これまで女子から相手にされなかった地味な男子高校生が、突然クラスの女子たちにモテるんだけどなんで?
いつものように地味な高校生活を送っていたボクは、クラスでも目立たない存在だった。女子に全く相手にされたことがなく、ひっそりと学校生活を過ごしていた。それなのに突然に異変が起こったって話を聞いてほしい。
ボクは、夏目大和。地味で無難な印象の普通の高校生。髪は黒髪で眼鏡をかけており、背は165cmくらいとやや小さめで細身。たぶん、地味な男子高校生で、AIに画像生成を頼んだら、ボクみたいなの画像を生成するんじゃないかな。
その日も、朝はいつもと変わらなかった。
「はぁ~、またこんな感じの一日か」
ボクは重たげな足取りで教室に向かう。相変わらず周りからは目に留まらない存在だ。クラスメイトたちが賑やかに会話を交わしたり、友人関係を深めたりしているのを、ボクは少し羨ましく思っていた。そんな中で、ボクは一人寂しく自分の席に座り込む。
「おはよう、夏目くん」
そこに、突然声をかけられた。ボクは戸惑いながら振り返る。すると、後ろの席の女子がボクに笑顔でこちらを見ている。彼女は明るくて誰にも優しく話しかけ、男子にも女子にも好かれている。
「え、え、えっ!? おはようございます……?」
「ええ、おはよう。今日の夏目くんはとっても可愛いなって思って」
優しく微笑みかけながら、ボクに話しかけてくる。ボクはドキドキしながら、その笑顔に見惚れてしまった。これまでボクに話しかけてくれたことなど一度もなかった。こんなにまじまじと見つめたこともなかった。見つめたら「何を見てるの?」と怒られるんじゃないかと思ってた。
「え、えっと、あ、ありがとうございます……」
「それで、夏目くん。今日の昼休み、一緒にご飯食べない?」
「え、え、えっ!? 」
その提案に、ボクは呆然と眼を丸くする。ご飯を一緒に食べるって、一つのパンを分け合って食べるってことかな?と馬鹿なことを頭の中の自分に問いかける。それくらいびっくりした。
ボクのお昼は、いつも自分の席にポツンと座って、スーパーの特売価格(いつも同じ値段だけど特売)で買ってきたパンを食べてる。まだ便所に隠れて食べてないだけ、堂々としてるんじゃ無いかと誇らしげに思ってた。
たぶん、学食に誘ってくれてるのだと思うけど、学食なんて華やかなところに一人で行くのが嫌だったから、行ったことない。
「ご飯って学食に食べに行くの?」
「はい、一緒に行きましょう」
優しく笑みを浮かべたままで、ボクの手を取る。ボクは、手に触れられて、さらに動揺を隠せずにいた。
「あ、あの、でも、ボク、そういうの慣れていなくて……」
「だから一緒に行けたら嬉しいの。夏目くん、付き合ってください!」
「えっ!? 付、付き合う!? いや、ちょっと待ってください!」
付き合うってボクが恋人になるってこと?……あ、じゃなくて、一緒に学食に付き合って行ってくださいってこと?……日本語って難しい!そうだ、さっきもお昼ご飯を一緒にって誘われてたんだから、その事に違いない。あぶない、勘違いするところだった。
ボクは必死に誘いの断り方を考えてた。なんならスマートフォンを取り出して「怒らせない 断り方」でchatGPTに聞きたいくらいだ。でも、そんなのお構いなしに、手を放してくれない。これは一緒に行くと約束するまで、放してくれないってことなのかな。
でも、さらにびっくりなことが起こった。
「夏目くん、私も一緒していい?」
「夏目さん、私も好きなんです。一緒に食べませんか?」
「夏目くん、可愛いですね。放課後、図書館一緒に行きましょ?」
次々と女子たちが迫ってくる。ボクは戸惑いながら、目を点にしてぽかんとしていた。突然の出来事に完全に呆然とした表情を浮かべている。
「な、なんですかこれ……」
ボクはまったく理解できない。これまで地味で取り立て目立たない存在だったボクに、なぜここまで女子たちが熱烈な関心を向けてくるのか。女子から話しかけられたり、学食に誘われたり、中には告白まで受けているこの状況に、ボクは完全に戸惑いを隠せない。
「いや、いや、ちょ、ちょっと待ってくださいよ。一体どうしたんですか?」
「あわててるのも可愛い!」
「ちょっと、私が真っ先に誘ったんだから!」
「えー、ずるくない?席が近いからって!」
ボクは必死にどういうことなのかを聞こうとするが、誰もが、僕の話なんか聞いてなくて、女子同士で誰が一緒にボクと学食に行くのかもめ始めてる。
ボクはもう関係ないみたいなんで、放っておいてください、と思ってるんだけど、未だに手を放してくれない。
いったい何が起こってるのか。早くchatGPTに「これまで女子から相手にされなかった地味な男子高校生が、突然クラスの女子たちにモテるんだけどなんで?」って聞いてみたい!だから、手を放して!
◇ ◇ ◇
結局、クラスメイトの女子数人と食堂に行って、一緒の席に座ってご飯を食べた。さすがにパンを持ち込んでは食べられないので、初めて学食で日替わり定食を食べた。
食べ始めると、他の女子も集まってきて、同じテーブルで一緒に食べ始めたので、非常に人目を引いたけど、会話は女子たちが自然とおしゃべりしてたので、話題に困るってことはなかった。
女子と何をしゃべったらいいのかわからないから。その点だけは助かった。
放課後、女子たちが一緒に帰ろうと誘ってきた。「一緒に帰りましょう!」と嬉しそうに呼びかけられたが、オドオドしながら断った。
「あ、ごめん、き、今日は用があるから!」
優しく誘われたのに、うまく断れずに逃げ出してしまった。
教室を出て、靴箱のある出入り口に行くと、幼馴染の桜井花が待っていた。
「大和、久しぶりだね」
花は柔らかな声で呼びかける。
「あ、花。何かあった?」
ボクは少し戸惑いながらも、花の様子が気になった。こんな困った顔してる花を見るのはいつぶりか。
「ううん、特にはないけど?」
花は無理に微笑んで見せて、手を振って何も無いよとアピールするけど、隠しきれてない。そして、決意を示すように、ぎゅっと自分の手を握って花は言った。
「一緒に帰らない?」
花はその瞳で、ボクを見つめる。
「え、一緒に帰るの?」
ボクはびっくりした。
前は一緒に帰ってた。前といっても小学校の頃だけど……。帰らなくなった日のことをよく覚えてる。お互いが10歳になった頃だ。花から「もう一緒には帰らない」と言われたから。
「うん、同じマンションなんだから、ね」
「……いいよ」
良くは無い。こんなの誰かに見られたら、って思うと、すぐにでも断って逃げたい。でも、どうしても花の様子が気になった。
「本当!? ありがとう、大和」
花は嬉しそうに手を叩き、喜んでる。
「う、うん」
ボクは花の笑顔にドキドキしながら、少しだけ嬉しくなった。
二人はバスに乗り込んだ。空席は無かったので二人して立って、吊り革につかまった。バスがゆっくりと走り出す中、隣り合って立つ花の香りがボクの鼻をくすぐり、心臓がドキドキと高鳴る。
二人は並んで立っていたが、わずかな隙間を置いて距離を保っていた。しかし、バスのゆれに合わせて、時折花の肩がボクの腕に触れる。その度に、ボクの体に電流が走るような感覚がした。
花は目をそらしつつ、時折ボクを横目で盗み見ている様子が見て取れた。二人とも言葉を交わすことはなく、沈黙が流れる中、お互いの存在感を強く感じ取っているようだった。こんなに近くで花の存在を感じるのは久しぶりだった。
そして、バスを降りて、マンションに向かう道でも、何も話さなかった。でもボクは無理に話そうって気にはならず、自然と一緒に歩いてる関係が、昔に戻ったようで嬉しかった。
「じゃあ、またあした」
花は手を振って、別れを告げるけど、ボクはずっと気になってたことを、花に聞く。
「待って。何か、あったんじゃ無いの?」
「……うん、でも、また明日言うよ」
「そっか。わかった、待ってるから」
「ありがとう」
そう言って、少し寂しそうな顔で花は帰っていった。その背中を見つめながら、ボクも寂しくなった。
◇ ◇ ◇
白銀美月先輩は、生徒会役員であり、財閥の令嬢で、学校でも有名な人……は他にもいるんだけど、知らない人はいないのは確かだ。ボクの正反対な存在。
そもそも、ボクと白銀先輩は、面識はあったけど、そんなに親しい仲でもなかったはずだ。朝、校門前で誰かを待っていた様子の白銀先輩が見えたから、挨拶した、それだけのことだった。
「おはようございます、白銀先輩」
「おはようございます、夏目くん。あなたを待ってましたの」
だから、呼び止められるとは思っておらず、ボクは通り過ぎようとしたら、白銀先輩に手を掴まれた。
「え!白銀先輩!?」
「通り過ぎようとするのですもの。あなたを待っていた、そう申し上げましたわ」
「す、すみません、ちょっとぼーっとしてて」
「いいんですの」
ようやく手を放してくれたので、呼吸を落ち着けながら、白銀先輩に向き合う。
「それで何かご用でしょうか?」
「ええ。夏目くんにお願いしたいことがあって」
「お願いしたいこと?あ、また資料探しですか?」
以前、図書館で困った様子の白銀先輩に出会った。聞いてみると生徒会の書類作成のため、過去実績の資料が必要だけど、見つからないと言うので、探すのを手伝った。
「いえ、今日はプライベートな相談がありまして」
「なんでしょう?」
「実は、我が家の主催する茶会に私も参加するのですが、ぜひ夏目くんにも一緒に参加していただきたいと思いまして」
白銀先輩は丁寧に招待状を差し出す。
「え!? 茶会?それってなんですか?」
「伝統的な日本の茶道の文化を楽しむ集まりのことですわ。我が家では定期的に茶会を主催しているのですが、お母様からお友達を招待しては?と提案していただきました」
「ど、どうしてボクなんですか?」
「以前に助けていただいたお礼を兼ねて、夏目くんとお近づきなりたいからですわ」
まただ。昨日からどうにも様子がおかしい。今まで話したこともないクラスの女子から話しかけられ続け、久しぶりに幼馴染の花が一緒に帰ろうと言ってきたり。
「ボクは茶道なんて全くわからないから、他のご友人を……」
「ご迷惑でしょうか?」
急に落ち込んだ表情で涙すら浮かべて白銀先輩が言うので、ボクは慌てて否定する。
「そ、そうじゃないんです!迷惑だなんて思ってないです!ただ、びっくりしてて」
「ご迷惑とおっしゃるのなら諦めます。とても悲しくて泣きそうですけど」
いや、すでに泣いてますよ?!
