呪われた肉体
「……ぷっ、バカなことをおっしゃい。それじゃあ、答えてもらおうかしら? いま、あなたの目の前にいるのは、いったいどこのどちらさま?」
「フィオナ・ベルベットさまです」
「ほら、ご覧なさい。言っておきますけれど、幽霊じゃなくってよ? 手もあるし、足もある──なんだったら、この場で華麗に踊りのステップでも踏んでみせましょうか?」
一笑して、令嬢は優雅に身を回転させる。遠心力で木綿のローブを花弁のように膨らませたのち、「どう? これでもわたしが死んでいると言えるの?」と、挑発的な流し目を向けた。
「はい」
それでもディオスは丁寧にうなずいて、肯定の意を示した。
「あなたは死にました。いまも死んだままです」
「……ど、どういう意味よ……」
ディオスは冗談を言えるほど、器用な性格ではない。そのことは長い年月の付き合いから、フィオナが一番よく知っている。
主を見据えながら、ディオスはおもむろに腕を祭壇のほうへ伸ばした。すっと、音もなく彼が手に取ったのは台付きの鏡であった。
塵がきらびやかに宙に霧散する。袖で雑にぬぐってから、そのくすんだ鏡面をフィオナへ向けた。
三度目の絶句が、令嬢を待っていた。
「あなたは呼び戻されたのです。一度息絶えて、その魂が死者の門をくぐる前に──再び、抜け殻の肉体に結びつけられました」
いまのあなたは生者ではありません──。
と、従者ははっきり告げた。
「──亡者です」
鏡に映ったのは、たしかに己の顔であった。
だがしかし、よく見知った顔である一方、まったく見知らぬ顔でもあった。
……青い顔をした女がそこにいた。
比喩ではない。血と生が通わない、青く沈んだ皮膚──頬にも唇にも、可憐だった薔薇の艶めきが失せていた。それから銀に輝いていたはずの長髪も、いまや灰の色に褪せている。
鏡よ、鏡。
わたしはだあれ?
ふいに脳裏をかすめたまじないの言葉に、『フィオナ・ベルベットさまです』と静かな声が続いたような気がした。
「あ……ぅ……」
皮膚と髪以上にショックだったのは、瞳の色だ。
肖像でしか知らない母の名残を残した、青い瞳……深い海を思わせる美しい虹彩が、あろうことが血の紅色に光っている。
なんだこれは、まるで悪鬼ではないか。
「あっ……ああ……!」
鏡を覗きながら、両手で左右の頬を包みこむ。今度はその手を眼前へと差し出して、じっと見つめた。
手の色も真っ青である。
なぜ、いままで気づけなかったのか。それはおそらく、闇夜の薄暗さと月明かりの青白さのせいだ。蝋燭の火の明かりに照らされて、フィオナはやっと我が身の異変に気づいたのだった。
妙な寒気や気怠さの理由もついた。
それもそうだ、自分は死んでいるのだから。
(この体は……生きていない……)
エリオールとの愛の力で奇跡が起こった──などと、のたまわなくて正解であった。
これは愛ではない、呪いだ。
神々の摂理から外れた、生命の冒涜である。
はたと、鏡を向けたまま微動だにしない従者と視線がぶつかる。視線と言っても、向こうは仮面をかぶっているものだから、どんな眼差しでこちらをうかがっているかはわからない。
哀れみ、侮蔑……鏡を向けて『見よ、これがいまのおまえの醜い姿なのだ』などと、嘲笑っているのかもしれない。
「イ、イヤァァァッ!」
悲鳴を上げて、フィオナは彼の手から鏡を引ったくった。そのまま足元の床めがけて叩きつければ、硝子の砕ける音が冷たく反響した。
力強く叩きつけたせいで、飛び散った鋭利な破片が彼女の手を傷つけた。
青い肌に、細かな赤い生傷が走る。
そのときだった。肌の切れ目から、まるで糸虫のような細い繊毛が毛羽立ったのは。
「……っ!」
異形の光景を前に、令嬢は顔を引きつらせる。彼女の意思とは関係なく、皮膚の糸虫はたちまち肌の切れ目を閉じてしまった。
ああ、おぞましさに言葉が出ない。
間を置いて、フィオナはゆっくり視線を足元へ向ける。床では割れた鏡の破片が、醜い己の姿を映していた。
そのなかから一番大きな破片を、彼女は身を屈めて拾った。ナイフのような細長い破片──震える右手で握りしめながら、令嬢は左腕のやわらかな内側をひねる。
生前は自慢だった白玉の肌に、恐る恐る……破片の切っ先をあてがった。
腕に、一本の赤い線が引かれた。
痛い──と思うのは、記憶から感覚だけを引き出しているせいか。痛々しい傷口が開くも、やはりすぐに糸虫たちが塞いでしまった。
間髪入れず、今度は切っ先を腕に突き刺す。
深々と……それでも、結果はおなじことであった。
「……っ、うぅ……ぁっ!」
「…………」
神の像と従者の前で、フィオナは顎を天高く上げた。なめらかで無防備な首と喉──なんのためらいもなく、鏡の切っ先で突き刺す。
何度も、何度も……そのたびに悲しいうめきと、えづく声が混ざり合った。
祭壇の蝋燭は、壁に美しい影絵を照らした
令嬢の喉に鏡の刃が貫通し、細い糸が修復していくさまを……呪わしくも、幻想的な影の切り抜きで描いた。
フィオナ・ベルベットは思い知る。
青く腐った醜い体に堕ちただけには留まらず、その歪な呪いから解放されないことを──自分はもう二度と、安らかな死の眠りにつけなくなったことを。
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