異変
誠二が会社を解雇されてから二日が経過した。
彼はカプセルホテルで寝泊まりしながら、インターネットカフェに来ていた。
そして、パソコンの画面を見てため息をつく。
(あれから芳山株式会社のことや一昨日、壊滅したボートゥールのことを調べてみてるけど…。神田さんやあの銀髪の青年が言っていた情報はないな…)
誠二は電球で照らされた天井を見上げる。
(やっぱり白銀の死神に会うしかないのか…?でも、神田さんは関わらない方がいいと言っていたし…)
彼はしばらく考え込んだが、両手で頭を乱雑にかくと立ち上がった。
ネットカフェの個室を出て、外にある自販機に向かう。
小銭を入れて飲み物を買おうとしたとき突然、誰かに腕を掴まれた。
「っ!?」
誠二が振り返ると黒いスーツにサングラスをかけた怪しい男が二人立っていた。
「来い」
腕を掴んでいた男がそう言うと誠二の口を押えてむりやり彼を引きずっていく。
そして近くの路地に入り周囲に人がいないことを確認すると、誠二の腕を強く掴み彼を床にねじ伏せた。
「お前が広野誠二だな。大人しく我々と来てもらおうか」
誠二が顔を上げると腕を押えている男とは別の男が懐から白い布と液体の入った小瓶取りだした。
そして、瓶の蓋を開けると白い布に傾けて中の液体を染み込ませる。
誠二はそれを見て押さえられている腕を振りほどこうともがく。
「くそっ!離せ!!」
だが、男の力は強くびくともしない。
段々、布を持った男が近づいて来る。
(なんで俺がこんな目に…!)
誠二が俯いて諦めかけたときだった。
「何してるの?その人は俺が目をつけてたんだけど?」
路地裏の奥から声がした。
誠二が声のした方を見ると目を見開く。
そこに立っていたのは二日前に神田のバーで会った銀髪の青年だった。
「広野さん。大丈夫?」
青年はねじ伏せられている誠二の方を心配そうな目つきで見る。
「誰だ。お前は!」
サングラスをかけている二人の男がそう言って青年を睨む。
「名乗ってもわからないでしょ。あんたらは大澤の差し金なんだから」
青年はげんなりした顔でため息をついた。
彼の言葉にサングラスをかけた男達は互いに顔を見合せる。
「…何故、そのことを知っている!」
「我々を止めるように誰かに依頼されたのか?」
二人がそう言うと青年は舌打ちをした。
「俺が誰かの指示で動くわけないじゃん。もういいから、さっさと広野さんを離してくれない?」
その言葉に広野を押えていた男とは別の男が眉間に皺を寄せた。
「小僧が!馬鹿にするな!!」
男はそう言って走ると青年に殴りかかろうとした。
「っ!?」
だが、男が振り被った拳は易々と青年に掴まれている。
「あんたらじゃ俺に傷ひとつつけられないよ。早く広野さんを離した方が身のためだと思うけど?」
そう言うと青年はぎりぎりと音を立てて男を掴んでいる手に力を込めた。
「…ぐあっ!」
男が顔を歪ませて呻く。
痛みに足掻くようにもう片方の手で青年の腕を掴むがびくともしない。
「ほらほら、折れちゃうよ?」
青年が広野を押さえている男の方を何の感情もこもっていない目で見る。
男はその目に体を震わせて誠二を離した。
その瞬間、青年もぱっと男の手を離す。
男はその場に蹲り顔を歪ませて掴まれていた手を押さえた。
その手には真っ赤な血が滲んでいる。
誠二は目の前で起きた出来事を見て愕然とした。
(…今、何が起きたんだ?)