徐々に周囲の目が怖くなってきた。ただでさえ白銀先輩は人気者で目立ってる人だ。そんな人が朝の校門前で泣いていたら、泣かしてるのがボクだってことなら、どんな目に遭うのか。
「いえ!迷惑じゃないです!ぜひ参加させてください!」
白銀先輩の手からひったくる様に、ボクは招待状を受け取った。
「良かったですわ。茶会まではまだ日があるので、私が茶道のこと、きちんとお教えしますから、ご安心ください」
さっきまでの悲壮感はどこにいったのか、白銀先輩がニコニコと微笑んでいた。
「はい、お願いします」
「では、打ち合わせもしたいですから、今日のお昼はご一緒しませんか?」
どうして女子はお昼ご飯を誰かと一緒に食べたがるんだ!そう思いながらも、ボクは必死に断る理由を探していた。
「ご、ごめんなさい、お昼は友達と食べる約束をしてるので!」
これは嘘ではない。昨日、一緒に食べた女子たちと、今日も一緒に食べる約束をしてた。
「そうですか、残念ですわ。では放課後は……」
「放課後は友達の相談に乗ってくれって頼まれてるんです!」
昨日、花は「明日」と言ってた。その様子からして、今日も帰りに待ってる気がする。
「残念ですが、そう言うことなら。ご都合の良い時に、ぜひお時間を作ってくださいね」
「わかりました!では!」
そう言って、ボクは走って逃げ出した。
◇ ◇ ◇
体育の後、教室に戻る途中で、ボクは後輩の早乙女凛に呼び止められた。凛は学内でアイドル的な人気を誇る可愛らしい後輩だ。読者モデルをしてるって聞いたことがある。
「夏目先輩!」
凛はハイテンションで呼びかける。
「え、り……早乙女? どうしたんだ?」
ボクは少し驚いた表情で応える。凛は以前からなぜかボクを見つけると話しかけてくる子だったけど、空気を読んで、大勢の前では話しかけたりはしてこなかった。いつもは「凛」と呼べと言われているので、そう呼ぶが、さすがに人目が気になって、苗字に言い直した。
こんな注目を浴びそうなタイミングで話しかけてきたのは初めてだった。
「私、先輩のファンなんです!」
凛は突然にそんなことを言い出した。ボクのファンと言われても、ボクはアイドル活動してないぞ!?
「え!? ファン!? 急に何を…」
「はい! 先輩はめっちゃ優しくて、かっこいいんです!」
凛はキラキラした目でボクを見つめている。そしてボクたちを見る周りの目が刃の様にギラギラしてきた気がする。怖い。
「そ、そうなの? ボクなんて、あまり目立たない人間だと思うんだけど...」
ボクは今も目立ちたくない。ボクは見せ物じゃないぞ!と周りに言いたい。でも、ボクが当事者じゃなかったら、たぶん面白がってじっと見てると思う。
「でも先輩、私はそんな先輩が好きなんです!」
凛はボクの腕に自然と寄り添ってくる。
どうしてこんなみんなが見てる前で好きって言うんだ!断りにくいじゃないか!これで下手なことを言ったら、ボクはぜったい悪者になる。
ボクは凛に抱きつかれて、ますます困った表情になった。みんなの視線が背中を刺す中、ボクはどう対応すべきか戸惑っていた。ボクは慌てて言った。
「あの、早乙女!みんなに見られているから、ここではそういうのは控えてほしいな!」
「あ、ごめんなさい。つい先輩を見つけたら気持ちが抑えられなくなって」
凛は手を放してすこし後ずさる。とても落ち込んで、ひどく怒られた子犬みたいにしゅんとなってる。
「ボクなんて、早乙女とは釣り合わないよ。ボクは地味でダサくてーー」
ボクは自分を卑下しつつ、この場から逃げ出したい一心だった。でも、凛には我慢できない発言だったらしい。
「そんなこと言わないでください!私は先輩がかっこいいって思うし、先輩の優しいところ、たくさん知ってます!」
凛は必死に訴える。そう言ってもらえるのは嬉しい、嬉しいけど、どうしてこんな注目を浴びながらなの?!そうじゃなかったら、すごく嬉しいのに、周りの目が気になってそれどころじゃないよ!
「凛、ありがとう!嬉しいよ!でも、次の授業があるし、また今度、二人で話をしよう!」
「はい!二人っきりですね!」
「うん、それでいいから!じゃあね」
「はい、先輩!」
ボクは凛を置いて人の輪をすり抜け、一目散に逃げ出した。
◇ ◇ ◇
お昼はクラスメイトの女子たちと一緒に食堂に向かった。今日は最初から皆で食べる約束だったので、少し気が楽だったが、女子ばかりの中に男子が一人のテーブルというのは目立ち、視線が痛かった。
その様子に気づいたのか、女子の一人が「気にしないで、むしろ見せつけようよ!」というので、あわてた。その様子も可愛い!と絶賛されたが、だからって自惚れるほど自己評価は壊れてない。何かおかしいと思ってる。
明日も一緒に食べよう!と言われたが、明日は予定が入りそうと断っておいた。白銀先輩から時間を作って欲しいと言われてたからだ。
そして放課後、ボクは教室を出ようとしていると、いつもより暗い表情の鳴沢響先生に呼び止められた。
「夏目、少し残っていってくれないか?」
鳴沢先生は、学校で一番厳しい女性教師で、生徒たちからも恐れられていた。しかし今日の先生の表情は、少し切ないようにも見えた。
鳴沢先生は冷たい口調で言葉を発したが、そこには何か切実な思いが感じられた。
「え? どうしたんですか、先生?」
ボクは先生の様子に少し戸惑いを覚えた。いつもの鋭い印象とは違い、弱弱しい言葉が気になった。
「実は……この教室の片付けを手伝ってほしい」
鳴沢先生は視線を逸らしながら言った。これまでの鳴沢先生らしくない対応に、ボクは先生の意図が掴めずにいた。
「片付け? 今日は少し用事があって無理です」
幼馴染の花を待たせるわけにはいかなかった。
「ああ、そうか、分かった。それじゃ明日でも構わないから、手伝ってくれるか?」
鳴沢先生は少し残念そうに言った。ボクはそんな先生の様子に、なぜか気になってしまう。
「明日なら良いです。では、さようなら、先生」
ボクは先生に礼をし、教室を出ようとした。
「夏目!」
そこで鳴沢先生が切羽詰まったように呼び止める。
「はい、どうかしましたか?」
「実は……私、あなたが好き、なの!」
その一言で、一瞬にして教室にいたクラスメイトたちが鎮まった。ボクは混乱の境地にあった。意味が分からない、なんで先生がボクに告白してるの?!しかも、二人っきりならまだ、ボクの胸の内に仕舞っておけたのに、こんなみんなの前で言っちゃったら、問題じゃないですか!
