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第1話「出会いと火花」



春の風がまだ冷たい四月の朝。

都心のビジネス街の一角にそびえる高層ビル「TSグローバル本社」は、朝早くからスーツ姿の社員たちで賑わっていた。


その中に、まだ少し緊張の面持ちを残す若者がひとり――橘悠真たちばな ゆうま、24歳。今日が社会人としての初出社だ。


経営学部を首席で卒業し、海外インターンの経験も持つ彼は、数ある内定の中からあえて選んだのが、老舗商社であるこの「TSグローバル」。

だが、それ以上に彼の中で興味をそそられていたのは、この会社のトップが“女性”であるという点だった。


(どんな人なんだろうな… 七瀬美咲社長って)


彼女の名前を知らない経済関係者はまずいない。

若干30歳で社長に就任し、老舗体質の組織を抜本改革。女性の社会進出と経済界の常識を覆した、まさに“時代の象徴”とも言える存在。

だがその実像は、記者会見やメディアでは「氷の女帝」「社内で笑顔を見せたことがない」と噂されていた。


そんな彼女のもとに自分が配属されたと知ったとき、悠真は嬉しさと同時に、身の引き締まる思いを感じていた。


エレベーターの数字が最上階を示したとき、静かに息を整える。

この階は、役員フロア。美咲社長のオフィスもここにある。


「お疲れ様です! 橘悠真、新入社員です。本日より配属となりました、よろしくお願いいたします!」


経営企画部のドアを開けた途端、まるで時が止まったかのような緊張感が部屋を支配した。


「ああ、君か。新入社員。橘悠真くんだったね」


そう言って出迎えたのは、部長の柴崎だった。背筋を伸ばした厳格な男で、言葉少なに席を案内する。


しかしその直後、重たいヒール音とともにフロアが一瞬ざわついた。


「社長、おはようございます」


「……おはよう」


全員が一斉に立ち上がる。

その中心に現れたのは、漆黒のタイトスーツに身を包んだ女社長・七瀬美咲だった。

凛とした表情、整いすぎた輪郭、そして微動だにしない視線。悠真は、初めて見るその存在感に、息を呑んだ。


まさに“女王”の風格。


「あなたが……新しく入った方ね?」


そのまま近づいてくる美咲が、悠真の目の前で静かに立ち止まる。

間近で見ると、目の奥に冷たい火が灯っているような印象を受けた。


「橘悠真です。今日からよろしくお願いします」


「そう……」


一瞥するような目線。だが、その瞳の奥には、何かを測るような鋭さがあった。

見定められている――悠真は、直感した。


「あなたは“自分の意見”を持ってるタイプ?」


「……はい、自分の考えは持ちます。ただ、必要な場面では柔軟に合わせることもできます」


「ふぅん……まあ、口だけなら誰でも言えるわね。見せてちょうだい。あなたの“実力”」


彼女はそう言い残し、くるりと踵を返すと、エグゼクティブルームへと消えていった。


(……なんだこの緊張感。社長っていうより……戦場の司令官か?)


悠真は社長の後ろ姿を見送りながら、背筋をぐっと伸ばした。



午後――。


企画部に届いたのは、ある新規プロジェクトの社内稟議書だった。

だがその内容には、悠真の目から見ても“無駄”が多すぎる。


(これは……古いやり方を踏襲しすぎている。もっと効率化できるはずだ)


初日で発言するのは危険だとわかっていた。

しかし、彼の性格は“見過ごす”ことができない。


「失礼します。この資料について、少し意見しても?」


周囲が一瞬固まる。


「……新入社員が? 君、自分の立場わかってるのか?」

部長が冷たく言い放つ。


だが、そのとき――。


「橘くん。私のオフィスへ来て」


社長室のドアが開き、七瀬美咲が静かに声をかけた。


(……え?)


悠真は戸惑いながらも立ち上がり、社長室へと足を運ぶ。

ドアが閉まると、部屋はまるで音を吸い込んだかのような静寂に包まれた。


「あなた、さっきの稟議書に意見があるんでしょ?」


「……はい。無礼を承知で申し上げますが、全体の工程をデジタル化すれば、無駄な時間と人員が減らせると思います。現場の声を反映することも――」


彼が語り終える前に、美咲がふと笑みを浮かべた。


「あなた、少し面白いわね」


「……?」


「その目。“私を怖がってない”。ふつうの社員は、私と話すときに目をそらすのに」


「それは……」


「でも油断しないで。私は、無能な部下は切り捨てるわよ? 期待してるの。あなたが“面白い存在”かどうか」


その言葉に、悠真の中でなにかが燃え上がった。


(――この人は、試してる。俺の覚悟を)


「……なら、面白いって言われ続けるように、努力します」


しばしの沈黙。


そして美咲はふっと立ち上がり、彼のすぐ近くまで歩み寄った。


「期待してるわよ、“橘くん”。私の隣で、何かを壊せる人間かどうか、ね」



その夜。


悠真はオフィスビルを出るとき、どこか心がざわついていた。


――“何かを壊せる人間”。


その言葉が、彼の中に深く、鋭く、刺さっていた。


彼女のことをもっと知りたい――

そう思ってしまった瞬間、自分がもうただの「部下」ではなく、「男」として彼女を見始めていたことに、悠真はまだ気づいていなかった。


そしてこの出会いが、ふたりの運命を激しく、甘く、そして危うく揺さぶっていくことになる。


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