後編
「お、お前は……誰なんだ」
わかっていても、アイザックは訊かずにはいられなかった。
バニーガール風の少女の声はまさしく婚約者のものだ。それは認めよう。
しかしそれ以外の全てがアイザックの知る婚約者、ラパンの印象とまるで違い過ぎた。
まず、いつ何時でも被っていた帽子の姿は見えず、漂っていた陰気な雰囲気はどこかへ吹き飛んでしまっている。
少し恥じらうような表情は確かに少しラパンらしくはあったが、彼女の赤い瞳は覚悟というかなんというか強い意志が見受けられ、普段の怯えているような態度は微塵も見えなかった。
「カニーンヒェン家長女、ラパン・カニーンヒェンでございます、王太子殿下」
「だ、だがっ! いつもと全然、まるで違うではないか! 何よりなんだ、その格好は」
「ウサギの耳を晒すならばこの格好が一番良いのではないかと父に申し付けられまして。ちなみにこの耳は、ヘアバンドではありませんわ」
それからバニーガール姿のラパンが語り始めたことは、アイザック王太子にとって衝撃以外の何物でもなかった。
彼女は実は、半亜人なのだという。
亜人とは、数千年前のかつて動物と人間がまぐわい、生まれた種族のこと。人間に似た姿でありながら、人族から「汚らわしい」と言われ迫害され続けている種族だ。
近年は亜人に対する蔑視をやめようという運動があるらしいが、それでも亜人差別はなくなる様子を見せていない。
ラパンは母方がウサギの亜人であり、公爵の寵愛を受け、亜人の事実を隠したままで結婚し、子を成したのだとか。
血は薄まったものの半亜人として生まれたラパンは、ウサミミとしっぽを持っていた。しっぽはドレスで隠せるが、ウサギの耳はそうもいかず、帽子を被せた。
そして将来は亜人に対して寛大な国に嫁がせるつもりだったらしい。
しかしそこへ王家への婚約打診が来て、今に至る。
「最初は早急にこのことを明かし、婚約を解消していただくつもりでおりましたわ。しかし愚かなことに、私は王太子殿下に一目惚れをしてしまいましたの。
嫌われてしまうことが嫌で、今までずっと黙っていたこと、謝罪してもし足りない気持ちでございます。
本当であればいつまでも王太子殿下の傍にいたかった。けれど、自分を偽ったままではそれは叶わないと、私、覚悟を決めてこの耳を曝け出すことにしたのですわ」
長い長い話を終えて、真っ赤な瞳でアイザックを見上げてくるラパン。
その視線は言外に「見捨てないで」と言っているようで、胸がドキリとなった。
――可愛い。
アイザックがそう思ってしまったのも無理もない話だった。
今、隣で侍らせている名前も忘れた令嬢より、ずっとずっと可愛いのである。
人形のように整った顔や女性的魅力のある体が理想的であるのはもちろんだが、仕草がいちいち愛らし過ぎる。話している途中も耳をペコペコ折ったりしていて、それだけで絆されてしまいそうなほどだ。
「……だが!」
それでも、王太子アイザックは強い意志の力でなんとかそれを阻止し、声を上げた。
自分はどんな志を持ってここに来たのか、思い出せ。そうだ婚約破棄だ。俺はなんとしてもラパン・カニーンヒェンとの婚約を破棄しなければならないはずだ……!
「お前が今までに行った数々の俺への無礼、ゆ、許されるものではないぞっ。そ、それに、俺は、しししし真実の愛を……」
「そうですわよね。私が行った数々の非礼、見過ごしていただけるなどとは思っておりません。
どうぞ、私に罰を……」
ウサギのしっぽをふるふるさせ、肩を震わせて小さくなるラパン。
頭を下げた際にウサミミがこちらへまっすぐ突き出された。ただそれだけ。ただそれだけなのだが――。
「――っ」
アイザック王太子は、またもやこの後の言葉を続けられなくなってしまった。
彼女に悲しそうな顔で謝罪させてしまったことへの罪悪感。そしてこんなにもか弱く健気な彼女を傷つけるという悪を行う勇気が持てなくなった故だ。
端的に言うと、バニーガールの暴力的な可愛さにやられたということだ。
しかし。しかしここでは終わらない。
膝を屈しかけた王太子アイザックに発破をかけた者がいたからである。
「王子様、頑張ってください。ラパン様になんか負けないで! あたしたちの『真実の愛』は無敵なんですから!」
つい先ほどまで存在を忘れかけていた下級令嬢だった。
「そ、そうだ。そうだった。俺は絶対に、絶対にッ……!」
立ち上がる。
悪役になるなんて最初から決めていたことだ。何を今更怖気付いているのだ。そんなにラパンのことが惜しいのかと自分を叱責する。
正直言って惜しかった。こんなことなら婚約破棄なんて企まなければ良かったと思うくらいには。
でも王族たる者、一度決めたことは最後までやらねばなるまい。そうだ、やるしか、ないのだ……。
だから、アイザックは宣言する。
「ラパン・カニーンヒェン公爵令嬢! お、俺は、君との婚約を破棄――――「承知いたしましたわ。この愚かな私とではなく、心から殿下が愛す令嬢と生きてくださいませ。私は影からこっそりと王太子殿下の幸せを願っておりますから……」しないッ!!」
涙をポロポロ流すウサギ耳の少女の魅力を前に完全敗北し、王族としての矜持も何もかもかなぐり捨てて、彼女と添い遂げるということを――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
婚約破棄はできなかったアイザックだったが、それはそれで悪くなかったと彼は思う。
下級令嬢には散々罵倒された上に、口止め料も含めて元々公爵家に支払う予定だった慰謝料の倍額をむしりとられたりはしたが、表向きはアイザックがラパンを寛大に許したという形で体よく収まった。
かくして婚約破棄未遂事件は闇の中に葬り去られたのである。
アイザックは心を入れ替え、ラパンを溺愛するようになった。どんなに嫌なことがあっても彼女のウサミミを見るだけで何でも許せてしまうから不思議だ。
二人はそれはそれは仲良くなり、王国一のオシドリ夫婦になるとか、ならないとか。