二段目
それから直実は、熊谷に立ち帰り、家の子郎党を呼び寄せて、「この度私は鎌倉で、主君に大変喜ばれ、長井の庄を賜った。皆で配分しようではないか」とおっしゃったので、おのおの所領を賜って、みなとても喜びました。
このようなめでたい折にも定めないのが世の習いでございます。ある夕暮れのこと、直実は、南おもての花園においでになり、木々の梢草花の色、春に萌え出で夏に茂り、秋に霜枯れて冬にはまた雪が降り積もるその下に、また来る春を待つのだろうと、四季の転変の有様を、つくづくとお感じになります。
「昨日は平家が栄えても、今日は源氏の御代となる、明日の世はどうなっていることか定めもなく、心が安楽こともない憂き世であることよ。そのうえ一ノ谷にて、敦盛の御最期に、亡き跡を弔ってくれと、ふとしたその一言が菩提の種となったのか、その面影が忘れられず、今も目に浮かぶようだ」。
いかに猛々しい直実も、知らず知らず涙にむせびます。「あれこれ見てはものを思うに、しょせん娑婆の楽しみは、電光石火稲妻の、有って無いような、かげろうのような、夢の間の楽しみにすぎにぬ。永き安住の地を知らないのは、嘆いても嘆ききれない。釈尊も帝位を捨て、ついには正しい悟りの道に至った。私は煩悩にほだされて、悟ることもなく二度三途に帰ることは、実に悔しい次第である。遁世修行にでよう」と、思い立ちました。妻や子供が知ったならば、裾や袂にとりついて嘆くにちがいない。それは不憫なことだ。それならば忍び出でようとお思いになり、腰の刀を引き抜いて、自身の髻を押し切って、刀に添えてそこに置き、未練を断ち切って遁世修行においでになります。そのような心の内こそ誠に優れたものでございます。
これはさておき、北の方と兄妹は、どうして父はなかなか戻ってこないのだろうと、表に出てご覧になると、いつのまにか直実はおらず、あたりを見れば刀に取り添えて、形見の髪の一房が残っておりました。
「やれ父上は、御遁世なさったのですか」と、北の方、兄妹もろともに、そのままそこに倒れ伏し、雨が降るごとくお泣きになります。直家は涙を押しとどめ、「いかに母上様、嘆かれるのは当然のことですが、いまとなってはどうしようもないことです。こうなっては私は、父上の行方をどうして尋ねないでいられましょう。ひとまずこちらへ」とおっしゃって、普段の居所へお入りになります。
このように月日が過ぎましたが、昔から今に至るまで、継子と継母の間柄ほど、浅ましいものはありません。母上はこのように考えます。「桂の前は女子であるからどうとでもなろう。なんとしてでも直家を亡き者にし、季重の次男、小太郎をこの家に呼び迎え、玉鶴と娶せて、浮世の中を面白おかしく暮らしたいものだ」とお思いになり、このことをまずは兄季重に語らおうと、お供を具して、急ぎ平山を目指します。
季重が出てきて対面し、北の方が小声で言うには、「いかに兄上、これこれ、このようなことを考えつきました」と、直家を討つための謀を、事細かに語られます。
もとより直実の家を妬んでいた季重は、これを聞くとにっこりと笑って、「よくぞ思いたったものだ、さてどのようにして討つべきか」。北の方はこれを聞き、「幸い直家は、明日善光寺へお参りします。道中で待ち受けなさいませ」。季重は聞いて、「なるほどそうしよう。それではおまえはもう帰りなさい」と言って、熊谷に送りつつ、三百余騎を集め、信濃と上野の境、碓氷峠に陣取って、今か今かと待っております。
そうとも知らず直家は、わずかばかりの供を連れて、善光寺へとお参りになります。待ち伏せの者どもは、すわこれが敵だと見るより早く、どっと鬨の声を上げます。ここに直家の郎党、五藤太安高というものが、真っ先に進み出でて、「一体何者の狼藉であるか。名を名乗れ」と申します。
そのとき季重は二陣に馬を駆けだし、大音声をあげ、「ただいまここへ押し寄せたる大将は、平山の季重なり。主君の仰せには、父直実が源氏の世を不満に思い遁世しただけでも憎らしく思うのに、直家までもいとまを申さずして、国を超えての物詣でをするのは、上のものを軽んじているのにちがいない。これ以上の逆心はない。朋輩への見せしめに、誅伐せよとの命令を、季重が受けたのである。そなたとは縁者であるから、不憫には思うが、主命とあっては仕方ない。尋常に腹を切れ。後世は弔ってやるぞ。さあどうだ」と申します。
安高は驚き、急いで直家にこの由を伝えます。直家はそれを聞くと、「まさか主君の仰せのことではないだろう。継母の仕業にちがいない。それはともあれ、気弱なところを見せて我が一族郎党の名をおとしめるなよ、者ども」と、早くも駆けだそうとなさるが、安高がこれを押さえ、「まずはそれがしが一勝負しましょう」と、真っ先に駆け出て、「いかに平山殿、私は熊谷譜代の郎党、木村の五郎太安高なり。こたびの平家の合戦にて手柄のほどは見たであろう。そこから逃げるな季重」と、大勢の中に割って入り、ここを最期とばかりに戦いました。
されど味方は多勢に無勢、皆ことごとく討たれてしまいました。直家と安高と、七度別れて七度会い、さんざんに戦います。さっと引いてご覧になれば、主従二人きりになっておりました。
直家はもはやこれまでと、「介錯せよ」とおっしゃって、すでに自害しようとなさいます。安高はおさえこんで、「これは不覚なること。この場はそれがしが防ぎます。幸い御伯父の岡部の六弥太忠純どのが、薩摩守忠度を討ちとった恩賞に能登の守護職を賜り、御在国でいらっしゃるから、まずは能州へ落ち延びて助けを求めなさいませ。そうしたならば、どうしてお見捨てになるでしょうか。なんとしても生き延びて再び兵を起こしてこそ、名将というものです。さあお早く」と申します。
直家はお聞きになり、あれこれ言うに及ばず、「さらば、さらば」と言いながら、桑取越えにさしかかり、能登国へと落ち延びました。そうして安高は、罪もないものを多く討ち罪を作っても仕方が無いと、腹を十文字にかき切って朝の露となりました。
季重は勝ち鬨の声を上げ、熊谷目指して帰ってゆきました。かの安高の最期の姿、あっぱれすばらしい家臣ぶりと、惜しまないものはありません。