その場で微動だにしない彼を見て青年は首を傾げる。
「広野さん?早く動かないとまた追っ手が来るよ。ほら、俺についてきて」
青年はそう言って走り出そうとしたが、何かを思い出したように立ち止まった。
そして、サングラスの男達を見てこう言った。
「そうそう。大澤にあんたらを襲ったのはラモールだって言っといてね」
彼はそれだけ言うと走り出した。
その後を誠二も慌てて追う。
どのくらい走ったのか二人は人気のない場所まで来た。
後ろを振り返って見ても誰かがついてきている気配はない。
誠二は深呼吸を何度も繰り返して息を整える。
そして、落ち着くと息ひとつ乱れずに目の前を軽い足取りで歩く青年に声をかけた。
「あの、ここは…?」
青年は振り返ると微笑んだ。
「俺のアジト。ここなら誰も入ってこないよ」
そう言って目の前にある建物を指さす。
そこは寂れた廃工場だった。
誠二は周囲を見回して首を傾げる。
「ここはあなたの家ってことですか?」
青年はその言葉を聞くと急に立ち止まった。
「…あなたってやめてくれない?そうだなぁ。俺のことは白銀って呼んで。俺も広野さんのことは誠二さんって呼ぶからさ」
「白銀さん…。ここは一体どこなんですか?」
誠二がそう聞くと白銀は微笑んだ。
「俺のアジト…家だよ。ここなら安全だから」
「…白銀さん。さっきの男達は何で俺を攫おうとしたんですか?」
その言葉に白銀は少し考える素振りをした。
そして何かを思いついたように誠二を見る。
「もしかして誠二さん…。会社から何か持ち出してない?」
「…持ち出す?」
誠二は会社で荷物を片付けていたときのことを思い出す。
そして、脳裏にある物が浮かんだ。
「もしかして…。これのことですか?」
彼は懐からUSBを取り出した。
「それだよ。きっと大澤はそのUSBを取り返したかったんだ」
誠二はその言葉に首を傾げる。
「でも、このUSBは私が勝手に自分のメモとして情報をまとめるのに使っていたものですよ?社長がそんなものを欲しがるとは思えないですが…」
白銀は顎に手を当てて言った。
「確かにUSBの中身が本当にただのメモなら大澤も欲しがらない…。待ってていいものがある」
彼はそう言うと廃工場の奥に姿を消した。
少しして現れた白銀の腕にはノートパソコンが抱えられていた。
そして手近にあった机にそれを置く。
「これならUSBの中身が調べられるよ」
白銀は誠二の顔を見つめた。
彼は自分のUSBをパソコンに挿す。
すると、パソコンの画面には驚くようなものが映し出されていた。
「ねぇ、これが本当にメモだって言うの?」
すぐに答えられない誠二の顔を見て白銀はため息をつく。
「誠二さん。これは芳山株式会社の顧客データだよ。全て表向きは白い企業だけど裏では真っ黒のね…」
白銀は唇を噛んで憎々しげに言った。
その様子に誠二は底知れない闇を感じる。
「社長が狙っていたのは俺が間違って持ってきてしまったこのUSBだったんでしょうか…?」
「恐らくそうだろうね。このUSBにある顧客は全て芳山株式会社の闇取引先だろうから」
その言葉を聞くと誠二は自分を攫おうとしたサングラスの男を思い浮かべる。
「闇取引先…。あの、白銀さん。私はこれからも攫われそうになるんでしょうか…?」
怯えた様な目つきでそう聞く彼に白銀は微笑んだ。
「誠二さん。大丈夫だよ。俺と一緒に芳山株式会社に復讐してくれるなら俺が必ず誠二さんを守るから」
白銀は自信に満ちた眼差しをしていた。
(復讐…。確かに俺は理不尽に会社をやめされられた…)
誠二の頭の中で神田の言葉が響く。
『誠二さん。一度、あちら側…闇の世界に足を踏み入れたらもう二度と戻って来れなくなるよ』
彼は何度も自分の心の中で自問自答した。
その姿を白銀は何も言わずにただ黙って見ている。
(…もうあんな目に遭うのは嫌だ。確かに危ない世界かもしれない。けど、白銀さんは怖いけど信じてみてもいいような気がする…。どうせ俺にはもう失うものなんて何もない)
彼は大きく深呼吸をすると真剣な表情で白銀を見た。
「わかりました。俺も白銀さんに協力します」
その言葉を聞くと白銀は嬉しそうに笑う。
「ありがとう。誠二さん。安心して?俺が絶対に守ってあげるから」