歯みがきフレンド
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ご都合主義のゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります。
青水と、よく目が合う。
気がつくと、青水に見られている。目が合うとすぐにそらされるが、気のせいではないと思う。
青水とは、高二になって同じクラスになった。それまで俺は、青水という存在を知らなかった。自然と周囲に溶け込むような、異物感のない、もっと露骨に言うと、これといった特徴のない平凡で自然な容姿をしている青水は、昔から知っているようで実のところ知らない人物だし、誰かに似ているようで誰に似ているのか思いつかないような人物だった。
もしかして青水は、俺のことを好きなのかも、と思ったりもした。多様性の時代だし、同性が恋愛対象だとか、そういうことを隠さない人もいるだろう。もし、告白されたらどうしよう、なんて、いらぬ心配をしたりもした。なるべく傷つけずに断ることができるだろうか。
俺は、自分の顔立ちが整っているという自覚があった。物心ついたころから、大人たちにはかわいいかわいいと言われていたし、幼稚園では、女の子たちが俺を取り合って喧嘩をするということは珍しくなかった。小学校でも中学校でもわりとモテていたほうだし、高校に進学してからは、同じ学校の女の子はもちろん、他校の制服を着た見ず知らずの女の子に駅で呼び止められて告白をされることもあった。
だから、部活へ向かう放課後の廊下で、「塩谷くん、ちょっとだけいい?」と青水に呼び止められたとき、あたりまえのように告白だと思ってしまったのだ。
「いいけど」
平静を装いながらも、ついにきた、告白だ! と内心では思っていたため、俺のほうがちょっと緊張してしまい、声が上擦ったうえにそっけない言い方になってしまった。我ながら自意識過剰な反応だ。
「塩谷くん、あのね。ダメもとでお願いがあるんだけど」
青水は周囲に人がいないことを確認すると、内緒話をするように声のトーンを落として言った。お願いなんて、「つき合ってください」しかないと思っていた俺は、「ごめん、青水のことは嫌いじゃないけど、恋愛対象としては見られない」という、これ以上ないくらいに無難な断り文句を頭の中で繰り返していた。
しかし、青水の口から飛び出した「お願い」は、
「もし嫌じゃなかったら、僕に、塩谷くんの歯をみがかせてくれない?」
という想像もしていないものだった。
「は?」
想定外の言葉に、間抜けな声がもれた。
「な、え、待って、なんて?」
格好つけることも言葉を取り繕うこともできず、素で聞き返してしまう。
「歯みがき、させてほしいなって」
青水はごく自然な口調で言う。
「青水が?」
「うん」
「俺の歯を?」
「そう」
「みがくの?」
「うん、そう」
「いやだよ」
気がつくと、俺はそう答えていた。
「だよね」
青水はあっさりと納得して、「ごめんね、変なこと言って」と、普通に謝ってきた。
「変。変なこと言ってるぞ、本当に」
俺はしどもどとオウム返しにそんなことを言う。
「変なのはわかってる。ごめん、驚かせちゃったね」
青水は笑って、「じゃあね、部活がんばって」と、さわやかに言って教室のほうへ戻って行った。廊下に取り残された俺は、なんであんな変なことを言っておいてさわやかに笑っていられるのか、と、青水に対して妙ないらだちを覚えていた。
あの日以来、青水のことが気になっている。あたりまえだと思う。気にならないほうがおかしい。
あれから、青水の言葉の真意をずっと考えていた。
もしかして、俺の口臭がやばくて青水はあんなことを言ったのでは? と、しばらく口臭を気にする日々を送っていたが、それが問題というわけではなさそうだった。歯みがきだって、ちゃんと毎日している。もちろん自分で。
心当たりは、もうひとつある。青水の目的でもある、俺の歯だ。俺は、自分の顔立ちが整っているという自覚があるが、それと同時に、自分の歯並びが悪いという自覚もあった。壊滅的にガタガタというわけではないのだが、それでもいくらかはガタガタしているし、八重歯の主張が激しく、ちょっと目立つのだ。この八重歯を、かわいいと言ってくれる人もいるが、自分では少し気にしていた。
