第8話 『夫婦喧嘩は、食卓で終わる』
それは、ほんの些細なことから始まった。
金曜日の夜。いつものように、家族そろっての食卓――のはずだった。
美咲は会社の定例会議が長引き、夕飯の準備に間に合わず。
代わって悠真が、子どもたちを見ながら必死で食事を整えていた。
冷凍ストックのハンバーグ、インスタントの味噌汁、スーパーのカットサラダ。
「ごめん、今日ちょっとだけ、手抜き。ほら、いただきますしよう」
そこへ帰ってきた美咲。
腕にはまだ仕事の資料、ヒールの音もせかせかと早く。
食卓を見て、ふと止まった。
「……もう食べ始めてたの?」
「うん、待たせるのも悪いと思って」
「……ふーん。味噌汁、インスタント?」
「今日は仕方ないだろ、俺も残業明けで」
「そういうの、子どもたちは味で覚えるのよ? 毎日じゃないからこそ、ちゃんと……」
「……だったら、間に合うように帰ってきてくれよ」
バチン、と空気が跳ねた。
美咲は黙り、悠真も箸を置いた。
子どもたちは一斉に固まり、次男の律真がそっと小声で言った。
「……けんか、してる?」
一番年上の翔真がすっと立ち上がった。
「パパ、ママ。言い合いするなら、夜のミーティングでして」
「ミーティング……?」
「ぼくたちがごはん食べてるときは、なるべく、仲良くしてほしいの」
美咲も悠真も、呆気にとられた。
ミーティング。
それは、橘家の“家族会議”を指す子どもたちの言葉だった。
月に一度、全員で意見を出し合う時間。
それが、もう「子どもたちの中で自然に共有されている」ことに、ふたりは気づかされた。
そして――同時に、自分たちが“親であり、見られている存在”だということにも。
美咲はふっと笑い、顔を伏せた。
「ごめんね。ママ、ちょっと疲れてたみたい」
「俺も、言い方が悪かった。……ごめん、美咲」
「ううん。ありがとう、作ってくれて」
そして、ふたりで声を揃えて。
「「みんな、いただきます」」
子どもたちの顔が一斉にほころんだ。
*
食後、リビングで片付けをしながら、悠真がぽつりと言った。
「……やっぱり、俺たちもまだまだだな」
「そうね。でも、ちゃんと子どもたちが教えてくれる。
どうあるべきか、どう在りたいか……全部、あの子たちが鏡になってる」
ソファに腰かけて、美咲が言う。
「だから、ふたりで一緒に、間違えながら学べばいいのよね」
悠真はその手を取り、小さくキスを落とす。
「……もう、怒ってない?」
「怒ってないけど……このあと、お皿はお願いね」
「はいはい」
――笑い声が戻った家に、また一つ、“家族のかたち”が積み重なっていく。




