17
いつだったか、美生さんは『真夜中のブルースカイが私の全て』だと話していた。家族の話は出会った翌日しかしなかったのに、真夜中のブルースカイの話は何回もしていた。
そして一昨日のワンマンライブの日。その開催地のライブハウスで、彼女は一人で踊っていた。キラキラの照明に当てられて、いや彼女自体が閃光のように眩しかった。少なくとも、僕の目にはそう映った。
その理由は、彼女の苦労をずっと傍で見てきたというのもあるだろう。時々弱音を吐いたり、元の世界に戻れないことで発狂していたこともあった。叫んでも楽になれないと知って泣いていたことも、それでも絶対に戻るんだと、覚悟を決めた目で僕の胸元で呟いたこともあった。
だからこそ、彼女は走り込みを欠かさなかったし、ダンスのステップやら振り付けなども完璧にしていた。ボイトレも欠かさずにしていたし、化粧だって僕一人しかいない世界でも崩すこともなかった。
それはもう、傍から見ていると祈りと近しいものがあった。そもそもの話、彼女は責任感が強い。自分がやってきたことの自負も、プライドも。きっと、それがリーダーに選ばれた理由でもあるんだろう。
なのに、ずっと引っ張ってきた大切な存在を手放すことになった。摩訶不思議な現象によって。
だからこそ、彼女の為に初めの頃はこの世界の解明に向けて努力していた。教科書を本屋から取り出し、まず物が動く、消える、形作る、落ちる、などの現象の理由をひたすら覚えた。それは止めてしまった今思うと、途方のない作業だったと思う。
……そうだ、僕はこの世界に来て間もなくの頃、物理学を勉強していた。それが段々と、SF映画やら神学へと傾倒するようになった。この現象を解決から導くには、間違いなく物理や科学を学び続ける方が有意義なはずなのに。例えば、並行世界とかパラレルワールド、超弦理論に宇宙論とか……。それらを学ぼうとして、僕は理解を諦めた。
……結局、僕は楽がしたかっただけなのか?
ともかく、無為の時間は過ぎ去った。その無為を埋めるかのように、僕等は僕等に依存した。付き合っていた彼女の存在すら忘れ、同じ境遇の相手と困難を分け合うみたいに、体温を重ねた。
『アイドルでも彼氏いる人たくさんいるし、大丈夫だよ』
初めての夜、そう僕の膝の上で身体を預けながら、美生さんは笑顔で言った。彼女ははじめてなんかじゃなかった。それが少しだけ悔しくて、そんな自分を馬鹿みたいとも思った。
だけど、あのライブの日に僕は実感した。ライブハウスの薄暗い照明に照らされながら、一寸の狂いも無く激しい振り付けを踊る彼女。汗がしたたり、何度も触れた枝毛のない艶やかな髪を派手に揺らし、完璧な笑顔を浮かべて。
客席で、そんな彼女をじっと眺める。それは宝石のように綺麗で、魔的だった。人の美しさの最大値のようなもの、それを衣装と一緒に確かにまとっていた。
そんな人と、何者でもない僕。その、人としての確かな差。きっと、僕程度の人間では彼女の美しさと釣り合うことはできない。なのに彼女を抱きしめられるのは、こんな訳の分からない世界に閉じ込められているからで。
本当に美生さんの隣に居るのが、僕でいいのか。
なんて言ったら、美生さんはなんて答えるだろう。ふっと笑って『考えすぎ』とでも言うのだろうか。いや、『何言ってるの』と怒るかな、とも思う。
どのみち、僕が今彼女の大切な存在になれているのは、本当に奇跡のようなことのはずだ。
そして、公演が終わった後、僕は彼女にタオルを渡して『お疲れ様です』と話しかけた。
『うん、ありがと。……どうだった?』
『……本当にすごかったです、ずっと、圧倒されっぱなしで』
『そこまで褒められるとなんだか照れるな……でも、ありがと』
そうこぼれた汗を拭いながら、精悍な笑みを浮かべる彼女を見て、胸がときめく。その時の美生さんは出会った当初の凛とした不敵さがあった。彼女本来の光とも言えそうなもの。
そして、その後僕らはステージで感想を言い合った。それも一段落した後、僕は一つ思い出したことがあって、言った。
『……そういえば、あっちのライブも上手くいってるといいですね』
『それは大丈夫だよ。あの四人なら、ちゃんと私の分までやってくれる』
『信頼、してるんですね』
『だって、約束したんだもの。皆が納得するゴールにたどり着くまで、絶対誰一人辞めたりしないって。だから、大丈夫なんだ。絶対にね』
そう全てを出し切った後の、弛緩した表情で彼女は言った。その信頼は、僕には眩しかった。何かを彼女の領域までやり切ったことがない僕には。そんなにも誰かを大切にしたことが無かった僕には。
だからこそ、僕は誓うと言ったら薄っぺらいかもしれないけど、決めた。元の世界に戻るまで、僕が彼女の隣に居ることを。頭が絶望に侵されてしまっても、傍に居て抱きしめようと。
たとえ、彼女がどんなに狂ってしまったとしても。




