


 そう、父さんがハハハと笑う。笑い事じゃない! と怒りたかった。でも、その父さんの軽い感じのやり取りを久々に思い出して、嬉しかった。と同時に、胸に空洞が開いたような、もう取り戻せないのだなという哀しみが、募る。


『そう寂しがるな。唐突な親離れだったけど、状況はもう変えられない。母さんも俺も、お前に会いたい。愛していたから、俺達もやっぱり寂しい』


『それでも、もう匙は投げられた。お前の彼女は今も危うい状態で、前を向いて歩くための何かが、一つもない状態になっている』


『葡萄の言う光が、俺は絶対的なものだとは思わない。言うなれば、見えないものに縋っているだけだから。それでも、美生さんよりちゃんと歩けているのは、彼女以外にもそれに依存出来ているからなんだと思う。神様や信仰が、正しいものかどうかは分からない。でも、例えカルトでも、正しくなんて無くても、その人が前を向いて歩けるのなら、何かを信じる心を捨てないでいられるなら、不必要だとは言えない』


『……長々と話したけれど、結局俺が言いたいことはただ一つだけさ。彼女が前を向いて歩けるように支えてあげてほしい。その内容が何であれ、彼女にとっての光に導いてあげてほしい』


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