表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/8

五段目

 それからの姉妹の姫君こそ実に哀れなものでした。かわいそうな玉鶴姫は、未だ幼いことですから、長い旅路の疲れのうえ、あれこれと物思いに沈んで、小さな体に重い病を引き受けて、もはやこれまでとばかりに病んでおります。

知る人もない旅路のことですから、情けをかけてくれる人もなく、杖や柱のように頼れる者もただ一人、姉上一人がそばにいて、あれこれと看病を尽くしますが、特別な技術も有ればこそ、水よりほかに与えられる薬もありません。

姉上はあまりの悲しさに、玉鶴の御髪を、膝の上にお乗せになり、「玉鶴よ、しっかりして。気をしっかり持って。あなたがそのように病気になっては、姉上はどうしたらいいのですか。ああかわいそうな玉鶴」と、涙を流しておっしゃると、姉の声に力を得て、ようよう頭をもたげて、「なんともったいないことでしょう、姉上にこのように親切にされることこそ、大変な幸運というもの。どうかお許しください。そうはいっても、わたしはもうすぐ死んでしまうでしょう。何事も、何事も前世の行い故のこととお思いになって、私のことを思い出すときには、念仏の一遍も手向けてくだされば、草葉の陰にて必ず受け取ります。今まで何度も、もう一度元気になって、姉上にお仕え申し上げようと、思ったことも夢となり、どこともしれない草むらに、跡形もなく消えて土となってしまう。姉上に心を残すこと、これは黄泉路への差し障りとなりましょう。きっと、きっと姉上様、長生きをなさって、父上に巡り会い、私の最期にことを申し伝えてくださいませ」と、お話しになります。「ああ名残惜しい姉上様」と、これを最期の言葉にて、ついにむなしくなってしまわれました。

 姉上はまるで夢でも見ているかのように、「やれ玉鶴よ、玉鶴よ」と死骸にかっぱと抱きつき、いう言葉こそ哀れなものでございます。「こんなことになると知っていたならば、どんなに嘆こうとも、そのままふるさとに残していけば、このようなことにはならなかったのに。姉と別れるのを悲しんで、はるばるこれまでやってきた身を、このような目に遭わせてしまったことのかなしさよ」と、亡骸を、押し動かし押し動かし、もだえ悲しみ恋しがります。

 すでにその日も暮れてしまうと、どこからともなく、尼公が一人いらっしゃり、「私はこのあたりに住む者ですが、あまりのいたわしさに、お話相手になってさしあげようと、やって参りました。このあたりは人里ではありませんから、きっと狐狼野干どもが、食べてしまおうとやってくるでしょう。しかしながら私がこのようにやってきたからには、何も問題はありません。ご安心なさいね、かわいそうに」とおっしゃいます。

姫君はお聞きになり、「なんとありがたいことでしょう。このような悲しい身の上と成り果てて、命を惜しむこともないけれど、妹の亡骸を、食い荒らされるのは耐えがたく思いますから、万事お頼み申します」と、お手を合わせます。

思った通り、狐狼野干のものどもが、数多く飛び来たり、食べようとしますが、三国一の如来が尼公の姿で現れ給えば、おそれをなした獣どもは、どうしようもなくあたりへ寄りつかず、ついにはきれいな花を咥えて、御前に供え、頭を地面に擦り付けます。

こうしたところへ天灯一つ現れ天から下れば、また犀川の方からも竜灯一つ現れて、御前に懸かります。誠に、直実遁世のご加護もあり、また姉妹の姫君の、世に類いなきその心ばえを、仏神が哀れに思し召し、このような奇瑞が現れたのは、世にもありがたいことでございます。

 やがてその夜も明けると、尼公はたちまち金色の仏体と顕れ給い、「私を誰だと心得るか。善光寺の如来である。玉鶴は定まった運命であったから致し方ないが、汝の行く末はよく守って進ぜるぞ」といって、かき消すように消えてしまいました。姫君は手を合わせ、「なんとありがたいことでしょう」と、虚空を礼拝いたします。如来が帰って行ったので、天灯、竜灯も虚空をさして飛び去ります。狐狼野干も、みなちりぢりになりました。かわいそうな姫君は、どこともしれない草むらに、嘆き沈んでおられます。

 こうしたところに、親子の奇縁というものでしょうか、父直実は、法然上人のお弟子となり、御名を蓮生坊と申して、修行をしておられますが、宿願あって、善光寺へお参りになります。お互いに姿が変わっていたので、親子であるとも気づかずに、なんということもなく通りゆきます。

姫君はご覧になって、「もし、御僧様、これは私の妹でございますが、つい先ほどむなしくなってしまいました。しかしあてどもない旅路のこと、誰も頼れる人もありません。同じ出家の身ですから、これもご縁と思い哀れんで、埋葬してくださいませ」と、すがりついてお泣きになります。

