■第1話「それでも、私は社長です」
『その隣にいる意味 ― 41歳、社長と夫と、私たちの未来へ。』より
朝の会議室、ホワイトボードには若手プロジェクトチームの名前が並び、資料に添えられたリーダー一覧を見つめる美咲の視線が止まる。
「……知らない名前ばかりね。」
誰に言うでもなく、静かに呟いた。41歳、社長就任から10年目。育ててきた社員の多くは今や管理職。現場を支える顔ぶれは、いつの間にか自分の知らない名前で埋まっていた。
部下の報告を受けながらも、心のどこかがぽっかり空いていた。
エレベーターに乗ると、そこに偶然乗ってきたのは――夫、悠真だった。
ふたりきりになった箱の中。静寂の中で、美咲がふとため息をつくと、悠真が小さく笑う。
「……名前を覚えてないこと、落ち込んでるんだろ?」
「……聞こえてた?」
「うん。で、美咲は忘れてるかもしれないけど……みんなが“七瀬社長”って名前、憧れて入社してるんだよ。」
「そんなの、昔の話でしょ」
「違う。今もだよ。背中見てる人、いっぱいいるよ。だからさ――社長って肩書き、誇っていい。俺も、そういう美咲が好きなんだから。」
その瞬間、美咲は不意に悠真の腕を掴み、ゆっくりと身体を近づけた。
「……ここ、監視カメラないわよね」
「え?……ちょ、美咲……」
言葉を遮るように、美咲は悠真の唇に深く口づけた。
長く、熱く、甘く。
「……このまま社長室、来てくれない?」
「もちろん、喜んで。」
⸻
数分後――
社長室。静まり返ったフロアに、ドアが閉まる音が響いた。
「この資料……次の企画の草案。まずは君に見てほしかった。」
悠真がスーツの内ポケットからファイルを差し出すと、美咲はそれを手に取り、開くこともせず、悠真のネクタイをそっと引っ張った。
「……あのエレベーターじゃ足りないの。」
「え?」
「我慢できないの。……15分だけでいい、キスさせて?」
「……ったく、社長命令には逆らえないな。」
それは言葉というより、契約に近い。
再び唇が重なり合い、二人は机の前で抱き合った。夫婦であり、上司と部下であり、かけがえのない同志でもある二人の距離は――この10年、変わるどころか、むしろ濃く、深くなっていた。
「ねえ……私はまだ、大丈夫かな? 社長として。」
キスの合間に、美咲がぽつりとつぶやく。
「うん。……世界一、俺が尊敬してる社長だよ。」
そう言って見せた悠真の笑顔は、10年前と何ひとつ変わっていなかった。




