『熱海、そして秘密のキス』 ―後編:飲み会、扉の前のキス
社員旅行から数日後、東京へ戻ったTSグローバルでは――
会社全体で貸切にした大規模な社内飲み会が開催された。
豪華なレストランフロアは、300人以上の幹部と主要社員が一堂に会し、笑いとグラスの音が飛び交っていた。
「橘くん、こっち座れよ!」
「いつも冷静なのに酒入るとどうなんだ?」
笑い声が飛ぶなか、悠真はあくまで“平静”を保っていた。
そう、“隣のテーブル”には――七瀬美咲社長が座っているのだから。
美咲もまた、社長として振る舞いながら、時折悠真へ視線を送る。
だが、その視線は、徐々に熱を帯びていた。
(……限界、かも)
悠真がグラスを置き、「少し失礼します」と立ち上がったその瞬間。
美咲も同時にスッと立ち上がる。
だが――その手首を、社員のひとりが軽く引き留めた。
「社長、お手洗い……ですか? ご案内しましょうか」
一瞬、その場に緊張が走る。
その横にいた副社長・相川涼子がすぐに察し、社員の前にスッと割って入った。
「彼女なら大丈夫。私が代わりに話をしておくわ」
その言葉とタイミングで、美咲はようやく自由になり、静かにその場を離れる。
その様子を見ていた専務・広瀬と常務・古賀、そして悠真の直属上司・高梨課長は――
あえて何も言わず、グラスを口元に運びながら、そのまま話題を他へ移した。
「……で、今期の収支、例の新規事業はどう動く?」
「まだ固まってないですね。来週の会議で詳細が……」
あまりにも自然な“無言の同意”。
――この場にいる4人は、全員が知っている。
ふたりの関係も、それが決して“軽いものではない”ことも。
それでも、あえて“何も語らない”という、最も重い支え方をしていた。
*
一方その頃――
悠真は手を洗い、トイレから出ようとしていた。
扉の前でふと立ち止まる。
そのときだった。
「……悠真」
振り返った瞬間、そこにいたのは――美咲。
もう理性では抑えきれない、といった熱のこもった瞳。
言葉より先に、彼女は身体ごと飛び込むようにキスをしてきた。
「ん……っ……!」
背中を壁に押しつけられたまま、強く、甘く、深く。
社長としての仮面も、社員の目も、もうどうでもよかった。
「……我慢、できなかった」
「美咲……っ、誰か来たら……!」
「わかってる。でも、もう無理……悠真が、欲しいの」
彼女の唇が再び重なり、今度はより長く、舌と舌が絡む音が静かな廊下に広がった。
10秒、20秒――1分にも感じる時間。
ようやく離れたふたりは、赤く火照った頬を見せ合いながら、そっと指を絡めた。
「……帰ったら、続きを」
「うん……必ず」
*
美咲が席に戻る直前。
涼子が耳元で囁いた。
「……ほどほどにね」
「……はい」
美咲は、少し頬を染めて微笑んだ。
その後ろで――専務と常務、そして高梨課長は、何事もなかったように乾杯を交わした。
こうして、社内には誰にも知られず、
けれど確かに“守られている”ふたりの愛が存在していた。
深く、静かに、熱く――誰にも言えない形で。




