記憶
祖父との約束を破り彩との約束を守る。
そんな矛盾に背徳感を覚えながら僕は再び境内にやってきていた。
「どこに行くの?」
「こっちこっち」
僕の手を引いて彩はぐいぐい引っ張る。
少し歩くと本堂の脇にある祠で立ち止まった。
「じゃあ行くよ」
彼女がそう言うと祠から光が立ち上る。
「え?うわっ」
僕は眩しさに目をつぶる。
ほんの数秒だったと思う。
もしかしたら数分経ったかもしれない。
周りの音が一切聞こえなくなり水に浮いているような心地良さを感じた。
「太郎、もういいよ」
彼女の声でハッと気づき目を開ける。
見回すとそこには今まで見ていたものとは別の景色が広がっていた。
神社はある。祠もある。
でもそれ以外はまるで違う。
さっきまで昼だったのに突然夜になり月が出ている。
提灯があたり一面にぶら下がり、周りがとても明るい。
屋台や人影こそ無いがお祭りに来ているような感覚だ。
「太郎様」
「え?」
足元を見ると彩と同い年くらいの女の子が跪いている。
「太郎様 お待ちしておりました」
藤色の着物を着た髪の長い少女。
髪の色は完全な黒ではなく濃い深緑のように見える。
「え?誰!?」
驚いた僕は慌てて後ずさる。
「ねねこだよ」と彩が言う。
「太郎様 ねねこにございます」と少女は顔を上げずにしっとりと名乗る。
当然のように自己紹介されたけどまるで記憶にない。
「ひとまず普通にしてくれないかな?立って話そうよ」
昨日から驚きっぱなしだ。
知らない場所に知らない女の子。彩だって昨日知り合ったばかりだ。
「とりあえず説明するね」
彩が話始める。ねねこと名乗る少女も膝を上げ彩の隣に並ぶ。
「ここは太郎の世界とは別の違う世界なんだよ」
ぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。
「簡単に言うと【妖】の住む世界
太郎の住む【現世】から見たら【彼岸】と呼ばれる世界だよ」
淡々と、でも少し寂しそうな口調で彩が話す。
父さんから聞いたことがある。
仏教用語で現実世界の事を【現世】、あの世の事を【彼岸】と呼ぶとか。
祖父から聞いた水難事故の話が蘇る。
「え?僕死んじゃったって事?みんなも…死んでるの??」
「そうじゃないよ」
あわてる僕の言葉を止めて彩は続ける。
「普段は別々の世界だからそちらから来る事はできないんだけど
たまにいるんだよ こっちに迷い込む人が
【妖】の姿を見てあの世と勘違いするんだと思う
運よく【現世】に帰れた人がそれを広めたんじゃないかな?」
年端も行かない少女が難しい話を取り進めていく。
「【現世】の行事で『お彼岸』てあるでしょ?」
「ああ、それは知ってるよ ご先祖様を供養する日だったっけ」
これも父さんの受け売りだ。
「そう その日は【現世】と【彼岸】の境界線が曖昧になるの
普段から【妖】は自分たちに所縁のある場所に出入りする事はできるの
今わたしたちが通ってきた祠が出入り口になっていて
そこで行き来する事は可能なんだよね」
なるほど、ゲームで言うところのワープゾーンとかポータルのイメージか。
「でも力の強い【妖】は『お彼岸』だと祠さえ特定できれば縁も所縁も無い場所に行けちゃうし
逆に力の強い人間であれば祠を通ってこちらの世界に来ることもあるの」
境界線が曖昧になるっていうのはそういう事か。
「彩も…その…【妖】なの?」
失礼かなと思いつつも勇気を出して聞いてみる。
「わたしは【妖】とは違うけど 人間でもなくなっちゃった」
微笑みながら答える彩の顔には少しだけ陰りが見える。
地雷を踏んでしまったようで僕はいたたまれなくなった。
「それでね あと数日で『お彼岸』が来るの
太郎のお参り行事の日
それまでに悪い【妖】がここを通らないように力を貸して欲しい」
彼女は振り絞ったように、少し震えた声で言う。
事情は漠然と理解できたけど、何をどう協力すればいいんだろう。
僕なんかよりおじいさんとか大人の方がよっぽど力になれそうだけど。
「ん?『お彼岸』てカレンダーで見たけど9月じゃなかったっけ?」
素朴な疑問を投げかけた。
「【現世】ではそうなんだけど、【彼岸】では旧暦なんだよ
旧暦だと今年はちょうどお盆に当たるの
お盆も別世界との境界線が曖昧になる日だから今年は本当にまずいんだよ」
なんか本当にやばそうに感じる。
「それで、僕に何が出来るの?」
真剣な眼差しの彼女に水を差すつもりはないけど、僕に何かできるとは思えない。
「太郎にはね、特別な力があるんだよ」
彩が隣に並んだ少女を指差す
「彼女の名前を呼んでみて」
藤色の着物に身を包んだ少女も真剣な表情でこちらを見ている。
「えっと…ねねこちゃん…だっけ…」
言葉を発したと同時に禰々子の体が青白く光りだす。
ただ、眩しくて目を凝らす程ではない。
少し明るめの行燈といった感じだろうか。
「これは…一体…」
ぼくは無意識にまた後ろに一歩退く。
「太郎様 これがあなたのお力です」
光を纏った少女は嬉しそうに僕に語り掛ける。
「太郎 ねねこの手に触れてみて」
彩が彼女の手首を掴み僕に差し出す。
「触れるってどういうふうに?」
僕はおそるおそる人差し指で彼女の手の甲にちょんと触れた。
その瞬間、目の前にまばゆい光が放たれて僕を包み込む。
と同時に頭の中に映像が映し出された。
これは、僕の記憶…。
ーーーーー川だ。
洪水に流されて今にも溺れそうになっている僕。
すぐそこには一緒に流されている彩の姿があった。
必死に手を差し伸べても届きそうで届かない。
水が口に入り呼吸が苦しくなる。
意識が遠のく状況で僕は必死に叫んだ。
「禰々子!彩を助けて!」
思い出した。
水難事故の記憶が鮮明にフラッシュバックしていく。
僕は前から彩の事も禰々子の事も知っていたんだ。
彩はもともと母方の親戚の子で夏休みにおじいさんの家で一緒に過ごした。
夏の間、僕は彩と毎日遊んでいたんだ。
「彩…無事だったんだね」
目から涙が溢れ出す。熱い熱い涙がぼろぼろと零れ落ちる。
「ぅあああ…」
ドクンドクンと鳴る心臓。
嗚咽にも似た声が漏れる。
「太郎 思い出してくれたんだね」
彩がニッコリと笑う。
「ねねこに助けてもらってね でも無事ってわけでもなかったんだよ」
両手を広げて空を仰ぐようにして言った。
「ねえ、どこまで思い出した?全部?」
「いや、待って…」
僕はゆっくりと記憶を辿った。
川が氾濫して彩と自分が溺れてた事。
彩に手が届かず禰々子の名前を呼んだ事。
そして…
禰々子は僕の従者だった…
僕には【妖】を使役する力があり、禰々子や他の【妖】たちを使役していた。
禰々子は河童の女の子で僕にすごく懐いていた。
ただ、どうやって禰々子と知り合ったとか、他の【妖】たちの事とかは思い出せない。
「まだ…部分的にしか思い出せないや」
涙としゃっくりが止まらない中ようやく僕は呟いた。
「禰々子ありがとう。彩を助けてくれて本当にありがとう。」
彩と禰々子を抱きしめて僕は泣きながら何度も何度もありがとうと言った。
2人が僕の服をギュっと掴んできたのがありがたかった。