■第4話「妻と社長のはざまで」
六月の終わり、東京は雨続き。
社内では今、美咲が指揮する新しい大型案件が動き出していた。海外企業との提携が目前に迫るなか、美咲にはひとつの懸念があった。
――それは「子どもたちの夏休み」。
今年の家族旅行を子どもたちは心待ちにしていた。だが、ちょうど提携先との重要な打ち合わせと日程が重なる。海外から来日する代表との会談日が動かせず、スケジュールは詰まる一方。
社長として断れない。
でも、母として裏切りたくない。
社長室にて、美咲はモニターを見つめながら、無意識に指先を組んでいた。
「……私、どちらもは無理なのかもしれない」
ポツリと漏れた言葉に、応える声があった。
「無理って誰が決めたの?」
後ろを振り向くと、そこには悠真の姿。彼もまた別件でプレゼン帰りだった。
「……予定がどうしても重なってるの。私が行けなかったら、子どもたちはがっかりする。でも、この商談を逃すわけには――」
「俺が行くよ、旅行」
「え?」
「俺が全部段取りして、子どもたち連れて行く。美咲は仕事に集中していい。……ただし、条件が一つ」
「……なに?」
悠真は美咲に歩み寄ると、そっとその手を取った。
「全部が終わったら、俺と二人で3日間だけ、完全オフの旅に出よう。どこでもいい、美咲が“社長”じゃなくて、“妻”に戻れる場所を俺が用意するから」
「悠真……」
「それにね、子どもたちにちゃんと話せば、納得すると思う。だって、ママが会社で頑張ってるの、知ってるもん」
少しだけ、涙が浮かびそうになった。
⸻
その夜、家族会議。
「……今年の旅行、パパが連れてってくれるの。ママはお仕事がちょうど大事なタイミングで」
すると長男が、静かに口を開いた。
「わかった。……ママ、行けるときに来て。パパが先に連れてってくれて、後から合流ってのもアリだと思う」
「そうだよ! むしろママ来たら旅行感2倍になるし!」
「ママが頑張ってるの、かっこいいもん!」
次々に飛び出す子どもたちの言葉に、美咲は一瞬だけ視界が滲んだ。
「……ありがとう。じゃあ、後から絶対合流するから、待っててね」
「約束だよ!」
⸻
数日後、商談の当日。
海外企業との会談が成功裏に終わり、社内で祝杯の拍手が起きる中、美咲の頭に浮かんでいたのは――
子どもたちの笑顔と、悠真の“完全オフの旅”の約束だった。
そして夜、帰宅すると、玄関には一枚のメモ。
「今夜は君にご褒美をあげたい。バスルームで待ってる。
シャンパンと、秘密のキスも用意して。」
そこには、子どもたちの絵と“パパとママ、ラブラブ大作戦”の文字も添えられていた。
美咲は笑いながらネクタイを外し、シャンパンのグラスを手に――
その夜、“妻”としての自分を、ゆっくり取り戻していくのだった。




