第4章「おそろいのランドセルと、ふたりで見た春」
春。
桜が満開の並木道。花びらがそよ風に舞い、街は淡いピンク色に染まっていた。
この日、七瀬家では特別な“家族のイベント”が行われようとしていた。
「翔真、律真ー! 靴履いたー!? 今日はランドセル見に行くよー!」
「ママー、あおがいいー!」
「おれはくろがいいっ!」
2人の息子たち――翔真と律真は、ついに小学校入学を迎える年齢となっていた。
早い。
あの日夜泣きに追われ、保育園におんぶして送り迎えしていた日々が、まるで昨日のようだ。
美咲はキッチンで、彼らの小さなリュックに水筒とお菓子を詰めながら、ふとつぶやいた。
「ランドセルかぁ……もう、そんなに大きくなったのね……」
「まだ“パパ大好き期”だけど、そのうち“ウザい”とか言われるのかな……」
とぼやく悠真に、美咲はにやりと笑う。
「“社長ウザい”って言われる日が来たら、社内に響くわね」
「……それ、俺が言われるよりキツい」
ランドセルの展示会場は、都内の大型百貨店の特設フロア。
高級モデルから定番、個性派カラーまで並ぶ中、翔真と律真は目をキラキラさせて見入っている。
「ねえパパ、これかっこいい!」
「これもふたつあれば、兄弟でおそろいだね!」
ふたりが同時に指差したのは――黒地に赤いステッチの、スポーティーなモデル。
「……これにする?」
「するー!!」
「じゃあ決まりだな。双子おそろい、初ランドセル記念だ」
「よっしゃー! おれ、1年生ー!」
「いっぱい勉強するー!」
記念撮影ブースで、ランドセルを背負った2人と一緒に並ぶ美咲と悠真。
カメラマンが声をかける。
「はい、ママさん、ちょっと顔寄せてくださーい。ご両親、肩に手を置いてもらって――」
「はい、チーズ!」
シャッターが切られた瞬間、美咲はふと心が震える。
(……私、こんな写真、いつ以来だろう)
家族3人、いや4人で並ぶ写真。
“社長”の肩書きが必要ない“私”の姿。
(これだけで、十分幸せなんだな……って)
帰宅後、子どもたちが昼寝に入ると、ふたりはソファに並んで撮影データを眺めた。
「ねぇ、悠真」
「ん?」
「……小学校の入学式、どうする?」
「“どうする”って?」
「私……行っていいと思う?」
その問いかけは、何の飾り気もない、母としての本音だった。
“七瀬美咲”が入学式に出れば、たちまち話題になる。
企業サイトやSNSには写真も載っている。
“あの社長の子どもが入学した”という情報は、すぐに広まるだろう。
「……行きたいの?」
「正直、すごく行きたい。でも……子どもたちのことを考えると……」
悠真はしばらく黙ったあと、美咲の手を握った。
「俺が行くよ。あなたは……式が終わったあと、教室で待ってて」
「……」
「家族写真は、クラスメイトや保護者がいなくなった後に、こっそり撮ればいい」
「……ズルい」
「何が?」
「あなたって、そうやって、いつも“最適解”出してくる。……そういうとこ、大好き」
入学式当日。
悠真はスーツ姿で双子の手を引いて、学校の正門をくぐった。
ママたちの中ではやや浮いて見える“イケメンすぎるパパ”だったが、慣れた笑顔と所作で完全に溶け込んでいた。
「橘翔真くん、律真くん、入学おめでとう!」
「ありがとうございます」
その裏で、美咲はひとり、教室近くの多目的室に待機していた。
式が終わるとすぐ、こっそりと職員通路を通って、教室へ。
そして誰もいなくなった放課後の教室で、ランドセル姿の双子と、美咲と悠真、4人で写真を撮った。
「じゃあ、いくよ。はい、チーズ!」
「ママ、今日きたのー?」
「うん。こっそりだけどね」
「かっこよかったー!」
「お友だちできた!」
ふたりの笑顔に、美咲は目元をぬぐいながら静かに微笑んだ。
(私は“社長”でも、“母親”でも、“ただの私”でもいい)
(この子たちの隣にいられるなら――どんな立場でも、きっと大丈夫)
そして悠真が、そっと美咲の肩を抱きながら呟く。
「見た? 桜、まだ咲いてるよ」
窓の外。
ピンクの花びらが、まだ空に残っていた。
「……来年も、再来年も、見にこようね。4人で」
「うん……絶対に」
その春、美咲と悠真、そして翔真と律真は、新しい季節を家族で迎えた。
未来はまだまだ続く。
ランドセルを背負ったその背中とともに――。