歯並びが悪いことを馬鹿にされたのだろうか。歯並びが悪いと歯みがき大変そうだね、僕がみがいてあげるよ、みたいな。そんなふうにぐるぐると考えてしまい、なんだかもやもやと嫌な気持ちになってしまう。
そんな俺の心中を知らない青水とは、相変わらず、いや、いままで以上によく目が合う。よく目が合うのは、青水が俺を見ているからではあるのだが、俺のほうが青水を見ることが増えたからでもあった。視界に青水がいないと、無意識にその姿を探してしまっている。そのくせ目が合うと、歯を見られているかもしれない、そう思ってしまい、自然と手で口もとを隠すことが多くなった。なんというか、ストレスだ。
そうこうしているうちに時は過ぎる。青水に会わない夏休みが終わり、二学期が始まった。
登校した俺が、「おはよう」と誰にともなく言いながら教室に入ると、さっそく青水と目が合った。青水は俺の姿を見て、にこっとうれしそうに笑ったのだ。青水の口が、「おはよう」の形に動く。あ、と気づいてしまった。青水は、笑うとちょっとかわいい。笑顔の青水は、草食動物みたいにやわらかい表情になる。
どういうつもりだ、と思ってしまう。あんな変なお願いで俺の心をかき乱しておいて、かわいい顔で笑うんじゃないよ。
自分のなかにふくらんだ正体不明の気持ちを持て余しながら数日後、席替えで青水のとなりの席になってしまった。
「やったあ、塩谷くんのとなりだ。よろしくね」
青水が、草食動物のように人畜無害そうな笑顔で言った。俺は言葉に詰まってしまい、無言で返してしまった。あのお願いの件さえなければ、青水のその言葉を純粋に受け取って、「こちらこそ、よろしく」と笑って感じよく言えたのだろう。だけど、俺はどう返事をしたらいいのかわからなくなってしまい、「うん」と、口もとを隠しながらうなずいて、青水のとなりの席に座った。
夏休み明けの浮足立った空気も徐々に薄れて日常が通常運転になりつつあった、ある日。
「あれ、今日って、もしかして水曜日?」
周りのみんなの机に、次々とと世界史の教科書が準備されていくのを見て、すごくまずいことに気づいてしまった俺は、となりの青水にそう尋ねていた。
「うん。週の真ん中、水曜日」
青水は、歌うようにごきげんに言った。もちろん、青水の机の上にも世界史の教科書とノートが置かれている。
「間違って木曜日の時間割で準備してきてしまった……」
ひとりだけ、現代文の教科書を準備していた俺は自分の間違いに気づき、気持ちがざわつき始めた。
「ああ、だから体操服持ってきてたんだ。今日は体育もないし、水曜はノー部活デーなのになんでかなと思ってた」
青水が納得したように言う。
「そのとおりだ。体育は明日だ。それに、昨日の帰りの時点では、明日は部活休みだなーって思ってたはずなのに……」
「大丈夫? 今日の二時間目、英語だけど、予習してる?」
青水のその言葉に、俺は泣きたくなった。
「だいじょばない。予習してない。当てられたらまずい。あの先生、部活の監督と同じくらい怖いんだよ」
英語の授業では、ランダムに指名された生徒が教科書の英文を読まされ、さらにその訳文を披露するという時間がある。その英文と訳文をもとに授業を進めていくのだ。つまり、次の授業範囲の英文を自宅で訳しておかなければならない。
「もしよかったら、僕の訳文写す? 英語苦手だから、間違いだらけかもだけど」
「ありがとう! ありがとう!」
青水の申し出に、考える余裕もなく飛びついた。
英語の先生は、予習をしてきた、ということを重要視しているので、その出来や間違いを叱られることはない。しかし、予習自体をしていないとなると、かなり厳しく叱られるのだ。
「世界史の教科書は? 一緒に見る?」
「机の中に入れっぱなしだから、大丈夫」
俺は、現代文の教科書を机にしまい、代わりに世界史の教科書を出した。
「そして、英語の教科書は、机じゃなくて鞄に入れっぱなしだから、大丈夫」
ドヤッと鞄から教科書を出して見せると、
「ずぼらが功を奏することもあるんだ。いいものを見た」
冗談なのか本気なのか、青水は感心していた。
青水が貸してくれた教科書を、世界史の授業の間にこそこそと自分の教科書に書き写す。教科書に几帳面な字で書き込まれた青水の訳文は、試行錯誤しながら書かれているのがわかる。訳の日本語が変な部分もあるが、単語を逐一辞書で調べてがんばって訳した跡がうかがえる。俺は、青水のがんばりを横から搾取していることを申し訳なく思い、心がちくちくした。
