■第3話「高梨有紗、再び」
平日の昼下がり、表参道のテラスカフェ。外回りの合間、悠真は一人で資料を整理していた。
ふと目を上げると、すれ違うように誰かが歩いてきた。
――懐かしい視線。
数年ぶりなのに、一瞬でわかる。
「……高梨さん?」
その女性は足を止め、サングラスを外すと、驚きとともに笑みを浮かべた。
「……やっぱり橘くん? ああ、偶然って本当にあるのね」
かつての直属の上司、高梨有紗。美咲が出会う前、悠真が入社間もない頃に最も尊敬していた女性だ。
「ここ、ひとり? 私も今ちょうど空いてるの。……よかったら、少しだけ」
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カフェのテーブル。
昔話に花が咲き、今の仕事の話になり、有紗の声がふと低くなった。
「私ね……今、会社を辞めたばかりなの。色々と、あって。力を出す場所を見失ってた」
「……そうだったんですか」
「でも……今日、あなたの顔見たら、なんだか思い出したの。あの頃、あなたって誰よりも素直で、そして真剣だった。あの頃の私に、もう一度なってみようかなって」
その瞳には、かつての情熱が少しずつ戻り始めていた。
「それに、奥さん……七瀬美咲さんよね? 昔から“あの子は凄い”って噂は社内でよく聞いてたわ。今、社長でしょう?」
「ええ。……ずっと、走り続けてます。たぶん、今も。」
「なら、走る人の隣で、もう一度私も仕事してみたい。そんな気がしてるのよね」
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その週末、美咲はホテルのレセプション会場にいた。若手起業家向けのパーティー、次世代への継承と業界の未来を考える交流会。
その壇上、美咲が挨拶を終えて席に戻ると――その隣にいたのは、有紗だった。
「……まさか、ここで会うなんて」
「私もびっくりよ。橘くんとランチしたら、まるで呼ばれるようにあなたに再会するんだもの」
微笑みながら、有紗はグラスを美咲に差し出した。
「乾杯。……共闘の始まりに、ね」
「共闘……?」
「あなたの会社、今後海外展開を視野に入れてるでしょ? 私、欧州案件の実務経験があるの。まずは少し、外部の目でアドバイスさせて。もちろん、報酬は控えめに」
「……社外から、ってこと?」
「そう。まずは外から。もし気に入ってくれたら、正式に“中から”でもいいわ」
美咲は一瞬考え、笑みを浮かべた。
「いいえ、逆よ。有紗さんみたいな人は、“最初から中で”戦ってくれた方が心強い」
そう言って、美咲は言葉を続ける。
「――社外取締役のポスト、空けてあるわ」
有紗はほんの少し目を見開き、次の瞬間、静かに頷いた。
「……そう来たか。じゃあ、久しぶりに全力で仕事するわ。あの頃の私より、ずっと鋭く、柔らかくなった今の私で」
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その夜、帰宅した美咲はリビングで悠真と並んで座っていた。
「ねえ……今日、有紗さんと再会したの。偶然」
「偶然、ね。……あ、でもその“偶然”、実は今日の昼に先に会ってたんだ」
「……それ、先に言ってくれてもよかったのに」
「言わなかった方が、きっとドラマチックだと思って」
そう笑う悠真に、美咲は軽く頬を膨らませる。
「ほんとに……昔からそういうとこあるんだから」
「でも、結果良かったでしょ? 有紗さん、俺たちのチームに戻ってくる。ね、美咲」
「うん。……また、心強い“戦友”が増えたわ」
二人は静かに手を繋いだ。社長と夫婦、そして、人生のパートナーとして。




