墓地と襲撃Ⅱ
顔に疑問符を浮かべたフィオナであったが、その思索が記憶の深みへ至ることはなかった。
突然、垣根が荒々しく乱れる音が聞こえた。
離れた位置からであったが、彼女の注意はまっすぐ物音のほうへ向けられてしまった。
「な、なに? いまの音は……?」
シャベルの柄を強く握りしめるも、すぐに及び腰になる。そのまま後退ったかと思えば、小さく屈んで、近くの墓石の影へ身をひそめた。
怖いものは怖いのだから仕方がない。
得体の知れない恐怖に、素直な感情のまま全身をぶるぶると震わせた。
たまたま吹いた風に、枝葉が遊ばれただけだと信じたかった。けれど、フィオナが墓石の裏で息を殺している間も、まだガサガサと嫌な音が続いている。
ネズミや鳥といった、小動物に出せる音とは思えない。はっきりした質量と輪郭を感じさせる荒い物音……なにかが、怪しく蠢いているのは明白であった。
人か獣か、あるいは……。
すっかり精神をすり減らされた令嬢は、再び身動きが取れなくなって途方に暮れかける。それでも、自身の手に握りしめられているシャベルの鋭利な切っ先を見て……なんとか勇気を奮い立たせようした。
(こっちには武器がある。それに、向こうはまだ、わたしのことに気づいた様子はないわ……)
先手必勝。
フィオナの頭に勝利の法則が浮かんだ。
いつだって迅速かつ、大胆な行動を取ってきたではないか。その胆力が、厳しい貴族社会で生き抜く活路を切り開き、いまの自分をつくり上げたのだ。
すべてを勝ち取り、誇り高く咲く──白嶺の華を。
「…………」
柄を握り直し、フィオナはゆっくり立ち上がった。
か弱い細腕ではあるが、戦えないわけではない。いつでも力いっぱい振り下ろせるよう、令嬢は勇ましくシャベルを高く持ち上げた。
息を詰めて、怪しい物音へにじり寄る。闇夜のなかで、微動の一片も見逃さないように両目を大きく見開いた。
そして、フィオナが手前に生い茂った樹木から半身を出した瞬間──見開かれた眼に、音の正体が飛びこんできた。
(あれは……)
音の主は、犬であった。
大型には届かないが、骨格のしっかりした中型犬である。乱れた毛並みと、首輪も綱もない様子から野犬のようだ。
慎重に耳をすますと、ハッハッと短い息づかいと、くちゃくちゃと粘り湿った音が混ざる。見れば、野犬は地面に向かって頭を下げて、なにやらついばむように顎を動かしていた。
垣根の根元に、なにか異様な塊が見える。
目をこらしていたフィオナは、ぎょっと首をすくめた。暗闇のなかに、小さなあばら骨の輪郭を捉えたからだ。
一つが形をもって浮き上がると、連想するように砕けた肉塊と骨、散らばった白い羽の残骸が次々に目に留まった。
どうもこの野犬、農家の鶏を襲ってきたようだ。
グロテスクな食事の光景に、フィオナは軽く目眩を覚えた。ただ気分こそ最悪ではあるが、これまでの不可解な欠片がカチッと嵌まったことで、逆に理性のほうは安定してきた。
その上で、今度はシャベルを掲げたまま、令嬢は迷う。
(先手を取って襲うべきか……。それとも下手に刺激しないで、このままゆっくり立ち去ったほうがいいのかしら……)
迷い考えあぐねていると、再び月が顔を出す。
闇の薄暗いベールが取り払われ、青い光が辺りを鮮明に照らしていった。
夜が青白に満ちた瞬間、野犬がつと頭を上げた。
そしてくるっと、シャベルを掲げているフィオナのほうへ振り向く。
冴え冴えとした墓地のなかで、犬と面を合わせた令嬢は──ぞっと、背筋を凍らせた。
本物の恐怖が彼女を待っていた。
一応述べておくが、フィオナは犬嫌いではない。動物のなかではウサギの次に好きなほうである。
問題は犬の顔にあった。
鶏の血に濡れた顔は……半分、欠けていた。
腐り爛れるように、顔の肉が中途半端に削がれて、頭蓋骨が剥き出しになっている。双眼の片方の窪みからは眼球が垂れ落ち、ぶらぶら……かろうじて神経の糸に吊られて揺れていた。
令嬢が対峙しているのは、ただの野犬ではなかった。
本能が警鐘を鳴らす。
それは犬の形をした──化け物であると。
月夜に、死に憑かれた野犬は荒々しく吠え立てる。重なった令嬢の甲高い悲鳴さえ呑みこんで、見せつけるように牙を剥き、新たな獲物へと飛びかかった。
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