そして、運がいいのか悪いのか、二時間目の英語の授業で俺は当てられてしまった。青水の訳文がなければ、俺は、クラスのみんなの前で厳しく叱られることになっていただろう。
青水のおかげでなんとか英語の授業を乗り切った俺は、
「青水、本当にありがとう。たすかった」
授業が終わるとすぐに青水に心からの礼を言った。
「役に立ってよかったよ」
「なんかお礼……」
しなきゃな、と言い終わる前に青水は俺のシャツの袖を引っ張って、
「歯をみがかせてよ」
俺の耳に口を寄せて、ひそひそと言った。
「なんで? 怖いよ、なんなの」
俺は困って、思わず口もとを手で隠し、目の前にきた青水の口もとを見た。青水は歯並びがきれいだ。
「あ、それ」
青水が言う。
「最近、よく口もと隠してるのって、僕のせい?」
そう尋ねられ、肯定するのも憚られた俺は、無言を貫く。
「キモがらせちゃって、ごめん。隠す必要なんてないのに」
青水は眉を下げて、すまなそうな表情になる。自分の言動が他人をキモがらせるものだという自覚はあるらしい。
「洗車が趣味のおじさんているでしょ。休日にはいつも車を洗ってるような」
世間話をするように、青水は普通のトーンで唐突に話し始めた。
「うん」
そういや、うちの近所にもそういうおじさんがいるよなあ、と俺は思い出す。
「そういうおじさん……ていうか、まあ、僕の父さんなんだけど。父さんは、自分の車じゃなくても、憧れの車とか珍しい車を見かけたら、洗ってみたいって思うらしいんだよね」
「ふうん」
いろんな趣味があるものだなあ、と思いながら相槌を打つ。
「それと同じで、僕は塩谷くんの歯をみがいてみたい」
また耳もとでささやかれて、背中がぞくぞくした。心臓のあたりがきゅっとなる。
「同じなもんか、変態」
思わず言ったが、でも、ニュアンスは理解した。
「否定はできない」
青水は、とても変態とは思えないさわやさで笑っている。
青水は俺の歯並びを馬鹿にしていたわけではなかったのだろう。これは、ただの青水の欲求なのだ。俺の歯をみがいてみたい、という。本当に、だいぶ変だけど。
「つまり青水は、俺の歯に魅力を感じているということで、いいでしょうか」
「そのとおりだけど、なんで敬語なの」
言いながら、青水が笑う。そのとおりなんだ、と自然によろこんでしまった俺も変だ。
「今日は部活ないし、親遅いからさ」
俺はもにょもにょと言い、
「帰り、うちくる?」
おそるおそる誘うと、「いいの?」と青水はうれしそうだ。
そんなうれしそうな青水とは反対に、俺は、自分の意に反して、妙にいやらしい感じの誘い方になってしまったことを即座に後悔し、この瞬間を黒歴史に認定した。
「ドラスト寄っていい?」
最寄駅を出て、帰り道、青水が言った。
「いいけど」
ドラッグストアでなにを買うのだろうと思っていたら、歯ブラシとフロスだった。
「おい、フロスはやめろ。いやだ」
「えー、残念」
青水は素直にフロスをフックに戻し、棚を移動して、今度は小容量の使い捨てのゴム手袋、そしてマスクを手に取っている。その様子を見て、本当に、冗談でもなんでもなく、青水は俺の歯をみがくつもりなのだ、ということが急に現実味を帯びてきて、なんだか怖くなった。
「怖くなってきた」
正直に言うと、
「やさしくするから、心配しなくていいよ」
青水は、人畜無害そうな顔でにこっと笑うのだ。
「塩谷くんは、口をあけて、じっとしてるだけでいいんだから」
俺は青水のかわいい笑顔を見ながら、変な緊張を感じ始めていた。
家に到着し、まずふたりで手を洗う。青水がマスクを装着したのを見て、
「待って。まず自分で歯みがきさせて」
俺は言った。
「予洗いしたい」
「そのままでいいのに」
「いや、だって、恥ずかしいし」
歯をみがかれるということは、口のなかを見られるということだ。あんまり汚れていたらさすがに恥ずかしい。昼に弁当を食べてから歯をみがいていないのだから、きれいな状態ではないだろう。そもそも、クラスメイトに口のなかを見られるということ自体が、いまさらながら急に恥ずかしくなってきた。
「じゃあ、仕上げは僕だね」
そんな俺の羞恥に気づいた様子もなく、青水はのんきな口調で言った。