「せ、先生、落ち着いてください!」
「落ち着けないわ!勇気を出して告白した恋する乙女に落ち着けなんて、良く言えたわね!」
「乙女?」
「そこに反応しないで!言った私がびっくりしてるの!」
先生も、とても混乱してるみたいだ。それはまるで、自分の意思で言っているのではなく、なにか大きな力が働いていて、言わされてしまった、そんな風に僕には感じた。
「先生、何かクスリでも……」
「下手なことを言わないで!教師をクビになっちゃうわ!」
いや、今の状況にしてもう首が半分くらいちぎれていそうですよ?!
今はまだみんなは固唾を飲んで見守ってくれているけど、じきに騒ぎになってしまいそう。そうしたら騒ぎを聞きつけた教頭先生が飛び込んできそう。
「先生、教室の片付けは明日しますから!」
「え、返事は?」
「それではさようなら!」
逃げるに限る!
ボクは先生がすごく落ち込んだ様子で呼び止めたのを聞かなかったことにして、教室を出た。酷いことしてるってわかっているけど、このままだと先生が先生じゃなくなちゃうから。
◇ ◇ ◇
急いで走ってた放課後の廊下で、ボクは転校してきたばかりの紫苑星に出会った。星は謎めいた雰囲気を漂わせる美しい転校生で、ボクも気になっていた存在だった。
「あなたが夏目大和さんですね」
星は不思議な表情で夏目に話しかける。
「あ、はい。紫苑さん、どうしましたか?」
急いでいるのに、星の雰囲気に飲まれて、ボクは思わず立ち止まってしまった。
「あなたを探していました」
星はボクを真剣な目で見つめる。
「何か用があるんですか?」
「はい。あなたにとても重要なお願いがあるのです」
「重要な?」
ボクは警戒した、この子までボクのことが好きだ、なんて言い出さないか。昨日からおかしな事ばかり続いていて、正直お腹いっぱいなのに!
「この地球を、あなたに救っていただきたいのです」
星はボクの目を見つめたまま告げる。その、ボクの目はきっと点になってる。予想外!スケールが大きすぎて反応に困る!
「地球を救う!?」
「この地球は、まさに滅亡の危機に瀕しているのです。そしてあなただけが、それを防ぐことができる」
星は熱っぽい口調で訴えかけるけど、うん、無理。花がきっと待ってるだろうし。
「ごめん、紫苑さん。ボクに地球を救うのは無理だと思う」
「お願いです。あなたにしか頼めません。地球を救ってください」
困った。星の表情は真剣そのもので、決して誤魔化して良い相談ではなさそうだ。真剣に向き合ってあげたいけど、今日はもう時間がない。
「……それは今すぐじゃないとダメかな?」
「いえ、猶予はあと3日です」
「そっか、まずは悩める幼馴染から救ってくるから、詳しい話は明日でも良いかな」
「はい、大丈夫です」
「本当にごめんね、それじゃあ、ボクはもう行くから」
そう言い残し、ボクは花が待ってるであろう靴箱のある出入口に向かった。
◇ ◇ ◇
花は俯いてじっとボクを待っていた。その姿を見て胸が締め付けられる様な思いがして、慌てて花に声をかけた。
「花!ごめん、遅くなっちゃった!」
「あ、大和!……良かった。もう帰っちゃったのかって思って心配してたんだ」
花は嬉しそうに微笑んだ。
「ごめん、なんだか昨日からすごく人から話しかけられるようになっちゃって」
「あ、聞いたよ!クラスの女子にモテモテだって。お昼もみんなで食べてるんでしょう?」
「うん、そうなんだ。でも、どうして急にこんなことになったのかわからないから怖くて。まだ罰ゲームだって言われた方が安心できるよ」
ボクはまだ罰ゲームだった可能性を諦めてない。明日になった途端に、お昼に誘ってくれなくなって、ボクから誘ったら、勘違いしないで!あれは罰ゲームだったからよ!って言われた方が、たぶん安心する。
「急にじゃないよ。昔から大和はみんなに好かれてたよ?でも、大和が注目されるのを嫌がるから、そっとしてるだけ」
それを聞いても、実はボクはモテモテでした?!なんて勘違いはしない。いや、そんなことより、花の悩みを聞き出さなきゃ!
「花、今日は花の悩み事を聞かせてもらえるんだよね?」
「うん、帰りながらで良いかな?」
「わかった、一緒に帰ろう」
昨日と同じ。二人してバスに乗って、座る場所はなくて吊り革に捕まってバスはゆっくりと動き出し、何も話すことなく、自宅の近くのバス停で降りた。でも、昨日とは違うのは、そのまま家には帰らず、近くの公園に向かい、二人でベンチに座った。
「ごめんね、大和」
「ううん、いいんだ。花、話を聞かせて?」
「実は、お母さんのペンダントを探してるの」
そのペンダントのことはボクもよく知ってた。花がとても大切にしてるもので、花のお母さんの形見。
「金色のハート型のペンダントだね」
「そう。大和には話したことがあると思うけど、お母さんが大切にしてたものなの。私が6歳の誕生日のとき、お母さんが言ってくれた」
『花の誕生日だけは貸してあげるね』
花のお母さんは僕たちが中学生の時に亡くなった。病気だったんだ。
「お母さんが死んじゃってからも、私は誕生日だけはお母さんにペンダントを借りて一日身につける様にしてる」
「花の誕生日は、先週だったよね?」
「うん。だから先週も、身につけて学校に来たんだ。でも、授業が始まる前に、トイレに行ったとき無くなってることに気がついて……」
手で顔を覆い、泣き始める花。ボクは花があのペンダントのことをどれだけ大切にしてるのか、よく知ってる。だから、ハンカチを取り出して花に渡しながら、花の頭を撫でた。
「花がとても大切にしてたことをボクもよく知ってるよ」
「……うん。あのね、たぶんバスの中で落としたんじゃないかなって思うの」
「バス会社には聞いてみたの?」
「うん、もちろん電話してみた。でも、くまなく清掃した時には見つかってないって言われて」
ボクはペンダントのことをよく知ってる。花が見せてくれたことがあるからだ。ペンダントをイメージすると、何かがボクと繋がった感触があった。
「よし、探しに行こう」
「え?どこに?」
「もちろん、その朝に花が乗ってたバスだよ」
ボクはスマートフォンを取り出して、バス会社の名前を検索して、電話番号を探す。
「でも、もう探してくれたって……」
「大丈夫。ボクが必ず見つけるから。花は知ってるでしょ?ボクが探し物は得意だって」
そう言いながら、ボクはスマートフォンで電話をかける。
「うん。……大和、お願い。どうしても見つけたいの」
「任せて。ーーあ、もしもし、ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが……」
ボクはバス会社にお願いして、その日の運行が終わってバスを停めておく場所を聞き出した。その上で、無くしものがあって、どうしても自分たちでも探さないと気が済まないと、粘り強く交渉した。
「ーーありがとうございます。はい、今からすぐに行きますから。はい、失礼します」
そう言ってボクは電話を切った。その様子を期待に眼差しで見つめる花。
「行こう、探す許可は貰えたから」
◇ ◇ ◇
たくさんのバスが停めてある駐車場にやってきた。ここではその日の運行を終えたバスが集まってきて、整備点検や清掃などが行われる場所だ。
「……あっちだね」
ボクは花の手を引きながら、たくさんあるバスの中から迷わずに、ペンダントを無くしたのは朝に花が乗っていたであろうバスを、つきとめる。
バスのドアは開け放たれている。バス会社の人からは、好きなだけ探して帰る時に声をかけて欲しいと言われてる。
「花、ペンダントのことを強くイメージ出来る?」
「…うん、やってみる」
花が目を閉じて、大切なペンダントのことを思い描く。毎日見つめてた。朝出かける時も、夕方家に帰ってきた時も。おはようもおやすみも。自分の誕生日が来るのが待ち遠しかった。この日だけ、お母さんを独り占めできる、そんなふうに思えるから。
「みつけた」
ボクはバスに中に入って行き、迷うことなく目当ての座席に近づき、座席のクッションの隙間に指を差し入れ、指先に当たった固い感触を逃さず、しっかりと掴み上げた。
花の大切にしてるペンダント。でも、紐が切れてハートだけになってた。汚れてる気がして、ハンカチを取り出して拭こうとしたのだけど、さっき花に貸したんだったと思い直し、拭くのは諦め、バスの外で待つ花のところに戻る。
「見つけたよ」
「わあ!」
花は飛びつく様に、ペンダントを両手で包み、優しく大切に受け取った。ボクは花が涙ぐむ様子を見つめ、見つかって良かったと喜ぶ。
「ありがとう、大和!」
「良かったね、花」
◇ ◇ ◇
家に帰りながら、花はぽつりぽつりと、話し始めた。夕日に染め上げられた町を二人は歩いていく。
「……ペンダントが無くなったってわかった時、真っ先に、大和のことを思ったの。きっと大和なら見つけてくれるって」
「うん」
「でも、すぐには話せなかった。大和とはしばらく疎遠だったから」
「……うん」
「大和が「何かあった?」って聞いてくれた時、とても嬉しかったけど、胸がチクリと痛んだ。私は大和を自分勝手なことで利用しようとしてるって」
「……」
「だから言えなかった。なのに別れ際に大和はもう一度聞いてくれた。とても心配してくれてるのがわかった。だから、私も勇気を出して相談できたんだ」
「ボクたち、幼馴染でしょ?花に利用されるなら、むしろ嬉しいよ。男って、女の子に頼られると喜ぶ生き物なんだ」
「そっか……」
二人が別れるところまで来たけど、二人は立ち止まって、花は名残惜しそうに、話を続ける。
「大和はモテモテだもんね」
花はニヤリとした表情で、ボクの肩を指でつつく。
「……モテモテと言うのとは違うけど、昨日と今日はなんだか変なんだよ」
「変じゃないよ。男子は頼られると嬉しいって言ったけど、女子は頼れる男子が好きなんだよ」
「ボクなんか頼り甲斐はないよ」
「そんなことない!私はとっても大和が頼り甲斐があって好きーー!」
花は思わず言ってしまったらしく、口を押さえて顔を真っ赤にした。ボクはその様子の花を見て、今自分が何を言われたのかを理解した。
花がボクを好き?
