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操作方法をネットで検索しながら、サイドミラーやシートの位置を調整する。ルームミラーはこの辺りでいいだろうか。……他に車両は居ないし、自転車も通らないのだからこの辺は適当でもいいのかもしれないけど。
それでも、自転車を除いて初めての運転だ。それも自動車学校に通わず、法律的には一発アウトの無免許運転。中学時代、サッカー部の公式試合で初めてピッチに足を踏み入れた時の感覚と少し似ている。もしくは、バンドを組んで初めて人前で演奏をしたときとか。どちらも、実力の半分も出せた気がしない。緊張はいつだって心地よくない。
ブレーキパッドを踏み込み、震える手でエンジンボタンを押す。次はサイドブレーキを解除すると書いてある。……これを引けばいいらしい。そして、シフトレバーをドライブに切り替えると。
急に緩やかに車が発進しだした。僕は驚いて急ブレーキを踏む。どうして? アクセルなんて踏んでいないのに? 親父の車、もしかして壊れているのか?
そう思ったけど、実はオートマ? だとクリープ現象なるものが発生してブレーキを踏まないと勝手に発進するように出来ているらしい。……そういえば、運転解説動画でそのようなことも言っていた。
……こういう些細なミスが事故に繋がるんだろうな、と思う。医者も居ないこの世界だ。事故を起こすだけならまだしも、それが怪我に繋がってしまえば例え骨折でも大事になりかねない。手術が必要な状況になったら紛れもなく詰みだ。美生さんを連れてこなくてよかったなと、心底思う。
ただ、バスも電車も動いていない現状で自転車と徒歩だけを通行の足にするのは、さすがに無理がある。感覚でこれぐらいか……? とハンドルを切りながら、なんとかガレージから公道に出る。
一定の強さでアクセルを踏み続けながら、適当に決めた目的地へ向かう。一度、進みだしてしまえば後は以外と簡単で、オーバースピードにさえ気を付けていれば曲がるのもそんなに難しくない。前後左右に誰も居ないのも理由だろう。……この殺風景で不気味な街が、今日だけは少しありがたい。
余裕が出来てきたから、カーナビを操作してブルートゥースで好きな音楽を流してみた。動く個室で音楽を流す……。そうやって自分のパーソナルスペースで目的地まで過ごせるのは、かなり心地いい。
そして慣れてしまった今、大して緊張も無くなった。シンプルな直線をひたすら進んでいきながら、つい考え事が頭を過った。
それは、美生さんのこと。
昨日から同じ屋根の下で一緒に暮らすことになった、彼女のこと。
……まぁ、二人のこれからの活動拠点や生活を考えたら、その選択は利便性においてごく普通の選択ではある。それにうちの家が広いことも相まって、感覚的にはほぼルームシェアだ。……まぁ、ルームシェアなんてしたことないけど。
だが、世間一般の感覚で言えば、恐らく同棲と呼ばれてしまうのだろう。年頃の男女が同棲とか、普通に考えても褒められたことじゃない。しかも僕は彼女居るし、美生さんはアイドルだし……。
良くない、本当に良くないと思いながら、速度計を見てアクセルを緩める。こんな暮らしをして、彼女を異性として意識をしないなんてことはきっと不可能だろう。美生さんすごく可愛いし。
それでも、付き合っていた彼女のことを思い出せば、自制しなきゃなとは思う。だからこそ、早くこの世界から抜け出さないといけないのだが……。
未だにその方法も、そもそもの原因にすら辿り着けていなかった。今のところ判明していることは、ひとまず衣食住に困ることは無さそう……ぐらいだ。現状ではヒントが無さ過ぎて、はっきり言ってどうしようもない。
……一体、僕等はどうしてこんな世界に迷い込んでしまったのか。もしかしたら、以前美生さんが話していたように僕か彼女の悩みが原因なのか? それとも、ゲームのバグみたいに世界が壊れた結果、このような事態になった? ……もし後者なら、戻る方法など果たしてあるのだろうか? そう考えると怖くなって、僕はその続きを考えるのをやめる努力をする。左折する。
……だけど、一度意識してしまうと思考は止まらない。ゲームのようなバグ、可能性としては確かにありうる。しかしそれを加味しても、僕はこの世界に対して一つ大きな違和感を持っている。二人とも渋谷のすぐ出会えるような距離感で目覚めたのもそう、スーパーやコンビニで商品が入れ替わることもそう、外にあった私物は消えているのに、家の中にある私物は残っているのもそう。簡単に言ってしまえば、どこか作為的、いや都合の良さみたいなものを感じるのだ。
ユニバース25という実験がある。一九六〇年代にジョン・B・カルホーンという人物が行った実験で、楽園実験とも言われているらしい。かく言う僕も、ゆっくり動画でちょっと見た程度の知識しかないが。
実験の内容は、オスメス四組の計八匹の鼠を集め、外敵もおらず餌、水、住処が十分に存在する環境を与えた時、どのように繁殖していくのか……というものだ。簡単に結果を説明すると鼠たちは全滅してしまうのだが、まぁそれはどうでもいい。
つまり僕が言いたいのは、僕等もその鼠と一緒なのではないかということだ。荒唐無稽な話だが、例えば広大であり衣食住にも困らない環境下で人間を二人だけにしたとき、彼らはどんな行動を取るのか……。
いやまぁもちろん、誰がそんな実験を行えるんだという話ではある。少なからず、人類ではないだろう。並行世界のような現象を解明し、実験できるほど二○二五年の現代科学は発展していないはずだ。
だけど、人類の上位存在……。例えば、信仰の対象としてよく挙げられる神様という存在が本当に居たり、人類より発展した技術・科学を持つ知的生命体が居たとしたら……?
あり得ない話、ではないと思う。そもそも、今の現状自体があり得ない話なのだ。辻褄を簡単に合わそうとしたら、科学や物理でこの現象を解明しようと意気込むよりもよほど簡単に合わせられる。
……そこまで考えて、思う。陰謀論やスピリチュアリティに傾倒するのって、こういう時かと。その現象に対しての知識が無くても、簡単に納得できる脈絡が存在すれば、思考能力が無い人ほどそれを信仰してしまう。科学の進歩が無かった中世に、神様の存在が強く認識されていたのと同義だ。
そもそも神様なんて、馬鹿げている。そんなの、人工地震とかと大して変わらないじゃないか。そんなことを考えている暇があるなら、現状の解決のために物理の勉強でもしていた方が良い。そう強く自分に言い聞かせる。
だけど、そう自己暗示する度、その考えに惹かれている自分が居ることにも気づいていた。