ていねいに予洗いをし、俺は青水に、「いいよ」と声をかける。青水のほうも、俺が歯をみがいている間、ゴム手袋を装着し、歯ブラシを開封して洗ったりなど準備をしていた。
「僕の膝に頭を置いてもらいたいんだけど、どこでみがく?」
「じゃあ、リビングのソファで……」
そうか、膝枕をしなければいけないのか、と戸惑ったり諦めたりしながら、青水を三人掛けのソファの端に座らせ、俺のほうはソファに仰向けで寝る体制で、青水の太ももに頭を置いた。こちらをのぞき込む青水と目が合い、すごく気まずい。しかし、そう思っているのは俺だけのようで、青水はなんでもないような表情で、「お口あけて。あーん」と、幼い子どもにするように俺の口のなかをのぞこうとするのだ。
「顔近い」
「仕方ないよ、ちょっとだけ我慢して。口のなか、よく見たい」
俺は観念して口のなかを青水にさらす。「じゃあ、始めるね」と青水は、歯みがき粉もなにもつけていない素の歯ブラシを俺の奥歯にあてがった。
クラスメイトに口のなかを見られている恥ずかしさと、口のなかに感じるソフトな刺激に、俺はどうにかなってしまいそうだった。
青水は無言で、俺の歯を一本一本ていねいにみがいていく。俺は目を閉じて、おとなしくそれを受け入れている。
「痛かったら言ってね」
そう言われたが、痛いことはなかった。むしろ、すごく気持ちがいいと思ってしまった。歯をみがかれているはずなのに、胸の奥がくすぐったくなるような気持ちよさだ。下腹部あたりにぐずぐずとした熱を感じてしまい、俺はなにかが形を変えてしまわないように気をしっかりと保つ努力しなければならなかった。
青水は、俺の八重歯を一際ていねいにみがき、それを最後に歯みがきを終わらせた。
「お疲れさま。うがいして、おしまいだよ」
青水が言い、俺は、自分の身体が無事だったことにほっとしながらキッチンへ行ってうがいをする。その後、青水も歯ブラシを洗い、ゴム手袋やマスクを自分の鞄にしまっていた。そして、歯ブラシを俺に差し出して言った。
「この歯ブラシ、あげる。置いて帰るね」
「いいけど、青水が買ったやつなのに、もらっていいのか?」
「塩谷くんの歯をみがいた使用済み歯ブラシを僕が持ち帰ることに抵抗はないの?」
「ある。もらう」
俺は慌てて言った。青水は笑っている。
「久しぶりにひとの歯をみがけた。楽しかった。満たされた。ありがとう、塩谷くん」
なんとなく手持ち無沙汰になり、リビングのソファにふたりで座る。
「久しぶりにって、前は誰の歯をみがいたんだ」
他人の歯をみがくことを楽しいと言うのにも引っかかったが、それよりも、以前にも誰かの歯をみがいたことのあるような口ぶりのほうに俺は引っかかりを覚えて尋ねた。俺以外に、青水に歯をみがかせたやつがいることが信じられなかったのだ。
「妹だよ。小学生まではみがかせてくれてたんだけど、中学生になったら、嫌がってみがかせてくれなくなっちゃった」
なんだ妹か、と思うと同時に、小学生女児の歯をみがく青水の姿が脳裏に浮かび、ゾッとしてしまう。
「小学生の妹の歯をみがいてたのか。青水が?」
「うん」
青水だってそのころは幼かったのかもしれないが、俺は現在の青水しか知らないので、高校生の青水が小学生の妹の歯をみがいている様子を想像してしまった。
「犯罪では?」
「むりやりだと犯罪かもだけど、同意の上だよ」
「小学生相手に同意とか成立するのか?」
「え、どうだろう……」
青水が真剣に考え始めたので、俺はちょっとおかしくなって笑ってしまった。
その後、青水は、「今日はありがとう! じゃあね、また明日!」と、つやつやした笑顔でごきげんに帰って行った。
俺はというと、あれ以来、青水の歯みがきが忘れられない。青水に歯をみがかれて、俺はやっぱりなにかが変わってしまったのかもしれない。
また、歯をみがいてほしい。あの気持ちよさを、もう一度体感したい。そう思うのだが、青水は一度の歯みがきで満足したのか、あれ以来、「歯をみがかせて」とは言ってこないのだ。かといって、自分から「歯をみがいてほしい」と頼むのも抵抗がある。そのため、
「また、歯みがきさせてあげてもいいけど」
数日後、俺の口から出たのは、なんだか恩着せがましいうえにそっけない言葉だった。その日は火曜日で、放課後、俺は部活へ行く準備をしており、青水は帰宅するところだった。
「本当? いいの?」
