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急いでいた。遅刻しそうだったから。そのはずだった。
渋谷、そこは有り余るほどの外国人やら若者が行き交う日本のカルチャーの発信地。ハチ公の先には日本屈指の交通量を誇るスクランブル交差点があり、今日も大型液晶ビジョンや看板広告が至る所に設置されている。
そして僕は、目が覚めるとその交差点のど真ん中で横になっていた。
自分が置かれている状況に気づいた時、僕は血の気が引いた。何故僕は交差点のど真ん中で寝ている? そんなの車に轢き殺されても文句は言えない。急いで身体を上げて、僕はあたりを見渡す。
そして、気づいた。
周囲に誰も居ないのだ。車両すらどこにも存在しない。だから、頭が真っ白になる。まるで、僕だけがこの世界に取り残されたような、そんな錯覚がする。きょろきょろと、まるで幼子が母親とはぐれたように辺りを見渡してみるけれど、意味はない。
心臓がばくついている。大型ビジョンからは聴いたことのないアイドルのMVが流れている。それはポップで能天気に明るいけど、この状況には非常にミスマッチで不気味だ。
そういえば、今は何時なのだろう。焦燥からか、なんだか滑っている手をポケットに突っ込み、スマホを取り出す。画面を点ける。
十八時を少し過ぎるぐらいだった。
……もしかしたら僕は夢でも見ているのかもしれない。例えば、スクランブル交差点で事故にでもあって、昏睡状態になっているとか。そしたらここは、黄泉の国? いや、そんなわけ……。
そう笑い飛ばせる精神状態ではとてもじゃないけどなかった。そもそも、僕は急いでいた。ライブが十八時半開始だったから。なのに、こんなところで目が覚めるなんて、一体何が起こったらそうなる?
……とにかく、ここでじっとしていても埒が明かない。ひとまず、人探しもかねてライブハウスに向かってみようと思う。もしかしたら、なんかテレビ番組のドッキリという可能性も無くはないはずだ。いやまぁ、ないだろうけど……。それでも、誰かが居る可能性は十分にある。
そう思って足を道玄坂方面に進めようとした時、「あっ、あの!」と声が聞こえた。透き通った、女性特有の高い声。だけど、その声音には焦燥が込められている。
この時の安堵といったら!! 本当に筆舌に尽くし難いものがあった。
「君、そこの君! 聞こえてるよね!?」
ハチ公方面から、だった。すぐさま振り向くと、そこには派手な水色の衣装をまとった少女が居た。僕以外に、人がいる! そう思って、つい駆け寄ってしまう。
そして近づくと、すごい美形の女の子だということに気づいた。きちんと揃えられたボブカットの黒髪に、凛という言葉が相応しいような涼しげな容貌。可愛いというよりも、美しいという言葉が似合うような、クールな印象を受ける。纏っている衣装が、更に特別さを醸し出しているのかもしれない。格好からして、アイドルなのだろうか。それなら、その美貌も納得がいく。
……と、そこまで考えて、思う。こんな状況なのに、僕は一体何を考えているんだ?
そして彼女はほっと息をつき、表情を緩ませると。
「良かった、私一人だったら本当にどうしようかと……」
「……あの、やっぱり僕ら以外誰も居ない感じですか?」
「……分からない。私もさっき目が覚めたばっかりだから。でも、私さっきまでビラ配りしてたはずなのに、辺りに誰も居ないしメンバーも居なくなってるし……」
「ビラって?」
「あぁ。このチラシだよ。見て分かるように私、アイドルやってるんだ。真夜中のブルースカイってアイドルグループなんだけど、知らない?」
「……すいません、アイドル全然詳しく無くて」
「まぁ、そりゃそうだよね……。むしろ、知ってたらすごいよ。全然駆け出しだし」
そう彼女はあっけらかんと言う。まぁ、ビラ配りしている時点で有名だとは思ってなかったけど。
「そういえば、まだ自己紹介してなかったな。私、嵯峨美生。真夜中のブルースカイというアイドルでリーダーとセンターやってます。君は?」
「僕は杉村葡萄と言います。高校二年生です」
「高校二年生ということは、私の方が年上か。私、高校三年生だから。というか下の名前、葡萄って言うんだ。珍しいね」
「母さんが果物の葡萄が好きらしくて、で、生まれた月が葡萄月だったから、父さんが勢いで決めたらしいです。あと、両親ともワインが好きとかでも」
「へぇ……。個性的だけど、ちゃんと意味があっていいね」
「一応父親が小説家なんで、名前をつけるセンスがあったのかも」
「えっ、それはすごい……」
そう、嵯峨さんは凛とした印象からは打って変わって、その端正な目を大きくして驚きを表現した。やはり父親の話をすると、ウケがいいな……。
「ところで葡萄くんは何か、この状況について知ってることって、ない?」
「いや、特には……。僕もさっき、目が覚めたばかりで」
「そっか……。私もなんだよね。私はハチ公前で目が覚めたんだけど、君は?」
「スクランブル交差点のど真ん中でした」
「……それは。車が走ってなくてよかったね。制服で渋谷ってことは、どこか行くつもりだったの?」
「はい。今からライブを見に行くつもりだったんです」
「へぇ、何の?」
「○○○○○○○○って言う……知ってます?」
「知らない。有名なの?」
「になって欲しいバンドですね」
「じゃあ、私たちと一緒だね」
そう嵯峨さんはにっこりと微笑んだ。さすがにアイドルなだけあって、受け答えが上手い。
「で、嵯峨さんはビラを配っていたと……」
「美生でいいよ。うん、そう。一か月後にワンマンライブするから、チラシを配って少しでも観客数をって、プロデューサーに言われてね」
「で、目が覚めたら辺りに誰も居なくなってたと」
「そう。……そもそも、ビラ配り中に眠るなんてあり得ないし。ビラ配りを始めたのも六時ぐらいからなんだよね……。さっき始めたばかりなんだよ、スマホの時計が正しかったら」
つまり、彼女も気を失っていたということだろうか。そして、すぐ目を覚ました。それも簡単にお互いを見つけられるような距離感で。……なんか、偶然にしては出来すぎな気もするが。
「……ひとまず、これからどうします?」
「……うーん。行く当てもないし……。君が行こうとしてたそのライブハウスにでも行ってみようか?」
「いいんですか?」
「どのみち、人を探さないといけないし。向かってる最中やそのライブハウスに誰かいたら、少しはこの状況も掴めるでしょ」
「……もしかしたら、本当に辺りに誰も居ないだけかもしれませんからね」
「だといいけどね……。ひとまず、行ってみよう。事態を掴むためにも、ね」
そう歩幅を合わせて、二人で誰も居なくなった渋谷の街を歩く。脳はまだ、この現実を夢だと勘違いしているのかもしれない。歩く度、ふわふわと空気を踏んでいるような浮遊感がした。なんとなく嵯峨さんをちらと見ると、その表情には陰りが走っている。彼女も不安に苛まれているのだ。当然のことながら。
そして、思う。もしも、今彼女が隣に居なかったら、僕はパニックを起こさないで冷静にやっていけただろうか。……答えは絶対否だ。混乱した頭の中、途方に暮れていたに違いない。
だから今、隣にいる彼女の存在がそれこそ救いの手のように思えるのも、無理はなかった。




