つかの間のティータイム
「あー、城に着いてみると疲れがどっと出るな」
「気を張ってたんでしょうねぇ。わかります。わたしもずっと座っていたからか腰がめちゃくちゃだるくって」
「確かに腰も痛いな。ルーデロイを抜けてから一気にきた」
「……ベルザス様がルーデロイの道路整備に力入れてたって、褒めて欲しいんです? ルーデロイの道はあまり揺れなかったですもんね」
「その通り。よくわかっているじゃないか。さすが私のマイヤ」
「長い付き合いですもん」
「で、マイヤからの褒美は?」
「疲れて部屋で休んでたのに、こうやってベルザス様のお部屋まで来たのが褒美ですー」
「それは確かに褒美だ。褒美の前借りで呼び出したってことにしておいてくれ」
とんでもなく大きいベッドにうつ伏せに埋まるベルザスを冷ややかに見下ろしながら、マイヤは唇を突き出した。
ここはベルザスの部屋。ベルザスがルーデロイ公爵となって城を出る前に使っていた部屋である。調度がそっくりそのまま保存されており、マイヤにとっても見覚えのある懐かしい部屋なのだが感傷より先に疲れが主張してくる。
先程、マイヤが用意された部屋で一息ついていると(侍女であるが技能職の【銀の匙】はきちんと個室が与えられるのだ!)しばらくの後ベルザスの部屋に行って茶を淹れるよう呼び出されたのだ。侍女であるので主人に仕えるのが仕事なのであるが、そうであるのだがもう少しゆっくりしたかった。しかも訪れた部屋でベルザスは、自分だけふかふかベッドにうつ伏せになっているし。
「あーあ腰痛い! 後で湿布もらってこようかな。もらえると思います? わたし、ただの侍女だけど」
「【銀の匙】だからもらえるに決まっているだろう。私の分も一緒にもらってきてくれ」
「かしこまりましたァー」
当てつけのつもりで言ったのに仕事が増えてしまった。再びマイヤは唇を突き出して、腰を叩きながらキッチンで用意してもらった紅茶のポットに湯を注ぐ。
「……マイヤ、なんだか棘のある言い方に聞こえるんだが」
「バレました?」
「隠してないだろう」
「だってーぇ。ベルザス様がわたしに茶を淹れろって呼び出したんですもん。ここは城だからわたし以外の【銀の匙】もいるし、毒味役には困らないじゃないですか」
ザーッと、高い位置から紅茶のポットを傾けてカップに注ぐ。味は良くなるが、食器をかちゃんっと鳴らしながらになるのであまり丁寧な淹れ方ではない。
用意してもらった侍従用の部屋でマイヤが休憩できたのは、ベルザスが家族とのやりとりを終えて自室に帰ってくるまでのせいぜい一時間。動きに気を使えるほどまだ体力は回復していないのだ。
「私はマイヤ以外に命を預ける気はないよ」
「──はい、どうぞ。健やかな今日の日とこの食事に感謝を」
ベルザスの言葉を聞き流しつつ、がちゃがちゃとカップの中に蜂蜜と銀のティースプーンをつっこんでかき回し、おざなりに食事の前の挨拶を済ませて喉に一口流し入れ、マイヤはカップをベッドサイドに置いた。適当に淹れたのに、すっとさわやかな風が口中を駆け抜けていったようだったのはさすが王家御用達の高級茶葉であるからか。
のそのそベッドから起きあがってベッドの上でティーカップを傾けるベルザスの行儀はよくなかったが、マイヤだって疲れているから当たり前の様に自分の分の茶を用意してベッドに勢いよく腰掛けた。ふわふわに詰め込まれた綿と柔らかいスプリングのマットに腰が深く沈む。
この部屋は、不在の間も頻繁に掃除がされていたらしく染み付いた埃やカビの匂いもなく心地よい。しかしベルザスの部屋であるのにルーデロイの部屋とは違う香りがして、それはなんとも不思議な気がした。