青水の目が輝いたように見えて、俺はほっとしていた。青水は言わなかっただけで、俺の歯をまたみがきたいと思っていたのだと感じたからだと思う。そして、ほっとしてしまった自分にあきれてしまう。
「明日、ノー部活デーだから」
俺が言うと、
「わかった」
青水は笑顔でうなずいた。
前のときと同じように、俺の家のリビングのソファで歯をみがく。歯ブラシは、青水が置いて帰ったものを使うことにする。
「待って、ちゃんとゴムつけるから」
すでに予洗いを済ませた俺に、マスクをした青水が持参したゴム手袋を装着しながら冗談めかして言う。
「変な言い方すんな!」
恥ずかしくなった俺が咎めるように言うと、青水は悪びれる様子もなく、あはは、と笑った。
ソファに座った青水の太ももに頭を乗せ、「あーんして」と、口のなかをのぞき込まれる。大切なものをさわるように、ゴム手袋をはめた手で唇にそっと触れられ、言われるがまま、されるがまま、俺は青水の歯ブラシに身をゆだねた。気持ちがいい。すごく。
自分で歯をみがくたび、青水のことを考えてしまっていた。そんな自分が自分でもよくわからない。
俺と青水は、どういう関係なのだろうか。ふと、そんなことを考える。席がとなりなので話す頻度は高いが、いつも一緒に過ごしているというわけではない。それぞれに友だちがいて、学校では、その友だちと過ごすことが多い。しかし、こうして俺の家のリビングで、ふたりきりでこういうことをしていると、俺と青水はすごく親密な関係なのではないかと錯覚してしまう。だけど、友だちというにはなにかが足りない気がするし、ただのクラスメイトと言い切るには、深く関わっているようにも思う。
青水は、俺の歯だけが目的なのだろうか。俺本体には興味はないのだろうか。
変な悩みが出てきてしまった。
「はい、おしまい」
やはり、一際ていねいに八重歯をみがいた青水の合図で俺は起きあがり、うがいをしに行く。
「また来週、してもいいけど」
ソファに座る青水のとなりに座りながら言う。ぶっきらぼうな口調になってしまって、ちょっと後悔した。
「嫌がってたのに、どうしたの? もしかして、気持ちよかった?」
青水が言った。図星を突かれて顔が熱くなる。
「うん」
迷った末に、俺はうなずいてしまう。
「よかった。じゃあ、また来週させて」
青水はうれしそうに笑った。相変わらず、笑った顔は草食動物みたいでかわいい。
その笑顔を見て、俺は、青水と歯みがき以外のこともしてみたいと思ってしまう。
俺と青水の関係って、なんだろう。その問いが、ずっと頭から離れない。青水にとって俺ってなんなんだろう。歯をみがかせてくれるだけの都合のいい存在なのだろうか。
歯みがきがすっかり習慣化してしまった、水曜日のノー部活デー。俺は自宅で、いつものように青水に歯をみがいてもらう準備をしながらもやもやと考える。
「塩谷くん、あーん」
やさしく言われ、俺は口を開く。リビングのソファで、青水に歯をみがいてもらう。青水は自分の欲求を満たし、俺は気持ちよくなってしまって、されるがまま。ただ、それだけの関係。
だけど、青水が俺に触れるとき、貴重品に触れるように大事に大事にそっとさわるものだから、俺は自分が青水に大事にしてもらっているように感じて、うれしくなってしまうのだ。
歯みがきが終わり、うがいをした後に、
「俺たちの関係ってなんだろう」
俺は青水に答えを求めてしまった。
「歯フレかな」
「は」
青水がさらっと放った言葉に俺は間抜けな声をもらしてしまった。
「なにそれ」
「歯みがきフレンド」
「セフレみたいに言った! よくない!」
抗議するように言ったのに、青水は笑うだけだ。なんだか悔しいような悲しいような、もやもやした気持ちに支配される。セフレに本気で恋をしてしまった人はこんな気持ちなのだろうか。そう思ってから、自分が青水に恋をしているのだと、急に自覚してしまった。少なくとも、ただの歯フレではいたくないと思ってしまうくらいには。以前は、もし青水に告白されたらどうやって断ろう、なんて余裕ぶって考えていたはずなのに。いまでは、自分ばかりが青水のことを考えているみたいで、悔しい。
ていうか、ただの歯フレってなんだ。
「あのさ、青水」
「なに?」