 蓮生はご覧になって、我が子とは夢にも知らず、「実にいたわしいことだ。まことに、身分高いものも賤しい者も、生死の掟から逃れることはできないものだ。未だ幼い人のようだがこのような尼姿になるとは奇妙なことだ。きっと両親のためであろうな。それならば野辺の送りをいたそう」と、そのあたりから遣り戸を一枚取りだし、玉鶴姫の死骸を乗せ、先を蓮生が舁けば、後ろを姫が舁きます。父親が娘の葬礼をするとは知らないままの、親と子の心の内こそ哀れなものでございます。

崖の陰に降ろしおき、土中に築き込め卒塔婆を立て、とある所に向かって、蓮生は、「つらつらと考えてみれば、一生は夢のようなもの。だれが百年の生涯を過ごすだろうか。釈尊もついには跋提河の土となった。これはみな本来の物事のありようなのだ。長く生死の因果を絶って永遠の浄土に至ること、疑いはないだろう。南無阿弥陀仏」とおっしゃると、姫君もお手を合わせて、「なんとありがたいことか」と、念仏をし、声を上げてわっと泣き叫びます。

蓮生はご覧になって、「嘆くのも当然のことでしょう、しかしながら、今となってはどうしようもないこと、お嘆きなさるな。愚僧も諸国を巡る僧だが、このような縁に巡り会い、私の手で埋葬したことも、前世からの縁に違いないでしょう。あまりにいたわしく思いますからこの先もずっとお弔い申し上げます。あなたの故郷、父親の名前をお名乗りなさい」とおっしゃいます。

 姫君はお聞きになり、「名乗るまいとは思えども、将来にわたってのお約束、世にもありがたいことです。どうして包み隠しましょうか、はずかしながら私は、国は武蔵国、父の名は、熊谷二郎直実と申す人でございますが、以前にどこへともなく遁世の旅に出てしまい、そうして私たちは継母の計らいで、これこれこのような次第です。哀れんでくださいませ、お坊様」と、またさめざめとお泣きになります。

蓮生ははっと思い、「なんと驚いた、今までは他人事と思っていたが、我が身の上のことではないか。後生を大事に思い、遁世し善根を積もうと思う身が、このような悲しい思いをすること、己の身から出た罪であろう」と思われて、あふれ出る涙にむせびます。せめて、父と名乗り、喜ばせようと思えども、「いやしばし待て、ただいま名乗ったならば、裾や袂に取り付いて、絶対にはなれまいと嘆くのは、ますます不憫なことだろう。その上、熊谷ほどのものが弱気になってはいけない」と、何でもない風情で振る舞って、「さては直実の姫君でいらっしゃったか。私も、武蔵国の者ですから、熊谷殿にも、しばしばお目にかかりましたから、よそ事とも思えません、おかわいそうに」とおっしゃって、共に涙をお流しになります。

 しばらくして、蓮生がおっしゃるには、「以前、都で聞いたことには、あなたの父熊谷殿は、強く発心して、この度は能登国、岡部の六弥太忠純殿のところへ上ってゆかれた由をお聞きしました。父に会いたく思うならば、能登国へ訪ねてゆかれませ。言うまでもないことですが、この世に生を受けたものは、最後に別れる定めは逃れがたいもの。ただ願うべきは菩提の道でございます。あなたの妹は、悟りのための善知識をお示しになったと思って、もうお嘆きにならないことです。名残惜しくはございますが、修行の身ですから、これでお暇いたします、さようなら」といって、立ち去ろうとなされば、姫君は袂にすがり付き、「実にありがたい教えです。しかしながら、いまお坊様と離ればなれになることは、父直実と別れたときの悲しさにも、どれほど勝るでしょうか」と、衣の袖にすがりつき、嘆き悲しむもので、いかに決意の固い直実も、目がくらみ心も乱れ、共に涙は止めどなく、「ご縁があったならばまたお目にかかりましょう。さらば、さらば」とおっしゃって、ついに名乗り合うことなく通り過ぎる親と子の、心の内こそ哀れなものでございます。

 かわいそうに姫君は、僧侶とも別れ、どこともしれない崖の陰の墓印に倒れ伏し、暫く悲しみに沈んでおられました。涙をこぼしながら「なんと哀れな玉鶴よ。姉と別れることを悲しんで、はるばるここまで来た身を、このような土中に捨て置いて、立ち去ろうという心こそ、我が身ながらもうらめしい」と声を上げてお泣きになります。

嘆いても仕方ないことなので、目印の卒塔婆に向かい、「ああ玉鶴よ、名残惜しくは思うけれども、姉は伯父御を頼って、能登へ行くよ。さようなら」とおっしゃって、お墓を立ち去ろうとなさいますが、あまりの別れの悲しさに、また立ち返り、「玉鶴よ、玉鶴よ」と、卒塔婆を押し動かし、消え入るようにお泣きになり、やがて涙と共に能登国へとお急ぎになりました。

とにもかくにも姫君のお心の内は、哀れという言葉では言い尽くせないものでございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