第1話:変わらぬ肩書き、変わる日常
午前10時45分。TSグローバル最上階――社長室。
変わらぬ景色。
けれど、内側は確かに変わっていた。
「こちら、来週分のプレゼン資料になります。関連データは3部に分けてまとめました」
静かにドアが開き、取締役役員・橘悠真が姿を見せた。
ネイビーのスーツに身を包み、かつての主任時代とは違う風格がその背中に漂っている。
「ありがとう。……相変わらず、仕事が早いわね」
社長・七瀬美咲。
5年経った今も、鋭さと華やかさを兼ね備えたトップの風格は揺るがない。
彼女は資料を受け取り、椅子に深く腰を沈めた。
「部長会議、あなたの話題が出てたわよ。“あの若さで、あの読みと判断力はどこから来るのか”って」
「そうですか……お褒めいただけたなら、光栄です」
ふたりのやり取りは、あくまで形式的。
しかし、誰もいない社長室での会話は、ほんの数秒で表情を変える。
美咲が、机の上に書類をトンと置いた。
「ねぇ、悠真」
「……はい?」
「誰も来ないって分かってると、つい気が緩むわね」
その声のトーンが変わる。
悠真も、わずかに唇の端を上げた。
「俺も……ここに来る前に、秘書に“社長が10分間応接室に入る”って嘘つきました」
「ふふ、抜かりないじゃない」
立ち上がった美咲が、ゆっくりと机を回り込む。
ふたりは距離を縮め、目と目が合う。
「……5年経っても、あなたとこうしていると、少し鼓動が早くなるのよ」
「俺は、むしろ5年経った今の方が……あなたを手放したくなくなってる」
ふたりの唇が、そっと重なる。
深く、熱く、けれど静かに。
誰にも見られない、ふたりだけの時間。
口づけが、互いの温度を確かめ合うように長く続いた。
「……ん、悠真」
「美咲……今日も綺麗です」
「またそうやって……言葉だけは一丁前なんだから」
「俺の気持ちは、行動で示します」
そのまま壁際へと身体を寄せられ、美咲は思わず息を漏らす。
背中が壁に触れ、悠真の腕がその両脇を支える形になる。
「こうしてると、会社の中だってこと忘れそう……」
「忘れたって構いません。誰も入りませんから」
ふたたび重なる唇。
そしてまた、ひときわ長く甘く深いキス。
美咲の目が細くなり、頬が赤く染まる。
けれど――すぐに、腕時計の振動がふたりの世界を遮った。
「……時間」
「次の会議……ですね」
ふたりは離れ、背筋を伸ばす。
「……じゃあ、取締役。行ってらっしゃい」
「承知しました、社長」
互いの役職で締めくくり、
悠真はノックの音もなく静かに部屋を後にした。
愛し合いながらも、誰にも知られずに過ごす5年目の日常。
その温度は、秘められるほどに熱を増していく。