「や、大和!今日はありがとう!このお礼は必ずするから!じゃあ、また明日ね!」
そう言い残して、花は走って去っていく。その背中を見つめながら、ボクもまた、顔を真っ赤にして、つぶやいた。
「また明日」
◇ ◇ ◇
お昼を誘ってくれるクラスメイトたちには、約束があるからと断って、生徒会室を目指した。手にはいつものスーパーで買ってきた特売パンを持っている。
今朝、校門前に白銀先輩が待っていた。待ってる気がしてたので、クラスメイトとは今日のお昼の約束はしてなかった。お昼なら時間がありますと言うと、白銀先輩は喜んで、では生徒会室で一緒に食べましょう、と提案された。
生徒会室は滅多に来ないエリアにあるので、冒険してる様な高揚感を感じる。生徒会室に着き、ドアをノックする。
「はい、どうぞお入りになって」
「失礼します」
中に入ると、白銀先輩が笑顔で待ってくれていた。ボクは場違いな場所に迷い込んだ道化のような気持ちで、恐る恐ると奥に進む。
「こちらにお座りになってください」
勧められた席に座ると、白銀先輩は三段重ねの重箱を開き始める。すごい、白銀先輩はこんなにたくさん食べるのだろうか(すっとぼけ)。
「さあ、お昼をいただきましょう。好きなものを食べてくださいね」
「ボクもいただいてよろしいのですか?」
「もちろんです。夏目くんに食べてもらおうと作ってきたのですから!」
やっぱり!ボクの分も含まれてた!持ってきたこの特売パンを所在無さを見てください!かわいそうじゃないですか!
重箱の1段目には、花びらを散らした彩りの良い押し寿司が並んでいる。2段目には唐揚げや玉子焼き、ポテトサラダなどの定番の惣菜が詰められ、3段目には桜もちや桜餅など、春を感じさせる和菓子が並んでいる。
見ているだけで春の訪れを感じさせる、まさに花見にぴったりのお弁当の内容だ。
「白銀先輩はお花見に行く予定だったんですか?」
「いえ、その様な予定はありませんが……」
頬に手を当てて困惑顔の白銀先輩。いけない、ついうっかり独白すべきセリフが口をついて出てしまった。
「すみません、気にしないでください。あまりにお弁当が豪華だったので、気が動転しました」
「そうですか。よくわかりませんが、いっぱい食べてくださいね」
食事しながら、白銀先輩からお茶会の事を聞く。まずはお茶の飲み方だ。生徒会室にあった接客用茶碗を使って、白銀先輩が実践を交えて教えてくれる。
「まずは、お茶碗を両手で慎重に受け取ります」
白銀先輩は丁寧な手つきでお茶碗を受け取り、ボクに見本を見せる。
「次に、茶碗を回して自分の好きな面を向けて、そっと膝の上に置きます」
白銀先輩が実際にお茶碗を回しながら、その動作を示す。
「そして、お茶を一口ずつ味わうように、ゆっくりとお飲みいただきます」
優雅に茶碗を手に取り、小さく口元に運ぶ白銀先輩の所作に、ボクは見入ってしまう。
「茶会の作法は、所作の一つ一つに心を込めることが大切なのです。夏目くん、この動作を何度か練習してみてくださいね」
「はい。白銀先輩の様に美しい所作をできるように頑張ります」
「美しいだなんて。私などまだまだですわ。…そうですわ、前回の茶会の様子を写真で見てもらうのが、良いですね」
そう言って、白銀先輩はフォトアルバムを取り出して、ボクに手渡す。ボクは机の上に置いて、白銀先輩も見えるようにして、写真を見せてもらう。
茶会の様子がおさめられた写真がずらり。たぶん、プロのカメラマンが撮影したのだろう。どの写真も、茶会の雅な雰囲気が伝わってくる。ときどき、白銀先輩が写真の説明をしてくれた。
でも、ボクは一枚の写真に目が止まった。それは白銀先輩がお茶碗を手に持ち、姿勢良く座っている様子を捉えた写真だ。
「……」
「何か気になることでもありましたか?」
「このかんざし……」
「ああ、そのかんざしはお母様からいただいたもので、お母様もお祖母様から……」
「無くしてませんか」
「え゙!?」
いつも優美な白銀先輩らしからぬ、汚い声が聞こえてきた。あまりの驚愕に自分からそんな声が出たことさえ、白銀先輩はわかってないらしく、大きく見開いた目でボクを見ている。
「ど、どう言うことですの?」
「いえ、なんとなくこの写真を見た時に、白銀先輩が寂しそうな、悲しそうな、そんな表情をした気がしました」
「そうでしょうか……?」
「ええ。それにこのかんざしを見ていた気がして、もしかしたらと思ったんです」
白銀先輩はしばしボクを見つめて、情報を咀嚼するように瞬きしていたが、訥々と話し始めた。
「……なくなったのは先月です。他校の生徒会との交流会がありまして、その際に和装で参加しました。気がついた時にはもうなくなっていました」
「なるほど、すぐに探されたのですね?」
「ええ、その場にいた人たちにも声をかけて、一緒に探してもらったのですが、見つからなかったのです」
とても寂しそうな表情を見せる白銀先輩に、ボクはこともなげに伝えた。
「たぶんすぐ見つかりますよ。さっそく行ってみます?」
◇ ◇ ◇
「失礼します」
そう言いながら、ボクは職員室に入って、目当ての先生のところに向かう。白銀先輩は半信半疑でついてくる。
「鳴沢先生」
「あ、ああ、夏目。どうした?」
「ちょっと机の上を見せてください」
「え?ああ、良いけど……」
日頃のキリッとした印象とは違い、鳴沢先生の机の上は乱雑にものが置かれて、何がどこにあるか、他人が見たのではわからない様子だった。
ボクは束ねられた書類などを退けながら、目当てのものを探す。こんなに物に溢れて埋まっていたのなら、その存在を忘れてしまってもやむを得ないだろう。
「あ、ありました!」
ボクは"ペン立て"ごと引っ張り出して、白銀先輩に見せる。
「ペン立て……あ!」
そう。そのペン立てにボールペンやサインペンと一緒に、白銀先輩のかんざしが立てられていた。白銀先輩はそっとかんざしを指に挟み、ペン立てから抜き出す。
「鳴沢先生、このかんざしはどうしてここに?」
「いつだったか、もう忘れてしまったが、校内の掃除をしてた生徒が落とし物として届けてくれたんだ。そのうち写真を撮って掲示板で案内をしようと思っていて、すっかり忘れてしまっていたようだな」
「先生、教室より先に机の上を片付けなきゃいけないんじゃ無いですか?」
「返す言葉もない。今日の放課後は手伝ってもらえるのか?」
ボクは苦笑しながら、頷く。
「はい、お約束しましたから。では失礼します」
「ああ。白銀も悪かったな、ずっと探していたんだろ?」
「いえ、こうして見つかったので、大丈夫です。失礼します」
二人して職員室を出て、生徒会室に戻ることにした。
◇ ◇ ◇
「あれだけみんなで探し回ったのに」
生徒会室に戻っても、釈然としない様子の白銀先輩は、かんざしを手に持ったまま。
「無くなった物が見つからない時ってそんな感じですよ。ここにあるはず、そう思って探しても見つからない時は、たいてい全く違うところから出てくるんです」
「でもあなたは、どうしてあそこにあるって思ったの?」
ボクは少し迷った。白銀先輩になんと言えば良いのか。
「なんとなくです。校内で無くなったのなら、先生のところに届けられてるんじゃないかって」
「私は校内で無くしたなんて言ってませんよ。生徒会の交流会とは言いましたが、他校で開催されていたかもしれない。でも、あなたはそう言う事を聞かず、初めからどこにあるのか、わかってたみたいでした」
「えっと…」
「いえ、それ以前の問題があります。私は無くしたなんて言ってない。なのにあなたは写真を一目見ただけでそれを言い当てた」
ボクはある種の覚悟を決めて話し始める。それは嫌われてしまうかもしれないという覚悟だ。
「無くなったものを探すのが得意なんです」
「得意って……そんなレベルではありません!」
「でも、そうとしか言えません。そう言うことにしてもらえませんか?」
「で、でも……」
「白銀先輩、見つかったのだから、それでいいじゃありませんか?」
反論を許さない、そんな強い気持ちで、ボクは白銀先輩を見つめる。白銀先輩は納得いかない様子だったが、手に握ったかんざしとボクを見比べて、ため息を一つ。
「わかりました。でも、一つだけ教えていただけますか?」
「ええ、良いですよ」
「どんな物でも探せる、のですか?」
