第4話『好きな人ができました』
その日も橘悠真は、社内の会議資料を整理しながら、静かな午後を迎えていた。
社員食堂での昼食を終え、デスクに戻ろうとしたとき――背後から声がかかった。
「橘さん、ちょっとだけ……いいですか?」
振り向くと、そこにいたのは若手社員の**佐伯里帆**だった。
両手を不器用に重ねたその仕草から、彼女が何か迷っていることを悟った。
「……少し、外、歩きませんか?」
*
外は秋風が心地よく、敷地内の並木道には落ち葉が舞っていた。
ふたりは社内の目を避けるように、駐車場の裏手にある小さな休憩スペースへ向かう。
缶コーヒーを買い、ベンチに腰掛けると、佐伯は意を決したように切り出した。
「私……好きな人が、できました」
悠真は一瞬まばたきをし、佐伯の顔をまっすぐに見た。
「そうなんですね。……それは、素敵なことですね」
佐伯はふっと笑った。
「……でも、簡単じゃないんです。その人、私に全然気づいてなくて」
「そういうものですよ。想いって、伝えなきゃ届かないことも多いから」
「うん……分かってるんです。だけど――」
佐伯は小さな声で言った。
「私は……橘さんみたいな人が、好きなんです」
その言葉に、空気が静かに揺れた。
「優しくて、まっすぐで、家族を大切にしていて。
子どもたちと向き合って、奥さんのこともずっと愛してる。……そんな人に出会ったこと、なかったから」
悠真は少しだけ目を閉じ、静かに息を吐いた。
「ありがとうございます。そう言ってもらえるのは、素直に嬉しいです」
「でも……私は、それを“羨ましい”って思ってるだけかもしれません」
佐伯は立ち上がり、背筋を伸ばして微笑んだ。
「だから、決めました。次に誰かを好きになったら……ちゃんと、伝えようって。
隠れたままじゃ、幸せにはなれないから」
悠真も立ち上がり、彼女に向かって一礼した。
「応援してます。あなたなら、きっといい恋ができる」
「ありがとうございます。……あ、あとひとつだけ」
「?」
「子どもたちと、また会わせてください。あの子たち、きっと私の“勇気”になるから」
その日の夕方、佐伯は部署に戻ると、同僚の男性に自然な笑顔で話しかけていた。
その相手こそ、彼女が本当に「好きになりつつある」若手社員――まだ何も始まっていない関係。
でも、彼女の中で“前に進む準備”は、確かに整っていた。
夜、美咲は悠真に優しく抱きつきながら尋ねた。
「……佐伯さん、元気だった?」
「ああ、恋の相談を受けたよ」
「ふふ、それはまた、すごい相手に」
「でも、ちゃんと“応援する側”に徹したよ」
「じゃあ、そのご褒美に……」
美咲の唇が、彼の頬にそっと触れる。
「……甘いキスをひとつ、あげる」
悠真は目を細めながら、彼女を優しく引き寄せた。
「じゃあ、もうひとつ、今度は僕から」
夫婦の会話と、穏やかな夜の時間。
そのすべてが、未来に続いている――




