墓地と襲撃Ⅳ
──なんとしても、生き延びなければならない。
決意を胸に、彼女は再び駆け出す。貴族としての美も尊厳もかなぐり捨てた、命をつなぐための勇気ある撤退である。
自慢の銀髪が垣根の切っ先に乱されようが、艶やかな頬に傷を残そうがいとわない。野蛮な獣たちの追撃を、墓標の合間を複雑に縫うことでかわしていった。
何度、硬い石材の角に身をぶつけたことか。痛みに堪え忍ぶも、途中、木の根に足をとられたか、つんのめって派手に転んでしまった。
「……ッ!」
とっさに、フィオナは悲鳴を呑みこむ。
前に倒れた姿勢で、足元へ振り向けば──なんと、荒れた地面から人の手が生えているではないか。
幻覚などではない。そのおぞましい青い手は、令嬢を死者の国に引きずりこむつもりなのか、彼女の白い足首をがっちりとつかんでいる。
まずい……その間にも、静寂を噛み砕きながら化け物たちが迫ってくる。
ぎりっと、歯を強く食いしばったフィオナは、地面に落ちていた墓石の破片をつかんだ。自身の足を傷つけることを承知して、忌まわしい死人の手を石で攻撃した。
ひん曲がった指から脱したとたん、追いついた一頭の野犬もどきがフィオナにのしかかろうとした。それを寸でのところで身をひねって避け、全身を土と草で汚しながら転がった。
「……っ! このぉ!」
転がった先の墓石を背に、彼女はずるりと上体を起こす。顔についた砂埃を吸いながら、手につかんだままの石の破片を野犬へ投げつけた。
憎き鼻頭にクリティカルヒット──さらに背後からまた別の一頭が大口を開けて迫るも、そのまま背中向きに墓石を倒すことで下敷きにしてやった。
「……ハァッ、ハァハァ……!」
倒した墓石の下から、うぞうぞと虫が湧いて出る。まぶたを閉じて見なかったことにしてから、令嬢はよたよたと立ち上がった。
満身創痍になりながらも、フィオナは墓地を抜け出した。
外門は相変わらず閉じたままだ。
彼女の足は自ずと教会のほうへ向く。飛び石につまづきつつも、石畳を上がり──ようやく両扉に手をかけることができた。
安堵の吐息をついたのも、つかの間であった。
わめき狂う最後の一頭が、墓地から飛び出してきたのだ。野犬はまっすぐ、フィオナのいる教会の扉を目指して突進してくる。
天に祈って、彼女は残りの力すべてを絞り出す。
呪いのように重い扉を引っ張り、希望へのわずかな隙間をつくると、急いで身を押しこもうとした。
だが、瞬間──追いついた野犬に、扉ごと強烈な体当たりをかまされてしまった。
衝撃に押し出されて、フィオナはそのまま教会の汚い床に打ち伏した。気力、体力すべてを尽くした上に、全身を強打したのだ。痛みにうめき、彼女は起き上がれない……。
「うぅ……ぅ……」
責め立てるような吠えが、脳を揺らす。
完全に閉め損なった教会の扉には、野犬の頭部が挟まっていた。恐怖のうなり声を上げながら、化け物はじりじりと……隙間に、体をねじこませようとしてくる。
「……ぅ……うぉあああッ!」
戦慄と激昂の叫びであった。
侯爵令嬢フィオナ・ベルベットは這い上がった。
無我夢中になって、扉の取っ手を引っつかむ。肉付きの薄い上体を大きく反らせ、細腕が引きちぎれそうになるのも構わず、決死に敵の侵入を阻止する。
ギチギチと根比べに音が軋む。
すでに彼女の眼前には、醜い犬の鼻づらがかすめていた。剥き出しの骨の牙を打ち鳴らし、腐った前足が宙をもがく。
令嬢の顔に絶望がよぎる。
徐々に指先の力がゆるんでいくのを感じた。
(こんなところで終わってしまうの……?)
己の非力さが恨めしくて、また涙が出てくる。
こんなことが前にもあったと、脳裏に過去の情景が広がった。二度目の走馬灯か、幼いころの自分の姿が見える──愛に飢え、華咲くことを夢に見ていた、か弱き少女が。
「……だ……れ、か──」
フィオナは、呼んだ。
記憶の深いところ……いつもそばにいてくれた、あの懐かしい影を。
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