ボクは白銀先輩のその一言が何を意味するのか、その意図が読めずに、どう答えるべきか、迷う。しばし白銀先輩を見つめて、観察したけど、わからない。
「……いいえ、とだけ答えます」
「そうですか」
お昼休みが終わる事を告げる予鈴が鳴り、ボクは生徒会室を後にして。一人残った白銀先輩が呟いた一言は聞いていない。
「百年の恋も冷める思いって、こういうのかしら……」
◇ ◇ ◇
放課後。鳴沢先生との約束があったので、ボクは教室に残って待っていた。花に今日は先生のお手伝いで遅くなるから先に帰ってて、と連絡したら、手伝うよ!と言って、来てくれた。
なかなか先生が来ないので、忘れてるんじゃないかと思って、花と職員室に向かおうとしたとき、なんだか騒がしい様子が聞こえてきた。
「何かあったみたいね」
「鳴沢先生の声も聞こえるみたいだね、行ってみようか」
何やら騒ぎが起きている様子。人垣の中心にいるのは、いつもお姫様のように扱われている読者モデルの後輩・早乙女凛だった。
凛は真っ赤な顔で泣き叫んでいる。鳴沢先生が凛をなだめていて、他の生徒たちも心配そうに見守っていた。
ボクたちは人垣に割って入り、凛のもとへ近づいた。
「凛ちゃん、どうしたの?」
花が凛に優しく話しかける、凛は花のことを慕っているので、その声を聞いて泣き腫らした顔をあげて、花に抱きついた。
「花先輩! 私の大切なスケッチブックが盗まれちゃったの!」
「スケッチブック?」
ボクが横から凛に問いかけると、花に抱きついたまま、凛は言った。
「夏目先輩!わたしの秘密のスケッチブックなんです。誰にも見られたくなくて、いつもは持ち歩かないんです」
「詳しく話をーー」
ボクが凛から詳しく話を聞こうとしたとき、鳴沢先生が待ったをかけた。
「待ってくれ、ここでは人が集まってきてしまうから、場所を移そう。指導室に来てくれ」
◇ ◇ ◇
集まってた他の生徒に帰るように促して、当事者の凛、付き添いとして花、ボク、そして鳴沢先生が指導室に入る。指導室とは生徒と先生が個人面談などを行う部屋で、教室や会議室のように広くはないが、4人なら十分な広さがある。
「じゃあ、凛。詳しく話してくれないか?」
「はい。私は趣味でイラストを描いてるんです。でも下手なので恥ずかしくて誰にも見せてなくて。日頃は持ち歩かないんですが……」
「でも、今日は学校に持ってきていたのね?」
花が凛の隣に座って、手を握ってあげてながら、話を促す。花に頷き返しながら話を続ける。
「このあと雑誌のインタビューがあるんです。趣味の話をする時に中身は見せなくて良いから持ってきて、と頼まれてたので、持ってきてたんです」
「それが盗まれた、と言ってたけど、どうしてそう思ったの?」
ボクは気になっていた、凛ははっきりと盗まれたと言ってたが、そう言い切れる何かが残されていたのだろうか。
「スケッチブックのカバーだけが机の上に捨て置かれてたんです。私はスケッチブックにカバーしてたんです、一見してスケッチブックだとわかると中を見せてって言われるのが嫌で」
「なるほど、ね……。事情はわかった、まずは警察に届けよう」
ボクは言った。盗まれたと判断できる状況だったのなら、まずは通報すべきだろう。
「少し待ってほしい」
黙っていた鳴沢先生がボクの提案に待ったをかける。
「先輩、私も警察沙汰にするのはちょっと……」
凛までもが通報には消極的であるようだ。ボクはまずは鳴沢先生に尋ねた。
「先生、通報すると何かまずいことがあるんですか?」
「校内での盗難については、理事会で取り決められた対応マニュアルがあってね。通報は校内での調査や聞き取りが終わったあとなんだ」
「そんな……。そうんなことしてる間に盗まれた物が取り戻せなくなってしまうんじゃないですか?」
ボクは学校側の悠長な対応に呆れながら先生に言う。先生に言ってもしようがない事かもしれないが、言わずにはいられなかった。
「夏目、言いたいことはわかる。しかし、闇雲に通報しては学校側の対応に問題が生じるかもしれない。ここで待っていてくれ、報告してくるから。くれぐれも他言してはならない。今後、不利な立場になりかねないから」
そう言い残して、鳴沢先生は指導室を出て行った。
「夏目先輩……」
「凛、君も通報には賛成してなかったね。どうしてだ?」
「……先輩、ちょっと怖いです」
花に隠れるように凛は花に身を寄せた。花は優しく凛の肩を抱きながら、ボクに抗議する。
「大和、凛ちゃんは被害者なんだからね。そんな怖い顔しないで」
花に注意されて、すこし冷静になった。
ボクは、学校側の遅い対応に焦りを感じると同時に、親しい後輩が被害に遭っている事に深い懸念を抱いていた。
でも、それ以上に、ボクは「何か大切なものを奪われる」という状況に強迫観念を抱く。どうにも自分が抑えられなくなる。
でも後輩を怖がらせてはダメだ。自分で自分の両頬をパンパンと叩き、気持ちを切り替えようとする。
「凛、ごめん。勝手に焦ってた」
「い、いえ!先輩は悪くないんです!私も本当は警察に通報するのが良いと思ってるんです。でも、親に何言われるのかと思うと躊躇っちゃって……」
「親に?」
「はい、私は好きで読モしてるんですけど、親には反対されてて。特にお父さんは今回のことを警察沙汰にしたら、間違いなく、それを理由にして、辞めろって言います」
「え、凛は全く悪くないのに?」
「関係ないんです。何でもいいから私に読モを辞めさせれたら、理由なんて」
凛は俯いて黙ってしまった。ボクは困ってしまった。通報は学校も、そして被害者本人も、消極的だ。無関係のボクが焦って通報しても事態を混ぜ返すだけになってしまう。
「大和、スケッチブックが今どこにあるのか、探せない?」
「探せない、どんな物かボクにはわからないから。スケッチブックの写真でもあれば……」
「凛ちゃん、スケッチブックの写真って、ある?」
凛は首を振る。花はそれを見て、んー、と唸ったあと、何かを思いついたようだ。
「凛ちゃん、ちょっといいかな」
花が凛に断りを入れて体を離して、スマートフォンを取り出した。そして何かを入力している。
「あ!凛ちゃん、これってどうかな?」
そう言って、花が凛にスマートフォンを見せると、凛は大きく目を見開き、花の手ごとスマートフォンに飛びつき、叫んだ。
「私の!」
「どういうこと?」
ボクが花に聞くと、スマートフォンを凛に渡しながら、説明してくれた。
「もしかしたらって思ってネットオークションで検索してみたの。そしたら出品されてたんだ」
「え、ネットオークションで?」
ネットオークションは、個人間で気軽に物品の売買ができるインターネット上のオークションシステムだ。手数料も安く、簡単に出品・購入できるため、幅広い層に利用されている便利なサービスだ。
「ホントありえない!嘘ばっか並べやがって!」
凛が聞いたこともないドスの効いた声で叫ぶ。ボクは面食らってしまったが、花が「凛ちゃん」とたしなめてる。
「ど、どうしたんだ、凛?」
「先輩!見てください!こいつ、私が特別に譲ったって偽って、売ってるんです!」
「え、凛のものって書いて売ってるの?」
「はい!読モ「門崎雫」のスケッチブックで出品されてます!」
門崎雫は、凛の読者モデルとしての名だ。
凛からスマートフォンを受け取り、その内容を見てみると「私は代理出品者です。持ち主はファンの一人です。熱心にファンレターを送ってたら、雫ちゃんが感動したらしくて、そのお礼にと、趣味で描いてるイラストを描いたスケッチブックを送ってくれたそうです。でも、持ち主はイラストに興味がないので、自分よりも欲しがる人はいると思って、出品したいけど、雫ちゃんに嫌われたくないので、代理出品をお願いされました」とある。
こんなの、凛が否定したら、たちまちに盗品だってバレるじゃないか。
「捕まらないって思ってるんだと思う」
花が諦め顔で言うのでボクはびっくりした。
「え、警察に通報すれば捕まえてくれるんじゃないの?」
「こういうケースの場合、警察は盗品であると特定できないと積極的には動いてくれないの。聞いた話だけど、ネットオークションで出品されてた盗品を自分で買い落として確保しないと、もう2度と戻ってこないって言われた人もいるって」
花の説明を聞いて釈然としないものを感じた。しかし凛も花に同意して話を引き継ぐ。
「この代理人を装ってるのもたぶん追求された時に言い逃れするためですよ!卑怯者!」