「健やかな今日の日とこの食事に感謝を。あーーーーー、染みる」
マイヤと同じくおざなりな挨拶の後にしみじみと呟くベルザスを横目に見ながら、マイヤは茶と一緒に用意されていた菓子を手にとった。レース模様の小さな皿に入った、爪の先ほど小さく、儚く淡い青色の花弁。──ブルーデイジーの花の砂糖漬け。
「……優雅ですね」
指でつまんで口に放ると、ラベンダーにも似た気品のある花の香りとほろ苦さが砂糖の甘さと共に広がっていく。目の前に鮮やかな青色の花畑が広がったように感じるが、結局感想は「優雅」である。
ベルザスもぽいっと口に二つ三つ、花弁を口に放って苦笑する。
「曾おじい様が晩年お好きであった菓子、らしい。……執事のダージャが好きそうな味だな。あー城に帰ってきた! って感じだ。ルーデロイでは絶対に出てこない類の菓子で」
「おしゃれさを楽しむ! ってタイプのお茶請けですもんねーコレ。確かにダージャさん好きそう。お土産これにしましょうか」
「案外喜ぶかもしれない。砂糖がじゃりじゃりとわかりやすく入っているようなものが好きなんだよ。ダージャは」
「へぇー、意外」
「そちらの方が砂糖のありがたみがよくわかるんだとさ」
話をしながらもう一度、花弁を口に含む。鼻腔を抜けていく強い花の香り。確かブルーデイジーの香りは樟脳にも似た香りだったように思うのだが。
「どうやって作るんでしょうねぇ。ルーデロイなんて花がたくさん咲いてるから、うまくすれば作れそうですよ」
「無理無理。こういうのは花が虫に食われないようにしつつ丹精込めて育てなければならないらしい。だからといって虫が寄り付かないように毒を吹き付けるわけにもいかないし。そんなことしたら【銀の匙】のマイヤは私の前にこれを出してはくれないよ」
「あぁー、それは確かに」
もう一度花弁を口に含んでラベンダーにも似た香りを堪能する。花弁を丁寧に干してあるらしく、その上から砂糖をまぶしている。それに。
「卵白塗るのも大変そうですよね。こんなに小さな花びらにちまちまちまちま、破れないように卵白塗るの」
「砂糖だけじゃないのか?」
「そういう味がしました。たぶん卵白で砂糖をくっつけてるんじゃないですかね?」
「さすがマイヤ。絶対にルーデロイでは作れないよ」
と、目の前の砂糖漬けのありがたみを話しているというのに、ベルザスはそういう素振りをまったく感じられない動きで口に放り込む。
「うーむ。田舎から来たルーデロイの公爵は、こういうやんごとないものより実用的に腹がふくれるようなクッキーとかの方が好みだな」
「……この城で育ったのに?! 真の田舎育ちの人に怒られますよ!」
「三年もルーデロイで過ごせばな、変わるよ。それに、実際ルーデロイのクッキーは美味しいし。バターたっぷりさくさくほろほろで」
「ルーデロイは採れたて新鮮、素材の味で勝負してますからね。城は色々混ぜて凝る方向で味をよくしてるって感じです」
「【銀の匙】による比較は説得力があるな」
「味覚と嗅覚に優れているっていうのが取り柄です」
言い切るとマイヤも再びぽいっと口に砂糖漬けを放り込み、カップの最後の一滴まで飲み干すとトントンと腰を叩きながら立ち上がった。大きく伸びをして、ベルザスに向き直る。
「このままこのベッドに座ってたら寝ちゃうんで、医務室で湿布貰ってきます」
「いってらっしゃい。私の分も必ずもらってきてくれよ?」
「かしこまりましたァー」
腰がだるいので首を傾ぐだけの礼をし、マイヤはベルザスの部屋を後にした。