恋を自覚した俺は、青水との関係を改善しようと試みる。べつに関係が悪いわけではないので改善というのは違うのかもしれないが、歯フレのままでいいわけがないのだ。やましいことをしているわけではないのに、なんだか不健全な感じがする。
「歯みがきは、もちろんいままでどおり続けてもいいんだけど、たまには、ふたりでどっか出かけたりしない?」
俺の言葉に、青水は驚いたように目を見開いた。
「どうして? どうしたの?」
その問いの意味がわからず、俺は、言葉に詰まる。
「どうしてって、だって」
俺は考えながらごにょごにょと言葉を紡ぐ。
「俺は青水と、歯みがき以外のこともしたいから。なんか、普通に遊んだり、そういうことを。青水は、いや? このままの、歯みがきだけの関係がいい?」
「つまり、塩谷くんは、僕と仲よくしてくれようとしてる?」
「仲よくしてあげるんじゃなくて、青水と仲よくなりたい」
「僕、変態だけどいいの?」
「あ、なんだ。それを気にしてたのか」
さっきの青水の「どうして?」の問いの意味がなんとなくわかったので、青水の肩をぽんと軽くさわって、俺は言う。
「変態なのは百も承知だって。気にすんなよ」
なにがツボに入ったのか、青水は少しの間、声を上げて笑っていた。
青水とは、歯みがきをしたり、休日に一緒にアウトレットやゲームセンターへ行ったりしている。順調に仲よくなっていると言ってもいいと思う。いまのところ、歯みがき以外に身体的な接触はないが、いずれ、手をつないだりしてしまうかもしれない。
そんなふうに、甘い未来へ思いをはせていた俺は、重大な決断を迫られることになる。
水曜日のノー部活デー、俺の家への道すがら、
「俺、矯正することになった」
俺は、青水に打ち明けた。親のすすめで、歯列矯正をすることになったのだ。
歯列矯正の提案をされたとき、俺は迷ってしまった。冷静に考えると、若いうちにしておいたほうがいいとは思う。だけど、俺は青水のことを考えてしまったのだ。青水は俺の整った顔面ではなく、並びの悪い歯のほうに魅力を感じているらしい。きっと、俺の主張の強い八重歯が好きなのだと思う。八重歯のみがき方が一際ていねいなことからもそれがうかがえる。つまり、俺が矯正して歯並びがきれいになってしまったら、青水は俺に興味をなくしてしまうのでは、と不安になったのだ。
「矯正。そうなんだ」
俺の言葉に、青水は想定外の反応を見せた。うれしそうなのだ。
「なんでうれしそうなの」
「ブラケットをつけた歯をみがくのは初めてだから」
先日、歯科で説明を受けた矯正装置の名称を、青水はすんなりと口にした。
「まだ、みがかせてやるなんて言ってない」
「そういえば、そうだ」
「それに、まだ、そういうのをつけるとは決まってない。マウスピース矯正にするかもだし。次の診察で相談する」
「そっか」
「俺の歯並びがきれいになったら、青水的にはどうなの? つまんなくない?」
「つまんなくはないよ。どうあっても塩谷くんの歯だし、塩谷くんの歯ならどんな歯でもいい」
「そっか」
俺は、青水のその言葉に、わかりやすく安心してしまった。青水の興味は、俺の主張の激しい八重歯にあると思っていた。それがきれいに整列しても、青水は俺の歯を、いい、と言ってくれている。
「あのさ、いまのってもしかして告白だったりする?」
うれしくなったついでに、ありえないくらいのポジティブ思考を発揮して尋ねると、
「そうか。意味合い的には、そういうことになるね」
青水は、遠回しに肯定した。
「キモい告白すんな、変態」
軽口を叩きながら、それでもうれしくてニマニマしてしまう。
「否定できないんだよねえ」
青水は、とても変態とは思えないようなさわやかさで笑うのだ。
「あのさ、もう普通に好きって言ってくんない?」
俺が言うと、青水は「えー、恥ずかしいなあ」と困っている。「歯をみがかせて」なんて特殊なお願いを恥ずかしげもなくしてきたやつとは思えない。そんなことを思っていると、
「塩谷くん、好き。塩谷くんがおじいちゃんになって歯がなくなっても、きっと好きだよ」
青水は俺の目をまっすぐに見て、真剣な口調で言った。
「俺も、青水、好き」
本当に言ってくれるとは思わなくて、驚いて、おじいちゃんになっても一緒だと言ってくれているみたいでうれしくて、俺も勢いにまかせて、普通に好きだと言ってしまっていた。
片言になってしまったことは後悔している。
了
塩谷の部活動が謎。
ありがとうございました。




