油断大敵②
この国では身分が低いものから名乗りでなくてはならない。目の前にいる可憐な少女は立ち上がり、無駄のないお辞儀をして控えめに挨拶をする。どうやらダリアは共を連れずに一人で来ているようだった。
「グレイス・ローズレッドです。突然お手紙を送ってしまい、申し訳ございません。」
グレイスも簡単に挨拶をし、急に話し合いの場を設けてしまった件について謝罪をする。つい最近までダリアが屋敷から出たことがなかった事もあり、お互い一度も顔を合わせたことが無く、かといって交流があった訳でもない。だからこそ、自分より上の階級の貴族から急に呼び出しを喰らってさぞ驚かれたことだろうと心配をしていたのだが・・・。
(緊張なんて一切していないわね。大した度胸だわ。)
もし本当にローレルと浮気をしているのであれば、果たしてその婚約者を目の前にして、このような泰然な態度がとれるだろうか。デイジーを疑う訳ではないが、やはり何か誤解があるのかもしれない、と思いながらグレイスは椅子に腰を下ろした。それに合わせるようにしてダリアも着席し、デイジーはグレイスの横で静かに控える。
「いいえ、寧ろこちらの都合でお日にちを指定してしまった事をお詫びさせてください。・・・それにしても、グレイス様の評判はかねがね聞いておりましたが、本当に女神様のようにお美しいですね。」
そう言ってダリアは桜色の唇に手を当てて微笑む。ひとつ一つの所作が美しく、礼儀作法も完璧である。グレイスはそんな彼女を失礼のない程度に見つめた。
「お気遣い感謝しますわ。ダリア様こそ、まるで天使のように可愛らしいお方で驚きましたわ。」
グレイスの言葉に、ダリアの眉頭が僅かにピクリと動いた。だが失礼を言ったつもりはないので、きっと偶然だろうとグレイスは気に留めない事にする。実際、ダリアは本当に可愛らしい少女だった。菫色の柔らかな長髪はまるで猫の毛のようにふわふわで、毛先は緩やかなカールを描いている。大の男であれば片手で覆い隠せてしまいそうな小さな顔に、丸くてくりくりとした目が派手に主張している。それに黄金の瞳というのもこの国では珍しい。老若男女を問わず、彼女に目を奪われない者は存在しないであろう。
「グレイス様にそう言っていただけるなんて、大変光栄な事ですわ。」
そろそろ注文しましょう、とダリアはグレイスにメニュー表を差し出す。メニュー表には本日のおすすめのセットとして、紅茶とベリーのケーキが記されていた。それに決めたわ、とグレイスがデイジーに注文を頼むと、ダリアもそれに便乗して同じものを注文する。暫し他愛もない会話をしていると、やがて注文した商品を店員が運んできた。
「さて、紅茶とケーキも届いたことですし、そろそろ本題に入りませんか?」
グレイスはそう言いながら、ケーキを一口サイズにフォークでカットしてから口に運ぶ。ベリーの甘酸っぱい風味が口の中に広がるのを感じながら、やはりフルーツ系のケーキには紅茶が合うわねと呑気なことを考えて、つづけてカップに口をつけようとした。
「グレイス様、その前にカップを交換しましょう。ハンドルに汚れがついておりますわ。」
「あら、気付きませんでしたわ。ありがとうございます。」
ダリアは店員を呼んで新しいカップに変えて貰うと、驚く事に自らポットを手にして紅茶を注ぎ始めた。その異様な光景は、傍から見ても誰もが不信感を覚えたことだろう。その証拠に、デイジーは今にも口出ししたい気持ちを必死で抑えて、無理やり冷静さを保っている。無論、流石のグレイスでも戸惑いの表情を浮かべていた。
「驚かれるのも無理はありません。我が家は紅茶を扱う仕事を生業としているので、こういった作法も必須でしたの。ローレル様の件もありますし、嫌疑の目を向けられるのも無理ありませんわ。」
困ったように笑うダリアの姿に、グレイスはなんとなく罪悪感を覚えてしまう。
「そうでしたの。そうとは知らず私ったらなんて失礼な態度を・・・。」
「いいえ、勘違いされるような行動をとった私が悪いのです。」
更に落ち込んだ様子のダリアを見て申し訳なく思ったグレイスは、彼女が下げようとしていたカップを慌てて受け取った。我ながらあまりにも度が過ぎたお人好しである、とグレイスは心の中で反省をする。
(怖くてデイジーの顔を見ることができないわ・・・。)
ヒシヒシと刺さるような視線を浴びながら、グレイスは受け取ったカップに角砂糖をひとつ落とし、動揺を誤魔化すようにしてスプーンで紅茶をかき混ぜた。
(どうやら本当に毒は入っていないようね。)
貴族に出される食器の類はすべて銀製なので、もし本当に毒を入れたのであれば、こうして確かめれば結果は一目瞭然である。
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