少女
夏が始まりうだるような暑さの中、僕は一人バスに乗っていた。
車内に冷房設備などはなく、乗客も僕だけ。
窓から見える景色は途中まで田畑が続いていて見慣れない風景に感動したけど
今は生い茂った木々に囲まれた山道でバスの動く音と自然の音しか聞こえず
ずっとそんな調子が続いているものだからいいかげん辟易している。
本来なら待望の夏休みに入り、エアコンの効いた室内で快適に過ごしていたはずなんだけど
「今年の夏は特別なのだ」と父さんに聞かされていた。
うちは父子家庭で、14歳の今日まで父さんが男手ひとつで育ててくれた。
少し不器用で少し抜けていて少し頼りないところがあるけど凄く優しくて僕は父さんが大好きだ。
そんな父さんが神妙な顔つきで話し始めたものだから僕も真剣に耳を傾けた。
「うちの家系は代々14歳になると地元の神社にお参りに行くんだ。」
父さんは静かにゆっくりと、そんなに大きくないけれど僕にしっかりと聞こえるように話し出した。
「と言っても父さんの地元じゃないぞ。母さんの地元だ。」
物心ついた時から父さんと二人で暮らしてきて、母さんの記憶なんて残っていない。
小さい時に病気で他界したと聞いているけれどそれも覚えていない。
うちには「無宗教だから」と仏壇も置いていないし母さんの地元なんて言われても全然ピンと来ない。
それでも普段忙しい父さんと二人でどこかに行くのも悪くないかなと思って聞いていた。
「母さんの実家は神社なんだよ。そこで先祖代々地元の土地を護ってくれる神様を祀っていた。母さんはね、そこの一人娘だったんだ。」
初めて父さんからマトモに母さんの話を聞いた。
今までさんざん母さんの事を聞いても「優しかった」とか「美人だった」とか惚気めいた上辺の話しかしてくれなかったのに、突然の事で僕は唾を大きく飲み込んだ。
「母さんの家系のしきたりでね、14歳になった年の夏にお参りするんだよ。ちょっと遠いけど大丈夫。行き方はちゃんと教えるから気軽に行っておいで。」
いつも優しい父さんだが、いつも以上に優しい口調でゆっくりと話す。
「向こうに行ったらじいちゃんやばあちゃん、それに母さんの親族も出迎えてくれる。」
「え?父さんと一緒に行くんじゃないの??」
「父さんはお盆あたりまで仕事がいそがしくてね。でもお盆は休暇がもらえたからね、帰りはちゃんと迎えに行くよ。」
行ったこともない土地で会ったこともない人たちと一緒に暮らすのはさすがに無理だ。というか嫌だ。
「だったら父さんの休みにあわせて一緒に行きたいよ。」
ふだんは父さんに迷惑をかけないよう、なるべく言われたことをきくんだけど、さすがに今回は本音で返してみる。
「それが一番なんだけどね。お参りの日取りはもう決まっていて、お盆だと間に合わないんだよ。ちょっとした冒険だと思って行っておいで。あとで必ず父さんも合流するからさ。」
断る選択肢もあったけど、あまりにも真剣に話す父さんに圧倒され、9月に発売する新しいスマホを買ってもらう事、夏休みの間はギガ数使い放題プラン(動画サイト見放題付)にしてもらう事で手を打ち今に至る。
僕が使っているスマホは父さんのお下がりで年季が入っている。
途中まで動画を観ていたけどスマホが熱くなってきたのとバッテリーが減ってきた事もあって電源を切っていた。
「暑い…。」
持て余した体と時間にうんざりしながら無意識にそんな言葉が漏れた。
気づくと日差しを遮っていた木々は無くなり直射日光が窓から突き抜けてくる。
目的地到着のアナウンスが車内に響いていた。
家を出てから電車で3時間、バスで2時間の長旅を終え、ようやくバスを降りると足元がふらふらした。
まだ地面が揺れているみたいで「地に足がつかない」を素で実感した。
バス停の側に止まっていた車から人が顔を出し僕に話しかけてきた。
「太郎か?」
70前後だろうか。若いころは格好良かったであろう端正な顔立ちの老人が笑顔で僕の名前を呼ぶ。
髪が綺麗に白く染まり、髭を生やし、でもきちんと整えられていてむしろ似合っている。