ボクは自分の中から溢れてくる憤りを抑えるのに必死になった。どうして被害者が犯罪者から金を出して自分のものを買い戻さなきゃいけないんだろう。
そんなボクの落ち込んだ様子を見て、花は明るく言った。
「でも大和は違う。写真があれば見つけられる、でしょ?」
言われてボクはハッとなった。ネットオークションにはスケッチブックの写真が掲載されている。言い逃れのためなのかわからないが、スケッチブックを開いて中に描かれているイラストの写真はなかったが、スケッチブックの表紙に小さく描かれたイラストは、確かに凛が描いた物だと言う。
ボクは昂った気持ちを抑えるために、深呼吸して、凛とスケッチブックの繋がりを感じようと、集中する。
「夏目、先輩……?」
「凛ちゃん、静かに。大和に任せて」
花の真剣な表情に感じるものがあったのか、凛は静かに頷き、ボクを見つめている。その期待に応えたい。
「……行こうか」
「わかったの?」
「ああ。まだ校内にいるようだ。部室棟の方だと思う」
「先輩たち、あの、何の話をしてますか?」
戸惑った様子でボクと花を交互に見ている凛に、花は優しく、しかし力強く、拳を握って言った。
「凛ちゃん、スケッチブックを取り戻しに行きましょう!」
◇ ◇ ◇
部室には三人の女子生徒が集まっているようだ。部室は防犯の事もあって、窓が多く、廊下からは中がよく見える。彼女たちは狭い部屋の中ではしゃぎながら、スマートフォンの画面を見ては嬉しそうに笑っている。
「もうすぐ二万円に到達だよ! やった!」
「ほんとだ! でも一人六千円だと思ったら安いね!」
「いや、あいつ程度で二万円は高いくらい、こんな下手なイラスト買うやつの気がしれないね!」
三人の女子生徒は、ネットオークションの出品ページを確認しながら、値段が上がるたびに歓声を上げている。どうやら、スケッチブックが予想以上の人気を集めているようだ。
「でも、本当にバレないの?」
「ネットオークション、盗品で検索してみなよ。ネットオークションで横流しさえできたら、もう泣き寝入りするしかないんだよ」
「さすが詳しい!」
三人は得意げに話し合っている。彼女たちが盗んだスケッチブックを、ネットオークションで高値で売り抜こうとしていることがよくわかる。
「花と凛はここで待ってて。ボクが取り戻してくるから」
「だ、大丈夫ですか、夏目先輩。三人いますよ?」
ボクが頼りなくて凛が心配してる気持ちもわかる。でも、喧嘩しにいくんじゃない、スケッチブックさえ奪取できたら勝ちだ。
「大丈夫よ、凛ちゃん。大和に任せておきましょ」
「……花先輩がそう言うなら」
「じゃ、行ってくる!」
ボクは意を決して、部室のドアをノックもせずに開けた。そして。
「きぇぇええええええぎゃはははっは!」
部室のドアを開けるなり、ボクは奇声を上げながら、ゆっくり中に入っていく。廊下から様子を伺っている花と凛もギョッとなってるのがわかる。
でも普通に入ったんじゃ、たぶんスケッチブックを隠されちゃう。そう考えたボクはこの作戦に決めたんだけど、なんか思ってるのと違う反応があった。
「うそ、夏目先輩……」
「可愛い、なんか叫んでる」
「なんかの罰ゲームなのかな?」
びっくりさせたかったのに、全然びっくりしてなかった。すごくスベってるのが猛烈に恥ずかしいが、目的は忘れてない。三人がボクを見て、なぜか呆然としてるので、何の邪魔もなく、テーブルの上にあったスケッチブックを手に取ることができた。
「……お騒がせしました。失礼します」
そう言い残して、部室を出た。追いかけてくる様子はないが、早くここから立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。恥ずかしくて。
「行こう、話は後で」
「……くすくす、そうね」
花は笑いを堪えられない様子だが、一応は従ってくれて、動けないでいる凛の手を引いてくれて、僕たちは指導室まで戻った。
「……はい、凛」
ボクはスケッチブックを凛に手渡し、そのまま指導室の机に突っ伏した。花はまだ笑ってる。
「あ、ありがとうございます。夏目先輩の意外な一面を見てびっくりしちゃいました……」
「大和は一生懸命考えて、凛ちゃんの大切なものを守ろうとしてくれたんだもの。笑っちゃ悪いよね、クスクス」
笑ってるのは花だけな!
そのとき、鳴沢先生が指導室に戻ってきた。
「すまない、待たせてしまったな。……なんだ、何かあったのか?」
机に突っ伏したボク、オロオロしてる凛、堪えきれずに爆笑してる花。そりゃ先生の困惑するよな。ボクは頭を上げて先生に言った。
「気にしないでください。それより学校側の判断は?」
「それなんだがな、まったく事勿れで済ませようとする教師ばかりでうんざりした。スケッチブックくらい諦めたら済む話じゃないのか?とな」
鳴沢先生が悪いわけじゃないのだろうけど、思わずボクは鳴沢先生を責めるような目を向けて言った。
「つまり、警察には通報しない、と?」
「そうだ。早乙女、すまない。君にとって大切なものだと私は感じた。だが、それが頭の固い大人には現金でもなければ、消耗品でしかないのに、警察を呼ぶまでもないだろう、そういう結論だ」
鳴沢先生が頭を下げる。しかし、凛はスケッチブックを抱きしめて、笑顔で言った。
「先生、ありがとうございます。スケッチブックは先輩が取り戻してくれたので、大丈夫です!」
鳴沢先生が頭を上げて凛のスケッチブックを見つめ、疑うような表情に変わっていく。
「どういうことだ?ここで待っている間に、盗んだ奴が返しにでも来たのか?」
「いえ、先輩がーー」
凛が説明しようとしたのを花が遮って、スマートフォンを見せながら言った。
「先生、これを見てください。盗んだ人がネットオークションで売りに出ているのを見つけたんです」
鳴沢先生は凛が持っているスケッチブックと、花が持っているスマートフォンの画面を見比べながら、言った。
「確かに、同じ物のようだ。まさか盗んですぐに?」
「はい。だからまだ校内にいるだろうと思って、探しに行ったら、大きな声で話してるのが聞こえてきたんです」
「……桜井、そして夏目。まずは先生に相談してからにしてくれないか。もし争いにでもなったら、それこそ大きな問題になる」
その言い方に、ボクは強い引っ掛かりを感じる。凛のスケッチブックが盗まれたのは些末な事で、取り戻そうと喧嘩になったら大問題。その考えに腹が立ってきた。
「先生、それじゃあまるでーー」
ボクが先生にくってかかろうとしたら、花がボクを押し留め、小声で言った。
「大和、ここは任せて」
ボクは花の表情を見て、自分の怒りを抑え、花に任せることにした。花がボクが見たこともないほど怖い顔をしていたからだ。きっと花もボクと同じくらい怒ってる。
花は鳴沢先生に向き直して、言った。
「先生、大和がきちんと話をして取り戻してくれました。盗んだ子たちもきっと反省してると思います。だからもう、帰って良いですか?」
「その盗んだ生徒たちは誰だったんだ?」
「さあ、よく知らないです、ね?」
花がボクと凛に同意を求めるので、二人して大きく頷いた。実際、部室に入って顔をはっきりと見たのはボクだけで、二人は廊下から覗いていただけ。ボクも三人の名前は知らない。
「……そうか、わかった」
納得はいかない様子だが、鳴沢先生自身が学校側の対応に思うところがあるので、強く追求出来ないでいた。
花は凛を促し、指導室を出ていく。ボクもその後追いながら、指導室を出ようとしたけど、大事な事を思い出して、先生に言った。
「先生、教室の片付けは、別の人にお願いしてもらえますか?約束してたのにごめんなさい」
「……ああ、そうするよ」
ボクは指導室を出て、廊下で待っててくれた花と二人で学校を出ようとした。凛は約束の時間が迫ってるらしく、急いで出て行ったそうだ。お礼は必ずします!とのことだった。
ボクたちもさっきの三人が探し回ってるんじゃないかと思うと、早く学校を出たかった。
でも、紫苑星が待っていた。
◇ ◇ ◇
「ご用事は済みましたか?」
紫苑星はボクの顔を見るなり、そう言った。
そうだった、昨日の帰りに地球を救ってくれと頼まれたけど、花と約束してたから、明日にしてってお願いした。
「紫苑さん、昨日はごめん。今日は詳しく話を聞くよ。ここじゃ落ち着かないから、教室でも良いかな?」
