墓地と襲撃Ⅲ
「っつぅ!」
フィオナの体が反射的に動いた。
唾をまき散らしながら眼前に迫る野犬──その頭部へ、掲げていたシャベルをがむしゃらに振り下ろしたのだ。
強烈な打撃の手応え。
脳天をかち割られ、野犬はよろめきながら地へ伏した。だが、ものの数秒、痙攣しただけで、すぐさま起き上がって令嬢の持つシャベルの柄に噛みついてきた。
「きゃあッ!」
野犬がブンッと大きく身をひねり、令嬢は悲鳴を上げる。打撃の手応えを受けて、柄を握る指は痺れていたのだ。身を守る唯一の武器は、容易く彼女の手から奪い取られてしまった。
武器を追うのは危険だ。
機転を利かせて、シャベルを囮にフィオナは一目散にその場から逃げ出した。野生化した植物が蹂躙する墓地のなか、青い月明かりだけを頼りに令嬢は全力疾走する。
「なんなの! いったいなんなのよ、あれは!」
絶叫の問いに、答えをくれる者はいなかった。
いや、いた。凶暴な咆吼と、肝を潰す四つ足の駆ける音が──振り向けば、件の野犬もどきがしつこく追いかけてきている。
「……ぅぐっ、冗談ぢゃないわよ……!」
目元が熱い。肺も足も必死に動かしながら、フィオナは悪態を吐き捨てた。
彼女の精神は限界であった。
人生の幸せから一転、毒を盛られて晴れの舞台を台無しにされ……臨死体験ののち、なぜか見知らぬ場所で目覚めた。
それだけでも理解の範疇を超えているのに、粗末な服を着せられるわ、汚い寝床に転がされるわ、怖い思いにさらされたあげく、妙な犬に追いまわされているのだ。
わけがわからない。
理不尽から生まれた混乱は、ひどく惨めな気持ちを引き寄せる。心の悲しみはやがて悔しさに転じて、怒りの炎を爆発させた。
「……ええ、そうですともっ! 冗談じゃないわッ!」
夜気に、令嬢は一喝する。
フィオナは逃げる足を止めた。手近に突き刺さっていた木の墓標に視線を留めると、その杭を両手で力任せに、地面から引っこ抜こうとする。
すでに野犬は真後ろに迫っていた。
殴打の仕返しと言わんばかりに、三日月の爪で空を裂きながら襲いかかってくる。
だが、その前にフィオナが振り向いた。引き抜いた杭を抱えて──勢いよく、野犬を横殴りになぎ払う。
「どうしてッ! わたしがッ!」
地面へ倒れた野犬の腐った体に、令嬢は容赦なく杭の先を打ちつけた。
「こんな目にッ……遭わなきゃならないのよッ!」
しゃっくりとともに、言葉が途切れる。
そのたびに何度も、何度も、もんどり打つ肉と骨に尖った杭を突き立てた。地面ごとえぐり、令嬢の悲痛な叫びは続く。
「わたしは、幸せだったのッ! 愛する人と結ばれて……多くの人たちから祝福を受けてっ……ようやく……価値が……価値が認められたのッ!
それを、なんで……どうして……こうも浅ましく踏みにじって……ぜったいに許さないッ! 誰にも奪う権利なんてないんだからッ!」
帰るのだ。
あの人の元へ、帰らなくてはならないのだ。
泣きながら、叫びながら、激しく痛々しく、杭を持ち上げては打ちつけるのをくり返す。
最後に、華奢な体に精いっぱいの重心をかけて、地面深くに杭を突き立てた。足元では肉やら骨やらの残骸が散らばり、犬の形だったものは動かなくなっていた。
「はぁ、はぁ……」
さめざめと、彼女は静かに嗚咽する。
力の抜けた体が崩れて、杭へともたれかかった。うつむいた顔の下で、ぽたぽたと透明な雫がこぼれていく。
哀れな令嬢に慰めはない。
代わりに轟いたのは、犬の遠吠えであった。
「…………」
うつむきながら、フィオナは涙でぐずついた瞳だけをそちらへ向ける。
石棺の上に、またしても犬の姿があった。
別の一頭であった。その野犬も、杭の下で砕けたのとおなじく、およそ生命とは言いがたい冒涜的な形をしていた。
さらに、野犬の背後の暗闇には、まだまだ妖しく蠢く魔が潜んでいるようだ。おぞましい闇の視線は、無防備なフィオナ一点を突き刺す。
令嬢は、深くて重たいため息をついた。
まったく、世はままならないものだ。
「……そんなに、わたしって嫌われ者かしら?」
だったら、もうそれでよかった。
「いいわ、わたしのことを存分に嫌いなさい。わたしもこんな世界──大っ嫌いだから」
はしたなく大きく鼻をすすってから、彼女はゆっくり身を起こす。と、同時に地面に刺したばかりの杭を再び引き抜いた。
「…………」
しばし、第二の野犬と静かに睨み合う。その前足が跳躍する直前に一投──杭を投げつけた。
杭に押し潰された野犬の咆吼を皮切りに、戦いの火蓋は切って落とされた。
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