後妻にとって「家」とは何かというはなし
今回の底本とした「熊谷先陳問答」(天満八太夫正本)が収録されている『説経正本集 一』(角川書店)では「熊谷先陳問答」の別の版がもう一つ確認できますが(佐渡七太夫豊孝正本)、内容に大きな差異はないと考え紹介は省略します(豊孝本では五藤太高安は死なずに逃げ延びていることだけは付け加えておこう)。別にめんどくさくなったわけでは……ないです……。
さてこの作品、「先陣問答」なんたらのタイトルにわりに話の本筋は熊谷直実自身ではなく、その娘たち(おそらく架空の人物)の異母姉妹間の愛情が一番の主題になっています。(直実と季重の一ノ谷での活躍については『平家物語』巻九「一二之懸」を読もう)
加えて後妻による激しい継子いじめ(玉鶴にとっては実母ですが)ですね。この後妻の凄まじいいじめっぷりはなかなかの見所です。
さらに後妻は嫡子の直家を亡き者とし、実の娘の玉鶴を兄の息子と結婚させることで熊谷の家の乗っ取ろうと積極的に陰謀を巡らせます。これがまた説経やその後に続く浄瑠璃、歌舞伎などで定番となる、いわゆるお家騒動ものとしての性格がみられます。
ここでちょっと人間関係の整理。
【人物相関図】
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岡部忠純 先妻(死亡)= 熊谷直実 = 後妻 平山季重
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小次郎直家 桂の前 玉鶴姫 小太郎
こうしてみると、直実が出家して主が不在となった熊谷の家を巡って、先妻と後妻の家(それぞれの兄)が対立している構図がみえますね。妻の生家というのが意外に強いようです。ことに後妻にとって己の「家」とは、嫁ぎ先ではなく(兄が跡を継いだ)生家である、と見えます。「子は鎹」などという古い言葉がありますが、嫁いできた女性がその嫁ぎ先の家の人間になるためには、「家の跡継ぎを生むこと」以外になかったのではないかと思います。そうでない限り嫁いできた女性はいつまでもよそ者なのでしょう。「熊谷先陣問答」の後妻の例を見ると、そのほかの説経に出てくる継母たちの行動原理も透けて見えるようです。
我が子を嫡子にするために先妻の子である長男の俊徳丸を呪詛した「俊徳丸」の継母はもちろんのこと、結婚した夫ではなく義理の息子に言い寄った「愛護若」の継母・雲井の前の行動も、ある意味理にかなっていることがわかります。すでに嫡男がいる男の子供をさらに産んでもスペア以上の意味はなく、むしろなんとかして家の跡継ぎであることが確定している愛護若の妻となるほうが、確実に我が子を嫡子にできる(自身もその家の一員になれる)というわけで。いやとんでもない発想なのは同じなのですが。
嫁いできた女(ことに後妻)にとっての「家」とはなにか。女が「家」の一員となるには何が必要なのか。
「熊谷先陣問答」の後妻は、継子いじめものにおける「母というものは、自分の産んだ子はかわいがるが義理の子はかわいくないからいじめるもの」という継母テンプレを覆す見事な継母ぶりを見せてくれました。なにしろ実子の玉鶴だって叱り飛ばしていじめてますからね。平等(?)ですね。誰が産んだかは問題ではない。「玉鶴が熊谷の家の者だったから」です。この家の中で、後妻だけが平山の家の者だった。後妻は我が子である玉鶴ならば自分と同じ平山の者となってくれることを期待し、さらに玉鶴の婚姻を介して熊谷の家を平山のものにしようと目論んだが、当の玉鶴にきっぱりと断られた。自分が産んだ娘でさえ熊谷の家の者だった、その裏切りに対する怒りだったわけで。よその家の者である夫よりも子供よりも、生家の兄が大事な後妻でした。
ところで説経では、きょうだい間の結びつきが非常に強い。場合によっては夫婦や親子よりも愛情が深いのではないかとさえ見えることもある。今回の熊谷直実の後妻と平山季重もまた、「山椒太夫」の安寿と厨子王、「阿弥陀の胸割」の天寿とていれい、また直実の娘たちのような、非常に仲のよい一蓮托生の兄妹であったように思えます。
いやー、「家」というのはじつに難儀なものです。それゆえにドラマが生まれるともいえるし、そのドラマをこのように楽しんでさえいますが、まあ、あんまり幸せなシステムではではないよね。
家制度の歪みは! 継母に出るッ‼