車から降りたその姿は背筋もピンと伸びていて、そんなに背は高くないもののシャープなイメージを感じさせる。
「老紳士」ってこういう人の事を言うんだろう。
「はい。母さんのお父さんで僕のおじいさんですか?」
何て言えばいいかわからず迷った結果、何とも頭の悪そうな質問で返す。
ジンジンと暑い道路から伝わる地熱を吹き飛ばすように老紳士は「そうだよ」と言いながらカラカラと笑う。
「初めまして。お世話になります。」
初めて出会う親族との距離感が掴めず、初対面での挨拶はぎこちなさだけが残った。
おじいさんの運転で再び山道を登りだした。舗装が行き届いていない道を進むと周りの緑が一段と濃くなり、あたり一面に心地よい空気が渦巻く。
30分も経っただろうか、目の前に陽だまりが広がり、絵に描いたような日本家屋が顔を出した。
その先に神社の鳥居のようなものも見える。
「土間とか囲炉裏とかあるのかな。」なんて考えながら車を降りると、玄関横にる女の子がこちらを見ていた。
小学校低学年くらいだろうか。
真っ黒な長い髪の毛に赤い着物。今日のこの天気では暑いだろうに。
女の子は手を振りながら屈託のない笑顔でおじいさんと僕に向かって「おかえり」と投げかけてくる。
僕はやっぱり距離感がわからず小声で「こんにちは」と返す事が精一杯。
「それじゃ誰にも聞こえないだろう」とおじいさんは車から僕の荷物を降ろしながら笑った。
思ってた以上に声が小さかったみたいで僕はもっと恥ずかしくなった。
やっぱり土間があった。
出迎えてくれたおばあさんともぎこちない挨拶のやり取りを終え、靴を脱ぐ場所を教わる。
井草の匂いが鼻をくすぐる茶の間に案内され、用意された座布団に腰を下ろす。
土間に続き初めて見るちゃぶ台、どこで売ってるのか想像もつかない花柄のコップに良く冷えた麦茶を注いでもらうと僕は一気に飲み干した。
足を崩しても失礼にならないか? 小さな悩みを抱えつつ正座で2杯目の麦茶を煽る。
「疲れただろうに、足伸ばして座りなさい。」
小柄ながらも割烹着姿でキビキビ動くおばあさんは僕に気遣いの言葉をくれた。
ほっとしながら足を崩すと気持ちも落ちつきウトウトしていた。
夢を見ていた。
さっき玄関先で会った少女と二人。
ここは神社の境内かな。狛犬を横目に玉石の上で僕たちは向かい合ってしゃがんでいる。
「…郎」
小さい声。でもどこか聞き覚えのある耳障りのいい声が後ろから聞こえる。
「太郎」
振り向くと髪の長い女性が近寄ってくる。
逆光のせいか顔ははっきりと見えない。
「彩と遊んでいたの?」
やさしい声で囁きかけてくる女性に手を取られ、僕は一緒に歩きだす。
「またね太郎」
「またね彩」
笑顔で小さく手を振る少女はどこか寂しげな印象だった。
目を覚ますと縁側にいた。
周りの景色が緑色から茜色に様変わりしていた。
隣に腰かけていたおじいさんが口を動かす。
「起きたかい? 長旅で疲れてたんだな。」
慌てて起き上がり、家に着くなり寝てしまったことに「ごめんなさい」と言おうとして僕はほっぺたに冷たいものを感じた。
涙の後だろうか。僕は寝ながら泣いていたらしい。
「怖い夢でも見たのかい?」
おじいさんは心配そうに僕を見てくる。
「いえ、神社で遊んでる夢でした。赤い着物の女の子と一緒に。」
白い髭を撫で、優しい目で笑いながらおじいさんは続ける。
「そうか。きっとあの子もお前に会うのが楽しみだったはずだよ。」
夢の話と直接関係ない言葉が返ってきて少し戸惑ったが、この距離感で踏み込んだ会話をするのも気が引けたため僕は一言「はい」と答えた。
お風呂と夕飯を終え、茜色の空にとばりが降りはじめた頃、スマホの電源をつけると圏外だった。
「ちくしょう…。」
やる事もなく、完全に暗くなる前に僕は床についた。
妖怪が大好きです。
何故かわかりませんが子供の頃から大好きです。
今回は古き良き日本の風情と現代の文化を融合させた物語を描きました。
導入である第一話で主人公である太郎の人物像が少しでも印象に残れば幸いです。
優しい話作りを心がけてますのでお気に召す方がいらっしゃったらありがたいかぎりです。