「はい」
星は頷き、じっとボクを見ている。ここ三日でボクに話しかけてきた女子たちの目線と違って、とても冷たく、真剣な意志を感じた。
「花。ボクは紫苑さんの話を聞いてから帰るから、先に帰ってくれるかな?」
ボクは花にそうお願いしたが、花は笑顔で首を振った。
「紫苑さん、私も一緒でも良いかな?」
「はい」
「じゃ行こうか?」
そう言って、花の先導で移動した。ボクはその後を追いかけるしかなかった。
教室に入り、各々が椅子に座る。
「さて、紫苑さん。詳しく話を聞かせてほしい。地球を救うってどういうことかな?」
「え?地球を……?」
花はびっくりしてる。
「はい。夏目大和さんには地球を救ってほしいんです」
「ボクには地球を救うということがわからない。具体的にボクは何をすれば良いのかな?」
「あるモノを見つけてほしいのです」
星は言葉がまったく足りていない。でも、見つけてほしいと言われた途端に、ボクは納得した。ボクは探し物が得意だ。だから、星もボクのところに来た。それさえわかれば、急に気持ちが楽になった。
「わかった。何を探せば良い?どんな物なのか、出来れば、写真があれば良いんだけど」
「探してほしいのは、あなたたちの概念で言えば、宝石の様なものに近い形状と大きさをしています。写真はありません」
写真があれば、詳しく話を聞かなくても、ボクは辿り着けるのだけど、そうはいかないらしい。
「それは紫苑さんにとっては大切なもの?」
「はい、私たちにとっては大切なものです」
「私たち、じゃなくて、紫苑さん個人としては、その姿を頭にはっきり描けるくらい大切にしてた?」
「個体としては、思い描けるほどの執着はありません。任務として関わっています」
話を聞いてボクは困惑した。話を聞けば聞くほど、わからないことが増えていく。そして何より、手掛かりがなくては、探しようがない。
「写真もなく、紫苑さんも思い描けないのなら、ボクには探せないよ。少なくとも、そのどちらかが必要だ」
「なるほど。少し待ってください。確認をとります」
そう言うと、星は席を立ち、窓に歩み寄って外を見たまま動かなくなった。その様子を見て、花が話しかけてくる。
「大和、どういうこと?」
「ボクにもさっぱりなんだ。昨日の放課後、地球を救ってほしいって言われたけど、花と約束してたから、詳しい話は明日でも良いかって聞いた。そしたら猶予は三日あるから大丈夫って」
「もう何からつっこんでいいのかわからないくらいよ?彼女の妄想とかなら、付き合う必要はないんじゃない?」
「いや、たぶん本当に困ってると思う。事情はべつにしても何かを失ったのは確かなんだと思う」
「大和の力がそう思わせるの?」
「そうじゃないよ、そんないいもんじゃない」
「あ、ごめん。気にしてるの知ってたのに……」
「いや、花は悪くないよ。ボクが……」
「良いかしら?」
「わ!」「ひゃ!」
いつのまにか、星が戻ってきて椅子に座ってた。まったく気が付かなかったから二人してびっくりしてしまった。
「あ、うん。大丈夫」
「夏目大和さん、探してほしい物の映像をお見せできるそうです。しかしそのためには私たちの船に来ていただきます」
「船?」
「はい、今から宜しいですか?」
「はい、良いです。でも船ってどういうーー」
ボクたちは一瞬のうちに、真っ白な部屋にいた。何もない真っ白で教室くらいある空間。壁も天井も白く発光してる。不思議なのは、椅子に座ってたはずなのに、三人とも立っている。
「え?ここどこ?え?」
花が慌てて、怯えながら周りを見回している。星は無表情に立ち尽くしてる。
ボクは、ここがどこなのかはわからないけど、ボクの部屋に置いてあるボクの大切なものの方向と距離が、感覚的に把握できた。
今まで感じたことのないほど、遠くに来てるってことしかわからないけど、それで十分だった。
「……船って宇宙船ってこと?」
星にそう尋ねると、星ではない声が僕たちの後ろから聞こえてきた。
「その理解で問題ない。正式には違うけど、これは言語翻訳と概念の問題なので、今は暫定的にその理解で留めて欲しい」
振り返るとそこに、真っ白な服を着た青年が立っている。顔は西洋人っぽい。身長が高く、妙に手足が長い気がするけど、一応は人の範疇にある何かだ。
「あなたは?」
「私は紫苑星として送り込んだ端末をここから操っていた個人だ。なので、名称は同じで良い」
「事情を説明してもらえますか?ボクはともかく、花が混乱して怯えてるので」
「承諾できない。先に捜索を優先して欲しい。急いでいる」
「……わかりました」
ボクは花に近づき、手を握って安心させようとしたら、ボクの腕に抱き付く花。
「片手に花、だね」
「昔、よくそれを言ってたね。大丈夫、ボクがついてる」
「うん」
花がそう言って微笑んだ。ボクは頷きながら、青年の星に言った。
「では、映像を見せてください」
「はい」
青年の星が手をかざすと、空中にホログラムの様に立体映像が現れた。それは大きな水晶球の様に見えた。半透明の球の中に何かが漂っている様に見えるが、不定形でうねうねと動いてる様に見える。
ボクはいつもの様に呼吸を落ち着け、その存在を感じようと試みる。するとそれは確かに在って、しかし近くにはない。距離が遠すぎて、距離感がわかりにくいが、ボクの大切なものと同じ方向にあるから、地球にはあるんだろう。
「見つけました。ただ距離があるので、具体的な場所までは提示できません」
「方向は示せるか?」
「指差す程度なら」
「では、今から船を移動させる。方向を指示してくれ」
その後、星の言う船が動いているのは、探し物の方向や距離が相対的に動くのを感じるので、ボクにはわかったけど、体感的には何も感じない。
聞かれる度にその方向を指差した。そうしているうちに、探し物が真正面に近づいて来たのを感じた。
「ありがとう、こちらでもようやく確認できた」
「見つかりましたか?」
「今、確保したとの連絡があった。本当に助かった」
「では、説明を聞きたいところではあるんですが、できれば花はもう家に帰したいんです」
未だにボクの腕を抱き寄せたままの花も、事情は知りたいだろうけど、あまり遅くなるのも心配だ。花は不服そうな顔をしてるけど、男子としては譲れない。
「申し訳ないが。私たちはすぐに旅立たなければならず、事情をお話しする時間は今しかない様だ」
「……簡単に教えてください」
「はい、簡単に言えば、今あなたに探していただいた物は、私たちが管理していたが、不測の事態によりこの星に避難させていた」
「落とした、とかではなく、意図的に隠したってことですか?後から回収するつもりで」
星の話に違和感を感じてボクは尋ねた。すると星は頷いた。
「はい」
「探すつもりだったら、何かわかりやすい目印くらいつけとけば良いのに」
花が責めるようにそんな事を言うけれど、未だにボクの腕を抱き寄せたままなので、案外まだ怯えてるから強がってるのかも。
「他者による略奪の恐れがあった。そのため、誰にでも見つけられる目印ではダメだ。下手に目印をつけていたら、略奪者によってこの星は破壊される恐れがある」
「え?」
「探していただいたものはそう簡単には壊れない。しかし略奪者にとって、星一つを粉々に砕くことは探し回るより容易だ。粉々砕いた後に濾し取れば見つけられる」
「それが地球の危機、ですね」
「はい、今も私たちを追ってきてる。明日には追いつかれる。瞬く間にこの星は砕かれ、奪われる。そうなる前に見つける必要があった」
「だから猶予は三日と言ってたんですね」
ボクはようやく星が言ってた事が理解できた。ボクが星たちや略奪者が探している何かを見つけなかったら、明日には地球がなくなってた。……現実に思えなくて、なんだかSF小説を読んでる気分だ。ヒッチハイクしなきゃ。
「目印も無いのに、どうやって探すつもりだったの?」
ボクが現実逃避してたら、花がしっかり話を進めてくれてた。
「目印するのではなく、どこにあるのかを探せる因子を蒔いた」
どこにあるのか探せる?それって……、まさか。
「それって大和の力?!」
「ひとつだけではない、複数の因子をあなたの星に蒔いておいた。時間経過とともに因子は消滅するからだ。あなたたちの時間感覚で言えば数千年程度」
タイムスパンが急に壮大になった!なんだ数千年って!ピラミッドはいつ建てられたんだっけ?
