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  風呂に入った後、自室で僕はノートを手に取る。


 スピーカーから音楽が流れている。一人でいる時は、僕は必ず音楽を聴くようにしている。美生さん以外、誰も居なくなった世界は無音だから。時々風が(なび)く音がするだけだから。どれだけ爆音で曲を流してももはや苦情も来ない世界で、僕は音楽に依存している。聴覚が無ければ、僕はとっくのとうに狂っていたかもしれない。と思ったけど、始めから聴覚が無ければ、音に敏感になることもなかった。


 僕はペラペラとノートを捲っていく。書かれている内容はこの世界の現象についてまとめたことや、考察だ。考察の項は、まるで小説のプロットでも練っているような恥ずかしさがある。だから、美生さんにも見せてはいない。


 そして、僕は神様についての項を開く。初めて車の運転をした日から、ずっと考え続けている神様。この世界に僕らを導いた神様について。


 こんな世界になるまで、僕は神様の存在など信じてはいなかった。宇宙人などはまだしも、神様や幽霊は僕にとって創作上の存在でしかなかった。父さんみたいに宗教に触れる機会もなかったし、何かに祈らなくても現代は科学が発展しているのだから、それを信じる所以もない。


 どうして、人は神様を信じるようになったのだろうと思う。無神論者が溢れる日本の社会で、クリスマスや初詣以外で宗教を利用しない僕の人生において、今までならその答えは全くもって出せそうになかった。考えたことすらなかったから。


 神様への信仰のきっかけが紀元前の世界の話なら、まだ科学が発展しきっていない時代の話なら、分かる。どうして朝になって夜になるのか分からないから。乾期がいつまで続くのか分からないから。それが続くと飢饉が起こったりするから。十四世紀のぺスト、またの名を黒死病では五千万人が死んだと言われている。この病気は、当時の世界人口の約四分の一を殺したらしい。


 その状況で、助けてくれと何かに祈りたくのは分かる。家族を救ってくれとなるのは、分かる。だけど、現代はもうそんな時代ではない。『旧約聖書』の『創世記』の第一章には神は最初に天と地、その次に光を創ったとされている。だけど、科学者はその光すらも解明した。科学の発展は、神の存在を否定するのだ。


 けれども、と思う。けれども。


 ラプラスの悪魔という言葉がある。ネットの辞書によれば、フランスの数学者、ラプラスが生み出した超越的存在で、ある時点で全ての原子の位置と運動量を知っていれば、それは物理法則に従いその後の状態を全て計算し、未来を完全に予想できる……というものだ。まぁ、その存在は現代科学では完全に否定されているらしいけど……。


 ただ、ここで重要なのはラプラスの悪魔なんて単語が生まれた所以。つまり、物の動き方、例えばニュートンの運動方程式のように、科学によって物の動き方も解明できるようになったということだ。ラプラスの悪魔のように僕等は完璧な未来の予測は出来ない。けれど、力学や科学で物体がどう動くかの解明は大抵可能なはずだ。


 しかし、それらを駆使したところで、僕等の身に起きたことの解明は可能なのだろうか。


 ……いや、もしも僕らがニュートンやガリレオぐらい賢ければ、この現象も解明が可能なのだろうか。知識とそれを解明するための努力が出来ないから、神に縋るのか。いや、少し本を読んで学んだけど彼らも熱心な宗教の信仰者だった。なら、何故? 


 ……どうでもいい、と思う。考えるべきことは、未来を完全に予想できるラプラスの悪魔ですら、果たしてこの今の状況を予測できたのかと言うこと。いや、ラプラスの悪魔という存在を否定する、不確定性原理でならこの状況の説明が可能なのか?


 僕には、無理だと思う。なら、神だ。神様が、僕等をこの世界に導いた。いや、しかし……。


 そこまで考えて、はっとする。ノックの音がしたのだ。ノートを閉じて返事をする。ドアが開く。


「葡萄、風呂あがった」


「今日も長かったですね」


「……うん、新しい入浴剤が気持ちよくて」


「たしかにあれ、良かったですね。普通に買うと結構しますし」


「うん。それだけは、この世界さまさまだね」


 そう、愛らしく彼女ははにかむ。でも、その表情はどこか無理しているようにも見えた。きっと風呂場には居たけれど、ずっと湯船に浸かっていたわけではないのだろう。肌があまり上気していないことからも、それは察せる。また何か考え事でもしていたのだろうか。


 それがなんとなく不安で、僕は彼女を抱き寄せた。「きゃ」とどこかわざとらしい可愛い声。目元まで近づいた彼女が僕を上目遣いで見て。


「強引なんだから」


 そして、接吻を合図にはじまる。僕等にとっての儀式。


 だけど、それに彼女の心を癒す力が無いことも、理解している。


 だって、事を済ませて同じベッドで眠る時、隣で彼女がすすり泣く声が聞こえてくるから。僕はそんな彼女の背中を擦りながら、この世泣きは一体何回目だっただろうと考える。きっと彼女は限界なんだ、と言うことには気づいている。その度に僕は空虚な無力感に苛まれる。


『リーダーの私が居ない、真夜中のブルースカイのことが、すごく心配』


『でも、私が居なくても活動を続けられているってことは、私なんて居なくても良かったってことなのかな』


『きっと今、真夜中のブルースカイで私だけが置いて行かれている』


『あぁ、そうか。私、もうみんなの記憶の中に、無いんだ』


『わたしね、せめてずっと誰かに覚えていてほしくて、生きていたのかもしれない』


『なんて、取り返しがつかなくなってから気づくの、ばかみたい』


 そう言われて力なく抱きしめるだけの毎日に、一体どんな価値があるのだろう。


 そして、僕は不意に思い出したくなった。誰も居ないライブハウスで、一人ステージで照明に当てられてた彼女のことを。


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