第1話『再会と、今だから話せること』
都内のビル街から少し離れた、川沿いのカフェテラス。
橘悠真は、いつもより少し遅めの昼休憩を取っていた。
スマホを伏せて、黙々とコンビニで買ったおにぎりと味噌汁を口に運ぶ。
スーツのジャケットは脱ぎ、シャツの袖をまくって。
その姿だけ見れば、ごく普通の会社員そのものだった。
「……相変わらず、真面目そうな食事してるじゃない」
ふと、耳に懐かしい声が届く。
顔を上げると、そこには――
数年前まで自分の直属の上司だった**高梨有紗**の姿があった。
「有紗さん……!?」
思わず立ち上がる悠真。
彼女は少し髪が伸びていて、以前よりも母らしい柔らかな空気をまとっていた。
「そんな驚かなくても。ふらっと歩いてただけ。
……ほら、そこの会社で働いてるの。今は営業サポート部」
指さす方向には、悠真の勤める会社とは別のオフィスビルが建っていた。
「ここ、混んでるね。……相席、いい?」
「あ、もちろん。どうぞ」
ふたりは自然と向かい合わせに座り、それぞれメニューを手に取る。
店員に注文を伝え終えると、有紗が小さく笑った。
「……ってかさ、慶一さんから聞いたわよ。子ども、8人になったって」
「……はい。ありがとうございます。驚きますよね、普通に考えて」
「いや、驚きすぎて飲み物吹き出しそうになったわ。てか……写真見せて?」
「えっ、いまここで……?」
「いいじゃん、今だけ。社内の人でもなければ、パパラッチでもないんだから」
苦笑いしながら、スマホを取り出す悠真。
ロックを外し、写真アプリから最近撮った家族写真を見せる。
「この子たちが、翔真と律真。最初の双子です」
「で、これが紗良と詩音。結翔と澪。そして……葵と大地」
「わあ……本当に全員双子なのね。どの子もかわいいし、あなたにも美咲さんにも似てる」
有紗の声には驚きと尊敬と、ほんの少しの羨望が混ざっていた。
料理が届き、ふたりは軽く箸をつけながら、会話を続ける。
「仕事……慣れましたか?」
悠真がふと問いかける。
「うーん、慣れたというより、“慣れないまま続けてる”って感じかな。母としての時間を優先したくて、いつかは辞めようって思ってる。……実はね、近いうちに退職するかもしれないの」
「……そうなんですね」
「だけどね。悠真くんがこうして頑張ってるの見たら、もうちょっと踏ん張ろうかなって思えたよ」
有紗は真剣な目で悠真を見つめた。
「あなた、すごく変わったね。昔はただの“真面目で優しい後輩”だったのに。
今は、家族を守る父の顔してる」
「……ありがとうございます。でも、僕の中では今でも、有紗さんは“憧れの上司”ですよ」
「ふふ。言葉にされるとくすぐったいな」
コーヒーを一口含んだあと、有紗はそっと視線を遠くに向けた。
「……ねえ、悠真くん。今だから聞けること、聞いてもいい?」
「はい?」
「あなたと……美咲さんの関係。あのとき、もう少し早く気づいてたらって、今でも思うことがあるの」
悠真は少し間を置いてから、静かに答えた。
「正直に言えば……たしかに、隠していた時期がありました。でも――それが、僕たちなりの守り方だったんです」
有紗は微笑みながら、うなずいた。
「そっか。……それでいいんだと思う。
“誰にどう見られるか”じゃなくて、“どう生きて、どう守るか”。私も、母になって初めてその重みがわかった」
やがて食事が終わり、ふたりは店の前で別れの挨拶を交わす。
「……また会える?」
「もちろんです。今度は、子どもたち連れて行きます」
「楽しみにしてる。じゃあね、橘取締役」
その呼び方に苦笑しつつ、悠真は一礼した。
別れ際、有紗がふと後ろを振り返って言った。
「ねえ、悠真くん。あなたが隣にいてくれるなら、きっと美咲さんもずっと“社長”でいられるわよ」
悠真は笑みを浮かべて、短く答えた。
「……ええ、あの人の“隣”にいることが、僕の誇りですから」
――再び始まった、静かな日常。
けれどその中心には、変わらぬ想いが息づいていた。