「今回、略奪者にこの星に隠してる事を知られてしまったので、私たちは回収すべく、因子を活性化させた。これにより、私たちは夏目大和を見つけた。また、活性化の副反応として夏目大和に好意を持つ異性が、夏目大和を求める様になった」
それが原因か!ここ三日間の騒動は数千年前に蒔いた因子ってやつのせいか!
「え、でも大和はモテる前からものを探すのは得意だったよ?」
「因子の活性化は能力には関係無い。私たちが因子を持つものを見つけやすくするためだけ。言うなれば、目印の目印」
「そうなんだ。じゃあ、因子は不活性にもできる?」
「はい、既に」
「そっか」
花がすごく嬉しそうに頷くが、ボクにもわかる様に言って?意味がわからないよ?
「つまり大和のモテ期は終わったってことよ。良かったね?」
「良かった、のかな」
ボクは狐にでも騙されたかの様な気分だ。モテモテになって嬉しかった反面、皆から注目されることにストレスは感じていた。元の目立たない自分に戻るのだから、喜ぶべきなのかな。
「やっぱモテモテの方が良かった?片手に花では満足できないの?」
「……モテたのが、その活性化ってやつのせいなら、花も、ボクにはもう何も感じないんじゃないの?」
「違う!」
花が叫んだ。ボクの腕をギュッと抱きしめたまま叫ぶから、耳を塞ぐこともできないじゃないか!
「補足する、夏目大和のことをまったく知らない人や嫌悪を抱いている人まで強制的にあなたを欲する、そういうものではない。既にある好意が発露する、そういうものだ」
「そんなバカな。それじゃあクラスメイトのみんながボクを好きだったけど黙ってた、って事になるじゃないか」
「はい」
「そんなはずないよ!ボクみたいな目立たない男子をどうして好きになるの?あり得ない!」
「あなたの自己評価は無関係。事実を述べたに過ぎない。さて、誠に勝手ながら、時間だ。2人を自宅近くにお送りして、私たちは出発する。お礼の品を用意した。受け取って欲しい」
青年の星は長い手を伸ばして、ボクにリングを手渡した。
勝手なことを!まだボクは納得してない!そう言おうとしたけど、気がつけばすでにマンションの前にいた。少し離れて、花も立ってるのが見える。
いや、それにしても最も重要なことを説明せずに帰ったみたいだ。ボクがみんなに好意を抱かれていた?そんなわけがない。地味な男子高校生で画像生成してみろって!ボクが描かれるに違いないから!
「……行っちゃったみたいだね」
「花。ごめんね、ボクのことに巻き込んじゃったみたいで」
「ううん、良いよ。こうしてまた仲良くなれたから。むしろ感謝してる」
「でも、それってーー」
ボクはまだ疑っている。そんな都合の良いことを信じてしまったら、明日の朝にはまた元通りになってた時、きっとボクは立ち直れない。星に頼んで連れて行って貰えば良かった、そう思うに違いない。
「違うからね。私はずっと大和のことが好き」
「でもーー」
「距離を置いたのは私からだった。わかってる。だから私の言葉は信じられないよね」
「ボクはあのときのこと、花の言った言葉やその表情まで覚えてる」
「私も、あの時のことは忘れてない。ずっと後悔してたから。大和がとてもショックを受けたのはわかったから。でも、言っちゃったの」
花が続けて言う。
「あの頃の私、とっても恥ずかしがりやだったの。男の子に自分の気持ちを伝えるなんて、想像しただけで顔が真っ赤になっちゃうくらい照れくさかった」
「ボクは、ボクが人と違うからじゃないかって、思ったよ」
あれからボクは今回の事があるまで、頑なに自分の欲求を押し殺して、誰かが何か失って困ってる時も、見ない様にしてた。見てしまったら、もう失ったものを探してしまう。
だからボクは目立たない男子高校生になった。
「違うの。私に勇気が無かっただけ。あなたに正直に言えなかったの。本当は、あなたのことが好きだったのに。恥ずかしくて、言えなかった。そのせいで、あなたから遠ざかっていってしまったのよ」
「じゃあ、本当に……?」
「もう!何度も言わせないでよ!今だって恥ずかしさは変わらないんだから」
「ご、ごめん。でも信じられなくて」
「そうだよね。それは私のせいだ、勇気が出せなかった私のせい……」
花はうつむいて、なぜかモジモジとしてる様だ。
夕暮れの柔らかな光がマンション前の静かな通りを包む中、ボクと花は向かい合っていた。緊張感が漂うこの瞬間、少しの風が吹き抜け、花の髪が揺れた。彼女の目には、真剣な思いが込められている。
「……これならどうかな?」
花が一歩ボクに近づいた。その瞬間、心臓の鼓動が急に速くなり、体が硬直するのを感じた。彼女の顔が近づき、ほんの数センチの距離になった。花の目は優しく、それでも決意に満ちていた。
「花……」
名前を呼ぶ間もなく、彼女の唇がボクの唇に触れた。初めての感覚に、驚きと喜びが交錯する。キスは短く、優しく、それでも確かにお互いの心を繋ぐものだった。
花の顔が離れると、彼女の頬は赤く染まっていた。ボクもきっと同じように赤面していただろう。
「これで、少しは信じてくれるかな?」
ボクは頷き、言葉が出てこなかった。花はそんな様子のボクを見て「よかった」呟き、くるりと身を返して言った。
「じゃ、また明日ね」
そう言い残して、走り去っていく。その背中にボクは「また明日」と返事することしかできなかった。
◇ ◇ ◇
二人は答え合わせをしました。
「モテ期終わってた?」
「うん、たぶん。でもクラスメイトからはまだお昼を誘われる」
「断ってきたの?」
「うん、だって花の好意すら信じられ無かったくらいだよ?今まで喋ったこともなかったクラスメイトが実は好きでしたと言われても、信じられないよ」
「私から見たら、大和はたくさんの人にモテてたよ?ずっとそれを見てモヤモヤしてた」
「やっぱり気持ちは声に出して伝えなきゃ実らないね」
「それはホントにそう思う」
「白銀先輩の茶会は行ったの?」
「先輩の方から、お断りされた。なんか、怯えられてるみたいだった」
「そうなんだ。まあ、ちょっとわかるかな。物探す時の大和って鬼気迫るって言うか、怖いからね」
「そうなんだ。自覚はあまりないかな」
「凛ちゃんのスケッチブックを盗んだ三人は何か言ってきた?」
「ううん、会ってもいないよ?」
「そっか」
「ボクは未だに警察に通報すべきだったと思ってる」
「私もそう思うけど、あの事で凛ちゃんが親から怒られるのも可哀想じゃない?」
「そうだけど……」
「大和の気持ちもわかる。でもね、私たちが怒っても、それは私たちの勝手でしか無い。自己満足だよ」
「……花はすごいね。ボクにはそんな風に割り切れないよ」
「でも噂は流しておいた」
「え?」
「大和は知らなくて良いよ。女子には女子の追い込み方があるんだよ」
「……うん、聞かなかったことにするよ」
「先生も大和に何か探して欲しかったんじゃないの?」
「うん、そうだと思うけど、たぶん自分で頑張って探して見つけたみたい。探してるって感じがある日からなくなってた」
「そうなんだ、大和は誰かが何か探してたらその気配みたいなのを感じるんだね」
「うまく言えないんだけど、なんかそんな気がするんだよ」
「ヒーローだね」
「そんなつもりはないよ」
「星ちゃん?がくれたお礼の品って何?」
「たぶん探す感覚が鈍くなる物だと思う。リングを身に付けてると、ボクの大切なものとか花の位置がよくわからなくなる」
「そっか、抑制する……ん、いま、聞き捨てならない事を言わなかった?私の位置がわかるの?」
「あ、えっと、そのね」
「それは大和にとって大切だって思ってくれてるからって喜べば良いの?物扱いなの?キスしたからってもう俺様の物ってこと?それとも常にGPSで位置確認される支配型彼氏だって怯えたら良いの?あるいはストーカーなの?」
「落ち着いて!」
「……ぜったいリングは肌身離さず持ってて」
「はい」
「大和は私に聞きたいことはないの?」
「んー、正直言ってひとりぼっちが長過ぎて、花にどう接したら良いのかわからない、かな」
「ゆっくりで良いよ。こうして一緒にお昼ご飯食べて、一緒に帰って。休日はデートして」
「デートか。花はデートで何したいとかある?」
「何でも良いよ?一緒に楽しめたらなお良いかな」
「だから、さ。ボッチが長い非モテにはその回答はハードルが上がったとしか思えないよ」
「じゃ、カフェ巡りとか。良いお店探して?探すの得意でしょ?」
「なぜ上から。まあ、カフェは探してみるよ」
「楽しみにしてる!」
二人は見つめ合い、楽しそうにお昼休みを過ごした。